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土佐脱藩から亀山社中創立までの

坂本龍馬の活動資金はどこから出ていたのでしょうか? 龍馬が食うにも困っていたなどという話は聞いたことはありませんよね 実家が商家であったとは聞いたことがありますが、それだけで3年もの間、大の男が仕事もせず 自由気ままに生活し、諸国を回って好きなことをやって暮らしていける余裕があるほど実家は 裕福だったのでしょうか?教えてください

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  • alpha123
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回答No.1

竜馬やその仲間や武市半平太(土佐藩の秀才。郷士だからと軽視されのちに処刑された)などはいちおう武士です。ここでいう武士は「労働の義務なく」「藩から給料が出る(農民から搾取する)」身分で土地の支配者です。山内系が上士、旧長宗我部系が郷士です。 http://nakahori2.mints.ne.jp/shiseki/sakamoto2.html 土佐藩では(江戸時代通じて全国最貧藩の1つ)幕末に脱藩者が相次ぎ、幕府派と反幕府派(朝廷派)は殺しあったから明治維新のころには人材いなくなった。薩摩藩が武士の7人に1人は貴族士族になったのと対照的です。 竜馬がやったことは商社や運送部門(亀山社中や海援隊のもと)つくり、武器輸入して売って儲けたことです。いまは長崎の観光地クラーク邸(愛人はお蝶さん。マダムバタフライ)は武器商人の応接室住居です。 http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/kikaku1.htm 京都などで勤皇派が活動出来たのは商人が支援したからです。ビジネスチャンス狙って世の中が変わること期待したが、結局は幕府の御用商人=政商が明治期になっても勢力保った(のちの三越など) 新興商人は淘汰される。 20世紀の終わりになっても坂本家は市の土地を「お墓」としてただで占有していた。保守市政革新市政も放置(再開発で市が土地売却してばれた) http://www.attaka.or.jp/feature/2005/taikan/ryoma/index.htm http://news.2ch.net/newsplus/kako/1020/10203/1020358928.html (署名の集まり悪いって、、当然な指摘もあった)

toraneko9
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございました しかし・・・ おっしゃりたいことが今一つ理解できませんでした(;´д`)

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