- 締切済み
自暴自棄→生の肯定
私の母はキリスト教徒です。よって私は生まれてから、思春期に至るまで、キリスト教の神を無意識に信仰してきました。 その無意識の信仰に違和感を感じたのは小学5年の時です。私は根っからの松井秀喜ファンで小学生時代は自他共に認める野球少年でした。しかし、その野球を捨てねばならない状況になってしまったんです。それに加え、一般的な恋愛さえも否定されていました。 私の青春を完膚なきまでに破壊され(ex1:恋愛→生の不道徳という考え、また異教徒や無宗教との繋がりは極力避けるようにという教えから。ex2:部活道→週に宗教の集まりに3回出席しなければならず、それに加えて宗教を広く伝えるという奉仕活動にも参加しなくてはならなかった)、この世に自分の生きていくことを肯定できるものが一切なくなってしまいました。 また、キリスト教の教えは私を二重に苦しめました。キリスト教の教え(愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、親切、温和、自制などを身に着けること、暴力、性の不道徳などを否定すること)が私にはどうしてもできず、ペシミスティックになってしまうのです。 小学生の時にもう宗教を辞めたいと母に直訴しましたが、泣きつかれてどうしようもありませんでした。 それから、ぐだぐだと高校時代まで続けましたが、もちろん生の肯定できるものは何も生まれませんでした。 高校の途中でこのままでは死ぬしかなくなると思い、宗教から脱退しました。しかし、そこに見えたものは絶望でした。 この世界は私が教えられていた善悪の判断をほぼ否定した世界であり、その社会のルールは表向きは道徳を基本として形成されていますが、誰も道徳を守っていないという矛盾の世界でした。(社会が認める道徳的であることは利己心・虚栄心・狂信・私利私欲に使われているので結局は道徳的ではない) 私の心の中にはきれいごとが住みついていて、世の中の一切を無意識に否定します。その否定してしまった自分を否定してしまいます。 宗教に戻ればいいではないかと思われるかもしれませんが、憎しみがあるので無理です。 私はどのようにしたら生の肯定をできるでしょうか??
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
みんなの回答
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
えぇっと、議論を意図していると取られると削除されますのでお気をつけて。 >>平均が絶対ではないと考えるかもしれませんが、この際、問題は社会性ですから他人を参照することに問題はありません。 今の社会が正しいと思っている人はあまり多くないと思います。人間はシステムに支配されていると思っています。 平均をとって何が客観的だとわかるのでしょうか?? 今の社会が完璧であると思っている人はまずいないと思いますが、だからといって正しくないと思ってる人が多いわけではありません。 「不満があること」に注目すれば、常になんらかの不満はあるのは当然で、その中にはエゴもあれば勘違いもあります。不満は社会のバランスを正すきっかけになるものであり、より良い社会にするためのきっかけになるものです。注目すべきは、その不満の「中身」です。不満の中身が、深刻である場合、なんらかの危機がどこかで発生していることを意味します。 今の体制が全く一般の人に対してメリットをもたらしていないなら、なんらかの激しい戦いが継続しているはずですが、そういうイデオロギーは数十年前に民衆の支持を失い、一部の者だけが細々とやっているに過ぎません。 そういうことを統計から知ることには意味があります。それも民主主義の根本の理念です。(不満がなければそれで良いという安直な発想ではあるが、うまく機能することも確か) >>核戦争は起こってませんね 核爆弾を使った戦争って意味で使わせていただきました。 作られた爆弾の数からすれば、かなりの抑制がなされてきたと言っていいでしょう。