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本末転倒な努力
宗教的な悟りや道徳が身につかない根本的な原因は 答えから始めてしまうことに起因するのではないでしょうか。 お釈迦様がああ言った キリストがこう言った 有名人がああ言った 学校の先生がそう言った・・・・・と。 答えがまずあって、それから各々がその答えの出し方を思案する。 これはそもそも本末転倒ではないでしょうか。 このやり方ではいつまでたっても未熟なままのような気がしますがどうでしょうか。
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- masa2211
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>答えがまずあって、それから各々がその答えの出し方を思案する。 >これはそもそも本末転倒ではないでしょうか。 これは、工学の世界では、逆解析とかリバースエンジニアリングといって、 結果を見て、その思想を把握するための手法として、ごくあたりまえに用いられています。 ですから、逆解析が本末転倒とは、とてもじゃないけどいえません。 ただし、「学校の先生がそう言った、だから正しい」というのであれば、 それはオカシイでしょう。(権威に無条件に従っているという意味で。) >このやり方ではいつまでたっても未熟なまま 皆と同じスタートラインに立つには、結論を元に逆解析するのが最も早道です。 「結論を隠しておいて、その結論に自力でたどり着かせる」というほうが、はるかに迂遠で時間がかかる方法です。 少なくとも、理工系分野においては。
shift-2007さん こんばんは。 いろんな角度から いくつかの回答がありうると思います。 ひとつ こういうふうに考えます。 ★ 答えから始めてしまう // 答えがまずあって、それから各々がその答えの出し方を思案する。 ☆ これに対して 表現の解釈の仕方によっては 微妙に同じことになるかも知れないのですが(でも 違っていると思いますが) ○ 人は 自己のであれ他者のであれ その終えたところから始める。 ☆ というのが いちばんよいのだと考えます。 ですから ちがいは 1.終えたところを すでに 受け留め 受け容れていること。 2.終えたところの成果と言いますか その成果の内容を吟味することは すでにやはり終えて そのあと 実際に応用するのであること。 ☆ だと考えます。 もっとも ★ 誰々が言った ☆ のその内容を吟味することも ひと仕事なのですが。 ということは 要するに ○ 実際の生活とその課題や問題に臨んで 考えるかどうか ☆ に 本末転倒かどうかの分かれ目があるのではないでしょうか。 ファッションとしての教養 アクセサリとしての知識 またそれらを こねくり回すように考えること――ひけらかすとまでは 言いませんが―― こういった傾向があるのではないですか。
お礼
brageloneさん、こんばんは。 >ファッションとしての教養 アクセサリとしての知識 きっとそうなんです、 何のためにバイブルを読んでいるのかと疑問に感じます。 たぶんおっしゃるように、終えたところから始めればいいのであって、わざわざ人生の問題集を集めるようなことをする必要は無いのではないかと思います。それで飯を食っている学者や研究者なら別でしょうけど。 ご回答ありがとうございます。
- koko_u_
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まずは先人の発想に耳を傾ける、というのは自然だと思います。 お釈迦様だってすぐさま悟りを啓いたわけではないはずです。 そもそもが本末転倒ではないか?などとグダグダ言ってるよりは遥かにマシでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 例えば、 太陽の周りを地球が356日かけて回るという答えは正しいと思います。 それでは、 お釈迦様が動物の肉を食べなかったとします。 菜食主義という答えは正しいですか? 工学の答えが正しいことは観察によって立証されますが、 宗教や哲学の答えはどうやってその正しさを証明するのでしょうか。 正しいかどうかもわからないのにその答えを導くための方程式を考えることは工学的にどうなんでしょう。