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現代文
受験生なんですけど、日本語の意味が分かりません。というのは、明治時代の人達が一生懸命英訳してくれた、自己や身体や社会などという抽象的なものが、イメージが全くできないからです。国語辞典で調べても著者は本当に分かっているのかというものばかりですし、ここは日本語を諦めて英語に走った方がいいのでしょうか、それともきちんと説明した本などがあれば教えていただけないでしょうか?
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良い質問をする人は、質問した時点で問題を半分解決しているのだそうです。質問文を推敲するうちに、問題が整理されていくからでしょう。その伝(でん)で言うと、このご質問文は落第です。そもそも文章として意味をなしていません。「この回答への補足」でやっと意味が伝わるような状態です。 「国語」のカテゴリで「受験生」のご質問ということは、 入試の「現代国語」の対策は? というようなことをお聞きになりたいのだと思います。現代国語の評論文はしばしば抽象語がキーワードになっていて(たとえば「自己」「身体」など、いかにも現代思想のターム)、易しい文章ではありません。それらの語は、おそらく西洋から学んだ抽象概念に(和製)漢語をあてて造られたりしたのでしょう。したがって、次のように考えられます。 (1) もとは西洋語なのだから、たとえば英語に戻って英英辞典を引く方が分かりやすいこともある。 (2) ただし、辞書に列挙されている意味は「公約数」的なものである。それに対し文筆家は、めいめい独特の意味合いを加味して言葉を駆使することがある。一癖も二癖もあるような連中ぞろいだ。そもそも、国語辞典であれ英英辞典であれ、「辞書引きゃ分かる」というような素直な文章が、(難関)大学の入試に出ると思っているのか。誰でも入れるような大学志望なら、話は別だが。 (3) 出題文の中の語句がどういう意味かは、文脈(コンテクスト)から読み取るほかない。目の前の、その筆者の文章に食らいつけ。「意味が分かりません」「イメージが全くできない」と寝言を言ってる場合なのだろうか。 さて、以上の一例として、下記質問のNo.4回答(拙文)をご覧ください。私は哲学の何を知ってるわけでもなく、素人丸出しで恥ずかしいのですが。 「抽象」という言葉 意味のゆらぎが大きすぎませんか? http://okwave.jp/qa3024744.html?ans_count_asc=2 まず、国語辞典で「抽象」を引くだけでなく、英英辞典で「abstract」を引いてみれば、言葉の成り立ちも意味も分かりやすいということは言えます。けれども、「抽象」がキーワードになる文章が入試に出たとして、その筆者は「イデア論」くらい知らないはずがありません。読解の手順としては次のようなものが考えられるでしょう。 (ア) 「抽象」? ああ、「雲をつかむような、とらえどころのない」って感じね。「具体」の反対。 (イ) それよりも、例えば英語の abstract の成り立ちを見れば、「(本質を)ひき出すこと」が本来の意味と分かる。 (ウ) ところが、この筆者、(ア)の用法は通俗じゃなくて必然だと言いたいらしい。どういうことだろう? このように、(1)の方法で到達するのは(イ)段階までです。しかし、合格点を取るには(ウ)段階に進まなければなりません。文脈に食らいついて、その背景にある西洋哲学史(の概略みたいなもの)などを読み取るわけです。 お尋ねの「きちんと説明した本」としては、たとえば百科事典などが便利でしょう。いろんなことが載ってます。平凡社『世界大百科事典』で「抽象」を引くと、短い説明の後に「概念」を参照せよと書いてあり、「概念」を引くと長い説明の中にイデア論が出てきます。ただし、百科事典を引いたくらいで知ったかぶりをする私のような者は、学のある人から見たら話にならないでしょう。国語または英英辞典を引いた程度で「著者は本当に分かっているのか」などとおっしゃる受験生は、根本的な勘違いをしているのです。
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- wuwangcao