「核戦争」といえばセンセーショナルで人の注意を引けるという気持ちはわかりますが、それでは無節操に核爆弾が使われたと主張しているように取れます。公平に考えてみましょう。 >>この定義に従うとすると、第二次大戦ごろには挫折してました。 殺し殺されすぎて資本が枯渇しかけたからでしょう。 ちょっと違いますね。資本主義は資本が循環しなければ成り立ちませんが、循環にはピラミッドの下の層も含まれるわけです。よって、下の層の人たちにとってなんのメリットもないなら、循環が阻害されるわけです。 ですから、資本主義そのものに、「参加者全員にメリットがある」ことが内包されているのです。 なので、社会的に阻害される人たちが声をあげ、反抗することで資本主義は修正され続けます。 >>欠点があったんで修正されたってところでしょうか。現在も修正され続けていると思いますけど。 大企業や資本家にはいいように解釈されて修正されてますね…。 具体的にわからないので何がいいたいのか理解できないですけど。 あなたのスタンスはリベラルに傾いてると思います。一つ一つの事象が机上論的に画一に捕らえているように思えますし、世の中を捉えて言葉をあてはまめるのではなく、センセーショナルな言葉に当てはめて世の中を見ているように思えます。物事には中間の状態、現在進行中の状態があるし、あたり前と思ってることの中には、他の人のたゆまぬ努力でなんとか保っているといったものもあります。もちろん、中の人は頑張っているわけだし、社会というのはそういう頑張ってる人たちが沢山居ます。そして、頑張っている人たちが報酬を求めるのは当然のことであるという、極自然な人間としての営みを考えてみたほうがいいと思います。 大企業の構成員は決して少なくないし、別に彼らが貴族的な生活を送っているわけでもないし、下のものに反抗されればたちまち困った立場に追い込まれるのは、企業以外の社会と全く同じです。(より、洗練されてはいますが) 資本家といっても、今の資本家は大衆です。年金も、貯蓄も、子供の貯金でさえ資本として回転していますし、普通の家庭では貯蓄を投資信託に回す傾向がはっきり出てきています。 あえていうなら先進国の国民全員が資本家です。あなたもその一人です。世界一の金持ちの持つ資産と、アメリカや日本の国民全員が持つ資産を比べてみてください。 それと、人には仕事が必要です。同じ仕事をするなら効率よくやったほうが幸せになれます。「効率よく働く」ということと「こき使う」ということは、紙一重です。ゆるゆるの経営をしていたら企業が没落していくのは毎日のニュースを見ていればわかると思います。つまり、この問題は、高度に最適化され、バランスしていなければならないことで簡単ではありません。こういった点もリベラルの目で見ていると見えてこない点です。 差別主義は理解を生まず、分裂を生むだけです。団体にいかなるレッテルを貼ろうが、中を構成しているのは同じ人間です。 >>キリスト教の歴史的役割は終わったって言うことなのでは?教義を詳しく知らないのですけど、資本主義に引き継がれているのではないかという気がしますけど。 引き継がれたというか、お守りみたいになった感じです。困った時の神頼みって感じです。信仰の厚い人は違いますが、資本家などはそうでしょう。彼らは金儲けは神が認めたと信じています。 神の話は意図してません。大事なのは、日々の生活について「あぁしなさい、こうしない、こう生きなさい」という教えです。それらは、人間としてより良く生きるための知恵の蓄積であったりするのですが、若い人には「古臭い説教」と聞こえて受け入れられないですよね。 資本家というのが誰のことを言ってるのか知りませんが、経営者ということなら、悩んだ末、宗教に救いを求める人は少なくありません。それは、宗教に知恵があることに気がついたからです。 >>どうせ自分も人間なんだから、とりあえず、それでいいということで宜しいのでは? 自分が人間であることを肯定できない(生きててよかったと思えることがない)ので妥協できないのでしょう。 「自分はなんの苦労もしなくても、世界平和が保たれてしかるべきで、それは煩く言って要求すれば実現するのだ」と思ってる限りはそこにしか行き着かないでしょうね。