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脱藩って?

この前幕末ドラマを見て脱藩というのを見ましたが、脱藩とはなんですか? 藩というのは、あくまで通称や今の世界で言ってる呼称ですよね。 てことは、たとえば薩摩藩を脱藩というと島津家に離縁状みたいなのを提出するということですか? それとも藩外に出て命令をいっさい聞かないとか? あと、脱藩した主な志士をおしえてください。

みんなの回答

  • kaonashi2
  • ベストアンサー率37% (6/16)
回答No.10

脱藩は幕末を象徴する行動だと思います。 藩というのは治外法権であり、藩内の統制については幕府でさえも口出し出来ませんでした。司馬遼太郎さんは、江戸幕府は最大の大名であったという言い方をされています。(完全な中央集権政権でないという意味です)また、例えば薩摩飛という言葉があり、脚薩摩藩(現在の鹿児島県)に他藩の者が入ると帰ってこれないと言われていたそうです。 要するに、藩というのは武士にとって一国に等しいような状況だったのだと思います。 ですので、そこを無断で脱藩した者の親族は、過酷な取調べを受けたり、閉門蟄居したりしています。(国家を捨てるという点で、現代の密航に近いかもしれません) 他の方も挙げてますが、脱藩浪人で最も有名なのは 坂本竜馬です。また、彼の郷里の土佐藩(現在の高知県)は多くの浪人を生んでいます。事情は長くなるので割愛します。他に有名なところですと紀州徳川家脱藩の陸奥陽之助(後の外務大臣、陸奥宗光)や白河藩 浪人(と名乗っています)沖田総司(新選組一番隊長)あたりでしょうか。

  • swich
  • ベストアンサー率42% (22/52)
回答No.9

一言で言えば、「藩を抜けること」です。 主な志士は、坂本竜馬や芹沢鴨など幕末にいた有名な浪士は、かなりいます。 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3799/ishin.html ここに幕末の志士がのっています。

参考URL:
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3799/ishin.html
  • bazarakm
  • ベストアンサー率46% (65/141)
回答No.8

>>脱藩とはなんですか? 現在で言えば ”密出国 ” >>藩というのは、あくまで通称や今の世界で言ってる呼称ですよね。 離縁状みたいなのを提出するということですか? それとも藩外に出て命令をいっさい聞かないとか? ◎藩は徳川幕府から認められた土地の領域を大名が所有する領地として各藩で政治を行っていました これを領国と称し政治を藩政と表現していました 日本がひとつの国となったのは正式には明治維新からでそれまでは徳川幕府(政府ではない)が各大名を武力(現在の軍事力)によって統率をしていたのです 徳川幕府は大名を取り締まる”武家諸法度”を制定していましたが各領国の政治は大名がそれぞれ行っていました 従って通称などではなく薩摩藩は薩摩の国であり長州藩は長門の国という意味です 徳川幕府が国を藩と呼ばせました(幕藩制度といいます)が大名にとっては領土であり自分の国でした 家臣(大名家の家来)である武士は通常は家系を存続し子孫を増やすと共に何らかの任務を持ち命令があれば戦うことが任務でした 封建制度の時代は”主君に忠義、親に孝行”を行うことを最も大事な人の道と考えられていましたから脱藩はこの二つを同時に捨てることであり重大な違反事項でした 但し罰則は先に記したように藩によって規律の度合いが違うことや、そのときの状況に依って死罪から放任まで様々でした >>あと、脱藩した主な志士をおしえてください 先の回答に出ていた坂本竜馬のほかにも竜馬が作った海援隊のメンバーや新撰組、天誅組にも脱藩者が参加しています それぞれの書籍を読まれて氏名だけでなくどう活動したかを知ることのほうが意義があると思います