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「受験での評論文で抽象的な単語の意味が分からない」ということなら、一般的な国語辞典プラス受験のための単語の本があったらいいのでは? 受験対策の本で河合出版の『ことばはちからダ』というのを私は受験時代に使いました。 現代文のキーワードを解説してくれています。 他にもあるかもしれません。 それは自分で探してみてください。 本屋さんで参考書の棚を眺めてみるのもいいでしょう。 私は普通の国語辞典だけでは理解できないのではないかと思います。 参考までに河合出版のページです
- amelielico
- ベストアンサー率37% (135/364)
もしかしたら、ちがうかもしれないのですが、ひょっとしてそれは「日本語の意味」がわからないのではなく、そこに書いていることが単純に「難解」なのではないでしょうか。 逆に言えば、伝えるほうも「とっても困難な作業」なのではないでしょうか。 例文を挙げてみます。 「実体とは、それ自身において存在し、それ自身によって考えられるもののことである。言いかえれば、その概念を形成するために他の概念を必要としないもののことである。(エチカ第一部定義抜粋【スピノザ著】)」 どうでしょう。難解ですね。少なくとも僕にとっては難解でした。 これは、「実体」「概念」「形成」「存在」「自身」の一つ一つを「辞書(日本語辞書ということではありません)」で調べてもこの文章が伝えようとしている「意味」はなかなか理解しにくいものです。 そして普段、その言葉一つ一つを誰もが同じように使っているかというとまた違うのだと思います。 これが、「英語」になっても「ラテン語」になってもあまりかわらないと思います。 「英語辞書」でも「ラテン語辞書」でも「哲学用語辞書」を呼んでもあまり変わりないと思います。 特に行為というか「身体的な運動・活動をともなう」感覚や認識を伝えるのは、とても「難しい」作業なのだと思います。 そして、それを文章で「理解する」のはひどく困難なことではないでしょうか。 それは丁度、「自転車の乗り方」を文章で説明するようなものです。 つまり、あなたが目にする「日本語の文章」は「あなたの生活」「あなたの思考」とどこか「離れた」「身体的でない」「別世界」のものなのかもしれません。 大学に行けば、「受験勉強」などという「抑圧」から一時解放されます。 この機会に図書館でいろんな本を読んで、「カリキュラム」とは別の「知の世界」に触れてもらいたいなぁと思います。 そうすれば、「難解な日本語」もだんだん「自転車にのれるように」徐々に使いこなせるのだと思います。 ゆっくりのんびり「人の言葉」とは向き合ったほうが気が楽ですよ。 参考にしてください。
- Ganymede
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No.4に対する「この回答への補足」を拝見しましたが、何をおっしゃってるのか皆目……。No.1氏こそ、簡にして要を得た回答だったことに、今ごろ気づきました。 > 質問の日本語もかなり分かりません。(中略) > このように会話もろくにできやしません。 とにかく No.4「この回答への補足」に戻り、さっさと片付けましょう。まず、「止めるべからず」は「止めざるべからず」の誤りじゃないですか? まるっきり意味が逆です。こんな人の相手をしてるのかと思うと、嫌になりました。正しい引用は次のサイトに載っているようです。 水野義之のブログ 2006年02月04日(土)(京都女子大教授) https://www2.kyoto-wu.ac.jp/club/blog-kyoin/blog.cgi?mode=detail&teacher_id=mizuno&entry_id=685 (a) 故に人間交際の道を全(まっとう)せんには、懶惰(らんだ)を制して之(これ)を止めざる可(べか)らず。或(あるい)は之を罰するも亦(また)仁(じん)の術と云う可し。 (福澤諭吉『西洋事情 外編』の一節。慶応4年) (b) Society is, therefore, entitled by all means consistent with humanity to discourage, and even to punish the idle. (イギリスの経済学者チェンバースの『経済論』の一節。