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努力する事に意味があるとは本末転倒に思えます。

努力する事に意味があるんだ。 という論理は本末転倒ではないでしょうか。 こういうタイプの人は何故精神性や努力自体を力説するのでしょうか。

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  • sitappa40
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回答No.1

そう言わないと努力しない人間が多いからです(^^; 意味がないことはしたくない。 そう考える人間が多くなってきていますからね・・・       

noname#128815
質問者

お礼

ありがとうございます。

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  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.19

わたしの人生はなんだか努力と無縁でした。 どの局面においても、努力と呼べるものがありません。 なので、努力についてよく知らないんですよね。 努力についてのイメージ。 ・新聞配達をしながら学校へ通い、家族の世話をし、貯金もする。 ・早朝の仕事、日中の仕事、夜の仕事を兼業して不眠不休で働いて、借金を返す。 ・傾いた経営を立て直す。 ・穴を掘って脱獄する。 ・芸能界や角界などで、他人の機嫌を損ねず、しきたりを守り、自分の時間を削られながら   自分の稽古にも磨きをかける。 ・徒労の可能性と成果の可能性があり、方法がそれしかないと考えられるなら、道のりが   果てしなくとも続ける。 ・勉強を求められていない立場でありながら、どんなに忙しくても眠くても、一度聞いたことは   覚えるか寸暇を惜しんで復習して身につける。 ・リハビリテーション まあ、上のような事柄を考えると、 たとえ報われない場合にも、経験から成長しているところがありそうです。 精神力の鍛練を成長と呼ぶならですね。とはいえ、報われない結果を思うと、 精神力がどうあれ、現実として暗澹たるものがあるのは否めません。 ルートの違う人生があれば、培った精神力を活かすこともできますが、 借金苦で死んでしまったりすると、精神力がやわでなければないほど察するに痛ましいものです。 成果を得ずに、努力することに意味がある、と言う場合もあれば、 成果を得て、努力することに意味がある、と言う場合もあるはずです。 短絡的な成果でなくとも、成果を得て言ってみたい言葉、ということになりますかね。 努力することに意味があるから成果は二の次だ、なんて言う人の場合は、 たぶん、先のことはわからないから励ましているのか、 あるいは、ちょっと並みの精神力が足りないよと、言っているだけのような気がします。    

noname#128815
質問者

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ありがとうございます。

noname#154447
noname#154447
回答No.18

「努力することに意味があるんだ」が本末転倒。 と質問に記されていますが、では 「物事を成就させることに意味がある、そのために努力する」が正論。 ということでよろしいでしょうか? 自分の経験、及び周りの状況を見ると 「努力したから成就するとは限らないが、成就にはそこに至るための努力を惜しまなかった。」 といったところなので、「努力することに意味があるんだ」と言っている人は 1.経験した成就が努力(などの自分が為した行為)だけで為されたと考えている「お幸せな人」 2.聞き手を騙し新たな成功者を出さないことを意図している「頭の良い人」 3.成就できない人を慰めることができる「余裕のある人」 あたりだと思います。 ところで、質問者さんは 「努力することに意味はあるんだ」ならば納得頂けますか??

noname#128815
質問者

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ありがとうございます。 基本的に「努力は手段派」です。

回答No.17

登山が趣味の人にとって、山頂に登るのが目的だからといって、ヘリコプターで山頂まで運ばれたとして、楽に達成されたのでより喜びが大きいとお考えでしょうか? 喜びは、意志の発露とその達成の感受からなるもので、その増大に関わる関数は、現象的な達成度だけでなく、意志の強さ、認識の深さ、相互に矛盾しない人生を通算した目的などがあり、最初の「達成度」だけに特化した『努力せず楽にできる(簡単な目的、他人にやってもらうetc.)』という志向は、他の要因にマイナスでしかない。 生物的な進化において、「努力しない=能力を発揮しない」方向の選択がなされる訳がなく、それは昨今の、自己チューな意識を拝金主義やルールで縛って他律的に生かされる傾向の深まりの歪みであろう。

noname#128815
質問者

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ありがとうございます。

回答No.16

ゴルゴ13の名言 依頼人に、一流のプロと言われるようになる条件をきかれて 「10%の才能と20%の努力・・そして、30%の臆病さ・・ 残る40%は”運”だろう・・・な・・」 ゴルゴ13をもってしても、努力が占める割合はこんなもんです。 努力に意味がないとはいいませんが、それほどたいした意味もない。 よーな気がします。

noname#128815
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#194996
noname#194996
回答No.15

