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亀山社中 近藤長二郎切腹。

亀山社中 近藤長二郎切腹。 Wiki他見て不思議思った点で質問です。 (1)規約に反した為と有るのですが、 規約自体残っているのでしょうか? (2)物事皆で決める規約に反した為と表記されるのですが、切腹も皆で決めないと、切腹させた人々が切腹になるのでは。 (3)自分がいれば切腹させなかったと言うのが事実なら、巷創業社長と言われる、龍馬の了承なく出来たのか。 (4)龍馬は亀山社中でどの程度の位置だったのか? (5)本当に切腹したのか? ドラマ、小説の受け売りは結構です。

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回答No.2

すいません m(__)m 補足を受けて 回答させて頂きます..Web上の情報を拝見しておりますと,やはり,亀山社中に関する,規約などは,具体的には,なさそうですが,海援隊時代には,海援隊規約というものがあるそうで,現在,京都国立博物館などに,残っているとか‥‥‥又,海援隊隊長は,坂本龍馬氏でしたが,いわゆる,NPOとかの団体の,トップ(リーダー)みたいな感じで,隊員達の処遇や扱いも,皆,平等的なので,一般の,企業や,株式会社などの,経営組織とは,違っていたみたいですね‥‥給料も,当時の金額を,今に換算すると,だいたい,10万5千円位ですか,なんかボランティアっぽい感じもしますね‥‥‥しかも,リーダーの坂本龍馬氏は,海援隊の上部組織は,当時の長崎の,土佐藩出張所の役人ですが,土佐商会のトップの,岩崎弥太郎氏に,しきりに,金銭をせびりに行っていたので,岩崎弥太郎氏も,困っていたとか‥結局,いわゆる企業などとしての,利益などは,上げることが,ほとんど,出来なかったのかもしれませんし,当時の長崎の,丸山という高級伎楼などへ,いつも繰り出していたそうなので,経理などは,どうなっていたのでしょうか‥‥きちんと処理されていたとは,考え難いですよね‥とにかく,長崎の豪商の,小曽根乾堂氏には,坂本龍馬氏は,大変世話になっていて,妻のおりょうさんを,泊めてもらったり,おりょうさんも,小曽根乾堂氏の四男の,英四郎氏から,ピストルの扱いを,習ったりしたようで,面倒見の良い方だったんですね‥坂本龍馬氏の,船中八策や,大政奉還については,越前福井藩の,松平春嶽氏のお抱え学者;横井小楠氏の影響などが,強そうに思いますし,徳川慶喜氏も,大政奉還当時の,回想的な資料などを,拝見すると,土佐藩からの献策以前から,大政奉還については,考えていたようですし,徳川慶喜氏の場合は,徳川政権建て直しなどの為の,利用策などだったようですが,坂本龍馬氏も,どこまで,倒幕派だったのか,佐幕派だったのか,よくわかりませんが,結局,尊皇攘夷思想の強い,薩摩や長州出身の下級武士や,王政復古派の岩倉具視氏等,公家衆が,明治天皇を戴き,政権を取りましたが,海援隊などの,生き残った隊員達の多くも,明治政府や,内閣の,政治家,大臣などになったようですが,坂本龍馬氏は,そういった職業には,就こうとは思ってなかったようですし,本当に謎の人物ですね‥‥

441moe
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 亀山社中、海援隊兎に角資料少なく、 小説、後追い小説、谷干城の記録などが大半のようです。 佐賀藩?横井小楠でなく、水戸藩の会沢正志斎の「新論」の筈です。 また「世界の海援隊やります」も小説の1説の筈、誰かの日記ではそれなりの役職期待した発言有りますね。 謎多いから小説にうってつけでしょうし、 150度位違う資料がでるとさらに面白いです。 小説英雄竜馬に反する資料、意見は金にならず,消えていくのが残念ですね。

その他の回答 (1)

回答No.1

すいません m(__)m 少し Web上で拝見したことなどから,回答致します.. (1),(5)日本最初の株式会社と言われる,長崎の亀山社中は,代表者は,坂本龍馬氏で,以下,社員が,20人~30人位とされているようですが,途中,経営難により,土佐藩管轄の,第三セクターのような,経営組織(海援隊に改名)となっているようです..坂本龍馬氏が,亀山社中の社長だったというのは,巷では,認識が厚いようですが,給料に関しては,社員全員が同額で,坂本龍馬氏も,他の社員達と同じだったことを鑑みれば,本当に,社長と社員の間の,分け隔ての無い,和気あいあいとした感じの会社だったのかもしれませんし,途中,資金繰りに困難をきたし,社員達の給料が,支払われなくなったことなども,あったそうですが,誰一人辞めなかったとか‥社内の結束が,強かったのかもしれませんね‥近藤長次郎氏の自刃に関しては,懲罰としての,社員の切腹を含めた,亀山社中の会社規則などに当たる,社中盟約書などは,いわゆる後世の,明治期に書かれた,『維新土佐勤皇史』に,書かれていることらしいので,歴史的信憑性については,私は,わかりませんが,創作の可能性も,あるのかもしれません..しかし,近藤長次郎氏が,亀山社中の株主の一つで,長崎の豪商の,小曽根氏の別邸などで,坂本龍馬氏の留守中などに,ひっそり自刃されたのは,事実のようです.. (2)会社の規約や規則に反した者は,切腹となっているので,社員達から,責を問われたとは言え,最終的には,一社員として,近藤氏自らが,切腹することを受け入れたのではないでしょうか‥‥近藤長次郎氏自身は,もともとは,武士ではなく,土佐の餅菓子屋の息子でしたが,周りの,社員達には,藩士や郷士,上士格の人間(陸奥宗光氏など)も居ますので,やはり,武士としての,けじめの付け方みたいなものも,社員の中で,暗黙の了解として,あったのかもしれません.. (3)坂本龍馬氏は,実際,会社を留守にすることが多く,近藤長次郎氏は,坂本龍馬氏の,幼なじみであり,同士でしたが,坂本龍馬氏の,当時の心象などについては,詳しい資料などが無いので,よくわからないのではないでしょうか‥‥ (4)坂本龍馬氏の留守中に,近藤長次郎氏を糾弾したのは,澤村惣之丞氏だとされていますが,澤村氏も,自刃されているので,よくわからないようですが,規約なので,社長の承認は,待てなかったのかもしれません..

441moe
質問者

補足

ありがとうございます。 早速社中盟約書調べます。 龍馬関係極端に資料少なく、小説の題材に良いのでしょう。 大政奉還、船中八策はペリー来航20年前の水戸学会沢正志斎の説で龍馬の説ではありません。 慶喜はその正志斎に5歳から教わっています。 翻って、日記、記録では 亀山社中の3両弱の給料は薩摩から出てます。 数人の旧隊員はお竜さんが解散分与金貰えず恐喝まがいの無心に来たと記録し、 お竜さんの妹は旧隊員と結婚してます。 結果、創業社長的立場? 薩摩、福井、土佐が金出し株式会社と言われますが、春がくは海舟の神戸訓練所時代に千両出した筈。 想像では、赤報隊のような隆盛の私兵ではと思った次第。 で、記録、日記などないかと思ったのです。

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