(a)の種本) (c) したがって、社会は人道に適しているあらゆる方法で怠け者を何もさせずにしておき、その人を罰する権利を与えられている。 (ご質問者による(b)の訳) (d) 社会は、だから、人道にかなったあらゆる手段で、怠惰な人をおさえ、罰しさえもする権利を与えられている。 (柳父章による(b)の逐語訳) 「ここで、ある英文を訳してみました」結果が(c)だそうですが、「わざと誤訳してみました」ということですか? discourage が「何もさせずにしておき」は誤りです。怠けるのを「やめさせる」という意味です。 また、(b)の idle は形容詞です。名詞の idle に「怠け者」の意味はありません。「the + 形容詞」で「…な人たち」という用法です。したがって、idle の前の the は「その」ではありません。「何もさせずにしておき」、「その」人を罰するならば、マッチポンプじゃありませんか。Society はそんなことをする権利を与えられていません。 > ここで注目してほしいのは社会の訳し方です。 これも意味が分かりません。福澤が society を「人間交際」と訳したことに注目してほしいのですか? しかし、society を「社会」と訳したのは、明治8年の福地桜痴が初出だそうです。『東京日日新聞』で「社会」と書いて「ソサイチー」とルビをふりました。(a)の福澤は慶応4年であり、まだ「交際」と訳しています。同時期、他に「仲間」「組」「連中」「社中」などの翻訳例があったそうです(以上、小学館『日本国語大辞典』による)。 > 比べる必要があるはずもなく社会の真の意味を理解しているのは福沢諭吉です。 福澤は、彼より後に「社会」の意味内容がどう変遷したかを当然知りません。たとえばフランクフルト学派あたりが専門の日本人が、一般向けに評論を書き、それが入試の現代国語で出たとしましょう。その文章の「社会」の意味を、福澤が正確に知るわけもなく、福澤対策では役に立ちません。さて、「日本語を間に挟まず」ドイツ語でフランクフルト学派の本を「たくさん読んでから現代文に再び帰ってくるということがベスト」? > 日本語を間に挟まず英文をたくさん読んでから もう入試まで数カ月、日本語も英語もろくにできないのに、いったいどこの大学へ……。
お礼
あなたに反論できるほど、自分には力がないと知り、また、あなたの意見を聞いて、自分はかなりの未熟者だと痛感しました。あなたのおかげで、自分はもっともっと勉強しなければならないという気持ちになりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。
- suunan
- ベストアンサー率14% (224/1569)
「明治時代の英訳」であってもなくても、 「自己」や「身体」や「社会」の意味は同じです。 自己は自分、身体は肉体、社会は蟻や蜂にも見られる制度化された チームワークです。 ??? これがなぜわからないのですか。 英語に走った方がいいかは、 現状の成績によります。 総合点で合否が決まるなら不得意科目を 勉強するのが正しい。
お礼
そのとおりですね。 ありがとうございます。
- LN-TF
- ベストアンサー率53% (320/596)
No.1の補足に質問者が挙げられている例ですと、むべなるかなあです。 と云うのは「自己同一性」と云う概念は明治になって西欧より入って来た概念で日本にはそれまでそのようの概念を言い表す言葉がなかったのです。然もこの概念、一部は別として一般大衆に広く根をおろしたとは言い難い概念です。これにあたる概念が全くないのかと云うとそうでもないのですがこの語の(元の語の)守備範囲と同じい概念が日本では未だ一般に定着していないのです。 西欧人にはさして難しい概念ではないのかも知れませんが、日本の高校生にとってはお馴染のない概念だと思います。このようのものを辞書的に説明するのは至難の技でましてや限られたスペースでは尚更です。本統に解る迄説明するならば多分本が一冊書けるぢゃあないかと思います。 例は典型的ですが日本語と西欧語(英独仏)とでは考え方や論理構成が異なりますので具体的の事象は兎も角として抽象的の事項は或る程度そのようの訓練や教授を受けないと解り難いのは当然です。 本来このようの事柄は論理学の領域で我が国の国語教育では文学鑑賞を主体とする傾向が強いので大変かも知れません。 解り易く説明していただけるのならば寧ろ倫理・社会科の先生にご相談するのも手でしょう。また解り易い倫理・社会の参考書を通読するのも良いかも知れません。 蛇足、「英訳」と云うのは、他の言語(例えば日本語とか独逸語とか)で書かれたものを英語に訳す事です。この場合だと西欧語の術語に対する日本語の術語を先人(江戸末期から明治、大正にかけての先輩)が拵えて呉れた位の意味ととりました。(この手の術語のもとは独逸語や拉典語からだと云うのが案外あります)