つまり、貴方は、少なくとも世のありようになんらかの意味があると言うことには異存はないのですね。 ま、下手な実存的悪魔的犬儒思想よりはまだ多少はすくわれようはあろうかと思いますが、限りなく少数派へ偏った非人情な思想だということではよく似たものです。 「努力しようがしまいが、ともかく棚簿多式であれ結果が得られたらそれでよし。」 ”結果オーライ”  それでめでたしめでたし、世の中こともなし。すべてが結構、いうことなし。」 いちかぜろ。失敗があって成功がある。ゼロサム理論。大金持ちとホームレスの世界。 勝ち組だけが正しいのであってあとはくずだとでも? ある意味こいずみ思想なのでしょうが、それはそれでいいかもしれません。確かに間違いではないと思います。 でも結局それは最小選良幸福社会なのですね。一将成って万骨枯れるいはばアンチ菅思想ですか。 私は努力を称揚するもの↓のひとりですが、なにか? >こういうタイプの人は何故精神性や努力自体を力説するのでしょうか。 つまり、負け組み人間を含むトップを望んでなしえない世の大多数のための応援団を意気込む気分がそうさせるのではないでしょうか。

noname#128815
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.14

 こんにちは。  ★ 努力する事に意味があるんだ。 / という論理は本末転倒ではないでしょうか。  ☆ まあ 長い目で見たらということではないですか?  でも 一つひとつ主題や事柄がそれとして決まっているということもありますから そこで一たんおしまいとしてけりをつけることも重要だと考えられます。言ってみれば一つひとつが 勝負だと言えば勝負だということになります。  そうしないで いつまでももう一本〔勝負を願いたい〕とか ちょっと待った もう一辺やらせてくれ もう一辺だけとか言うのも 恰好がよいものではありません。  ですからもし一つひとつが――あそびやゲームとしてでしょうが――勝負を競うものとすれば 本末転倒の論理になるでしょうね。  言いかえると 枝葉末節の論理として《努力する事に〔も〕意味がある。大いにある》と言っているぶんには かまわない。こうなります。  ★ こういうタイプの人は何故精神性や努力自体を力説するのでしょうか。  ☆ そこまで行くと もうほうっておいてやらないと。つまりは そういう論理を持ち出す人ほど 勝負にこだわっているのでしょう。たかが ゲームだというのに。まあ いちど 滑稽だぞと言ってやるのもよいでしょう。  あぁ 負けた。くやしいーーーーい! と言えるように互いになりましょう。  これでよかったのでしょうか? 筋違いではなかったでしょうか?  * 枝葉末節の論理で言っていた《努力の重要性》が 長い目で見れば《根幹の・大本の論理》において生きると言っておかねばならないかも知れません。  要するに けりをつける。けじめをはっきりとさせる。未練をのこすな。いさぎよく負けは負けとみとめよ。――こういった単純なことを言おうとしておられるのでは?

noname#128815
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.13

そうか。あんたは自分は機械みたいなもんだと思ってんだね。あんた、機械と生物の一番大きな違い知ってるか。機械はそれが作られ、少しだけ使いこなされたときが一番性能が良い。そこで、その一番性能の良い状態をいつまでも保ちたいならば、錆びないように油かなんかに浸けといたりして、それ以上使わないようにすれば良いんだ。 ところが生物は機械じゃないんで、適度に使えば使う程前よりも性能が良くなる。ここで言う適度と言うのが本質だ。自分の持っている性能よりも適度に上の目標を立てて、それに近づくように努力して練習したり達成したりする。現状維持だけで満足してそれより上に行く努力をしないと、現状維持すら出来ないように生物は出来ているんだ。だから、努力しない奴は、生存競争に敗れて行くように生物は出来ている。その反対に努力する奴は筋肉でも何でも衰えないで現状が維持できるか、あるいは運が良ければ前よりも性能が良くなって、何とか生き残れるわけだ。 機械はその反対に、努力をしないで油の中に浸かって何もしないでいれば生き残れるんだ。だから、努力することに意味があると言うのが本末転倒なのは機械には当てはまるが、生物には当てはまらないんだね。

noname#128815
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • TYWalker
  • ベストアンサー率42% (281/661)
回答No.12

「職場の人に好かれる」というのが結果目標で「一日10回ありがとうと言う」というのはプロセス目標。 「痩せる」というのが結果目標で「一日二駅歩く」というのがプロセス目標。 「営業成績でトップになる」というのが結果目標で「営業で回った件数トップになる」というのがプロセス目標。 結果目標が達成されないと意味はないけど、プロセス目標は努力すれば達成できるので、まずはプロセス目標。 ていうか努力もしないでいろいろ屁理屈こねてる人ってダメだよね。

noname#128815
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.11

これは「過程」と「結果」のどちらが重要か?ということ。 人間の生きる目的が、精神的充足の最大化であるとき、 「努力の過程」も「成果の感受」も重要である。 どちらかと言えば「努力の過程」の方が困難なだけ重要と言える。

noname#128815
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10268)
回答No.10

経験則ですが、一定量の努力をすればたとえ失敗したとしても、あまり落ち込みません。 「これだけ頑張ったのだから仕方ない、すっぱり諦めて次に行こう」という前向きな力も生まれてきます。

noname#128815
質問者

お礼

ありがとうございます。