回答No.7

脱藩とは「仕えるべき主君を見限った」という行為であるため、武士の重罪であり、通常は家族にまで累が及ぶほどです。 たとえば坂本竜馬の姉(栄)は、脱藩すると知っていて彼に刀を与えたと言うので罰を受けたのではなかったかな・・・。 しかし長州のように寛大と言うか甘い藩もあり、吉田松陰の脱藩は「罰を与えましたよ、と幕府に見せかける」程度の罰でしたし、高杉晋作なんて好き勝手に藩に出入りしてたような状態でした。 離縁状などは出しません。黙っていなくなるのです。もちろん追っ手に討たれる場合もあります。 脱藩した人、というと、いわゆる「勤皇の志士」の大半はそうではないでしょうか。 藩は(長州ですら)ギリギリ最後まで幕藩体制側でしたから、藩組織に普通に所属していては志士の活動などできなかったでしょう。 風雲の中心地は京でしたが、藩のお役目(仕事)がそんなところで都合よくあるわけはなくて、普通は地元で務めなきゃならないし、京に行き、やりたいことをやりたければ脱藩するしかなかったのでは?

  • been
  • ベストアンサー率39% (490/1243)
回答No.6

封建社会は現代とは全く仕組の違う社会です。現代社会においては、人間はそれ自身として尊重されますが、封建社会では、人間は何らかの組織に所属しない限り存在しないも同然です。権利もなければ法の保護もありません。 脱藩は、武士がその所属する藩を勝手に離脱する行為です。藩主の許可を得て藩籍を離脱する場合は、「以後、構えなし」という一種の藩籍離脱許可証を得られますが、勝手に離脱しているだけなので藩主の支配権が消滅するわけではありません。よって他藩に仕官することは不可能、いわば生涯野良武士というわけです。野垂れ死にを覚悟しなければならない境遇です。

回答No.5

脱藩と言えば、まず坂本竜馬ではないでしょうか。 武士自体はサラリーマンではあるのですが、主君と契約関係にあるわけではありません。あくまでも主従関係です。したがって脱藩とは、今で言う「亡命」にあたります。 家族・親類縁者全てに迷惑がかかるので、決死の覚悟がないとできません。したがって、離縁状を提出するなどということはもちろんなく、藩外に出るという行為によって「脱藩」と見なされるということになります。

  • machirda
  • ベストアンサー率57% (634/1101)
回答No.4

#3です。 下の回答、主に対して従は絶対→従に対して主は絶対      父に対して子は絶対→子に対して父は絶対 です。ご迷惑お掛けしました。。。

  • machirda
  • ベストアンサー率57% (634/1101)
回答No.3

江戸時代、士族階級にとって「主従関係」というのは最も重要なもののひとつでした。 武士の世界では儒教が重んじられていましたが、主に対して従は絶対、父に対して子は絶対というような考えがあります(例えば敵討ちに見られるような「不倶戴天」もそうです)。 勝手に藩を抜け出す行為を「脱藩」といいますが、自分が仕えている主君を捨てて勝手にどこかへ去ることは、ある意味「裏切り行為」と等しいことです。勝手に藩を出るのですから、もちろん離縁状などは出しません(離縁状のようなものが認められる場合、脱藩ではない)。 そんな「裏切り行為」は武士として恥ずべき行為ですから、当然犯罪者のように扱われます。藩の秘密を持って逃亡することだってありえるわけですし…。もちろん連座制(連帯責任)といって身内なんかが罰せられることもありました。 そのようなリスクを負ってまで脱藩をする人はそうはいません。「国を憂えて」や「父の敵を探すため」ぐらいのものです。このような場合には大義名分があるため武士道にかなったものとして刑が軽くなったり容認されることが多かったようです(例:幕末志士)。 脱藩した主な志士としては坂本竜馬とか有名ですね。

  • pbforce
  • ベストアンサー率22% (379/1719)
回答No.2

http://plaza.across.or.jp/~tom-hori/dappannnokokorozashi.html 趣旨が合わないかもしれませんが、参考にして下さい。 当時の藩とは今の国家ぐらいだと思って構わないと思います。 そこを抜けるわけですから、これは犯罪にも等しいこととして扱われます。

参考URL:
http://plaza.across.or.jp/~tom-hori/dappannnokokorozashi.html
  • MetalRack
  • ベストアンサー率14% (298/2040)
回答No.1

藩は、会社みたいな物です。 入れば給料がもらえるのです。 やめれば、給料がもらえなくなる。 浪人とは、失業者みたいなものです。

rity
質問者

お礼

ありがとうございます。 それではやめる意味はなんでしょう? 会社みたいに自由に主君を変えることなんてできますか?

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