お礼
僕と同じ意見を持っててくれてうれしいです。僕は今までこのような言葉を文字だけ見ていてなんとなく分かったふりをしてました。いざ意味を深く考えてみると、全く分かりませんでした。もしかしたら皆はこの意味を知っていたらなんて思うととても不安になりました。僕以外の人も難しいと感じていると知って少し安心しました。確かにいくら国語ができる人でもこれらの意味を1~2行にまとめろっていわれたら不可能ですし、曖昧にしてごまかしてしまうでしょう。ご意見ありがとうございます。
- snowize
- ベストアンサー率27% (68/245)
すみません。質問の日本語もかなり分かりません。 単純にセンター国語などが解けないというレベルでなく、日本在住なのに日本語がよく理解できないということでしょうか? もしそうでしたら、受験どうのなどは二の次で日本語の習得に励むべきだと思います。このように会話もろくにできやしません。
補足
自分の日本語の表現力が拙のくてすみません。僕が言いたいことは、会話としての日本語ではなくて、評論文での日本語についてです。例えば、自己同一性という言葉について見ていきたいと思います。 国語辞典では 一般に、二つ以上の相違なる事物がその性質の共有性の故に、その点では相互では区別できないこと。狭義では、事物がそれ自身に同じであること。 そのもととなるidentityと言う言葉の英英辞典における定義が、 1who or what sb/sth is 2the characteristics,fellings or beliefs that distinguish people from others 3the state or felling ofbeing very similar to and able to understand sb/sth となっています。僕にとって英英辞典の方が理解しやすいので、この際、国語の現代文をたくさん読むのを止めて英文をたくさん読んでいこうと思ったのですけど、現代文を止めると合否に関わってきます。そこで、現代文へどのようにアプローチしたらいいかとアドバイスを求めていました。そのなかで日本における評論用語を詳しく解説してある本などがありましたら教えてもらえないでしょうか?
補足
あなたの言う、文脈から語句を推測すべきと言う意見は単なる現代文の問題を解く解きの定石だと思います。僕が知りたかったのは、受験生は本当に評論用語を文字としてではなく、その言葉の意味を熟知して、筆者の言いたいことを寸分の狂いもなく受けとるにはどうしたらいいかということでした。百科辞典も最もだとおもいます。また、背景を知るには偉大な哲学者の本を読むのも良いと思います。ここで、ある英文を訳してみました。 Society is,therefore,entitled by all means consistent with humanity to discourage,and even to punish the idle. したがって、社会は人道に適しているあらゆる方法で怠け者を何もさせずにしておき、その人を罰する権利を与えられている。 おそらく、多くの受験生はこのように訳すでしょう。しかし、かの福沢諭吉は 故に人間交際の道を全うせんには、らんだを制してこれ止めるべからず。あるいは又仁の術と云うべし。 ここで注目してほしいのは社会の訳し方です。比べる必要があるはずもなく社会の真の意味を理解しているのは福沢諭吉です。彼は現代文を作った人の一人ですから、本当に西欧の言葉の意味を理解していたのでしょう。現代人は単なる自分の推測だけで読みつづけていたら、現代文をしっかりと読んだということにはならないのではないでしょうか。だから、彼により近づくためには日本語を間に挟まず英文をたくさん読んでから現代文に再び帰ってくるということがベストだとおもいます。これが僕の答えです。おかしなところがあったらご指摘お願いします。