結局、そういう人たちは他人の労力 (保護) の上に胡坐を書いているだけだと思いますが。 文句があるなら、周囲を説得し、より良い世界を目指せばよいのです。キリスト教であっても、先人はそうしてきましたよね? >>おいくつかはわかりませんが、 21です。 一番悩む時期かもしれませんね。 出来たら、全く違ったスタンスに立ちながら、そういう話を一晩中でもできる友達がいるといいんですけどね。相手の考えに同調できなくても、得るものはあります。 >浅い知識で恐縮ですが、マルクス主義から構造主義・ポスト構造主義に移行する中で人間が考える真理ってものは存在しないってことが証明されたのではないでしょうか? それでもいいんですけど、日常生活の中では、誰しも自分が真理と信じるものをもっています。ただし、それが一生のうち何回かは崩壊すると思いますけど。 絶対揺らがない真理は存在しないという解釈はそれで構いませんけど、だからといって真理を求めることに意味がないわけではないです。なぜなら人間は日々判断を下しながら生きているからです。(判断しない人もいますが、それは幽霊のような存在するのかしないのかわからないような人生になってしまいます) >>>宗教は必然的に政治と絡むと思ってますが、 >政治に絡まない宗教も一応あります。僕の前の教団がそうだったので、また一般的な宗教の政治批判では納得できないんです…。 あえて言うなら、政治に影響しないものはないというか、、、 わたしの知る範囲では、全ての宗教が歴史の浅いうちは政治に深く関与しています。どこかで政治と決別すると、隠遁生活者の集団みたいになっていくんですけどね。 >>宗教には、より良く社会を動かしていこうという知恵が詰まってると思います >言い分もあるでしょうし悪い分もあるでしょう。キリスト教や仏教も基礎的なところでは、禁欲主義や隣人愛や楽園思想など、共通の部分がありますが、資本主義と対立するものが多いです。(禁欲主義⇔消費社会、隣人愛⇔競争主義) そうですね。伝統的な宗教は、エネルギー文明を前提としてないので、それが良いバランスであるというのは知恵なのでしょう。 資本主義も、別に無駄遣いを奨励しているわけではなく、黎明期には「もっと開放されるべきだ」という主張もあったのでしょうけど、ご存知のように本日においては禁欲の日々ですし、隣人愛 (環境とかボランティアとか) も叫ばれてます。 バランスする位置が違うだけで似たようなものだと思いますけど。 日本とキリスト教社会の違いでよく言われるのは、自然崇拝の部分ですね。 いろいろ話を聞いてみると、あなたの悩みはキリスト教特有の話ではないという気がしてきます。わたしは無神論者ですが、あなたと同じようなことを考えていました。 世の中は人間のたゆまぬ努力がないと、野生に帰ってしまうのです。資本主義的に言うと、ユートピアは無料ではありません。
- q-type
- ベストアンサー率17% (437/2543)
こんにちは No.4です ところでyukikkusu55さんはおいくつなのでしょうか? 仕事とかの都合もあるかと思いますが、少し実家から遠退いてみてはいかがでしょうか? 平日はダメでも休日フラッとどこかへ行くとか・・・ 見知らぬ農村漁村、ナンでも良いかと思います とにかく自分の家族という狭い世間から脱出する事から始めませんか? 自分自身の答えを見つけようと新たな一歩を踏み出し自分の意志で脱退したのに未だ呪縛から逃れられていないように感じます イキナリ全てをこなすのではなく、自分自身をお母様の呪縛から解き放つ事から始める必要があるように感じます それから自分の生きる意味の答えを見つけても遅くは無いと感じ前回そのように書かせていただきましたが私の日本語がつたないので伝わり難かったようですね 死から学ぶ・・・ 己が死は終わりでしかないですが、他の方の死からは学ぶ事はあるように感じます。 悩んでも1時間、歩いても1時間なら環境を変えてみる事が何かのキッカケになるかもしれませんよね? 白球にがむしゃらだった野球少年の頃のように、何も考えず汗を流し歩を進めてみてはいかがでしょうか?
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
>自分自身を客観視はできないですね…。 出来ますよ。出来るだけ多くの他人と比較すればよいのです。統計も使って。 平均が絶対ではないと考えるかもしれませんが、この際、問題は社会性ですから他人を参照することに問題はありません。 >資本主義は帝国主義や核戦争を生み出しました。物質主義も併発しています…。 核戦争は起こってませんね。 帝国主義については http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9 この定義に従うとすると、第二次大戦ごろには挫折してました。 欠点があったんで修正されたってところでしょうか。現在も修正され続けていると思いますけど。 >キリスト教は教義なんてなんでもよくなって好きなことなんでもやってましたけど…。 キリスト教の歴史的役割は終わったって言うことなのでは? 教義を詳しく知らないのですけど、資本主義に引き継がれているのではないかという気がしますけど。 >そうなんですよね~。人間は何も真実をしらない。勝手に解釈してるだけと考えると負のスパイラルです。 どうせ自分も人間なんだから、とりあえず、それでいいということで宜しいのでは? おいくつかはわかりませんが、まだ学ぶことがあるということは、自分自身がより真実に近づけるということですよね。死んだらそこで終わりです。 >precogさんの意味することを自分なりに捉えると、 >『人間が本質的に解釈できないのは、わかった。でも、それでは生きていけないし、生物はいずれ死ぬ。人間は自分自身をコントロールできないし他人もコントロールできない。それを人間は知ってしまった。人間は孤独である。でも、一人一人その孤独をそれを乗り越えるもの(他人との一体感や個人的な美とか?)があるからそれは肯定しよう』 って感じですか??(違ったらすいません) 多分、逆かな。人間は本質を知っているが、それをうまく活用できていない。なぜなら、人生における様々な学びが実は網の目のようにつながっていて、いつも真理に近づくより良い解が見つかるからだ。って感じですかね。で、100%でなくても、生きていけるし、100%でないコントロールも出来る。 >>死を絶対のものと考えると、その考えが拡大して全てを飲み込みます。恐怖は人間の思考を停止させ、物事が全て平らに見えてしまい、重要さの区別がつかなくなってしまいます。 >僕は死から学ぶものがあると思っています。人間は生と死を分裂させてしまったことにも問題があったのではと思っています。 そうなんですけど、死を一つのもの、単一のものとして考えるとその一点に飲み込まれるということです。例えば生物の寿命は遺伝子に組み込まれているといわれています。 >>対外的には宗教でも政治思想でも戦う相手が居るわけで、人を殺すことも辞さないわけですが、その内部に属するものに対しては安全を保証するための仕組みです。 >宗教が政治と結びつくとそうなるでしょう。 宗教は必然的に政治と絡むと思ってますが、それはおいといても、宗教には、より良く社会を動かしていこうという知恵が詰まってると思います。 例えば「許し」について、宗教で学ばずに自然に気がつくには随分年を取らねばなりません。
お礼
回答ありがとうございました。補足欄に新たなカキコミをしまし た。よかったらよろしくお願いします。
補足
回答ありがとうございます。 >>平均が絶対ではないと考えるかもしれませんが、この際、問題は社会性ですから他人を参照することに問題はありません。 今の社会が正しいと思っている人はあまり多くないと思います。人間はシステムに支配されていると思っています。 平均をとって何が客観的だとわかるのでしょうか?? >>核戦争は起こってませんね 核爆弾を使った戦争って意味で使わせていただきました。 >>この定義に従うとすると、第二次大戦ごろには挫折してました。 殺し殺されすぎて資本が枯渇しかけたからでしょう。 >>欠点があったんで修正されたってところでしょうか。現在も修正され続けていると思いますけど。 大企業や資本家にはいいように解釈されて修正されてますね…。 >>キリスト教の歴史的役割は終わったって言うことなのでは?教義を詳しく知らないのですけど、資本主義に引き継がれているのではないかという気がしますけど。 引き継がれたというか、お守りみたいになった感じです。困った時の神頼みって感じです。信仰の厚い人は違いますが、資本家などはそうでしょう。彼らは金儲けは神が認めたと信じています。 >>どうせ自分も人間なんだから、とりあえず、それでいいということで宜しいのでは? 自分が人間であることを肯定できない(生きててよかったと思えることがない)ので妥協できないのでしょう。 >>おいくつかはわかりませんが、 21です。 >>人間は本質を知っているが、それをうまく活用できていない。なぜなら、人生における様々な学びが実は網の目のようにつながっていて、いつも真理に近づくより良い解が見つかるからだ。って感じですかね。で、100%でなくても、生きていけるし、100%でないコントロールも出来る。 何故人間は本質を知っているといえるのかが疑問です。 浅い知識で恐縮ですが、マルクス主義から構造主義・ポスト構造主義に移行する中で人間が考える真理ってものは存在しないってことが証明されたのではないでしょうか? >>宗教は必然的に政治と絡むと思ってますが、 政治に絡まない宗教も一応あります。僕の前の教団がそうだったので、また一般的な宗教の政治批判では納得できないんです…。 >>宗教には、より良く社会を動かしていこうという知恵が詰まってると思います 言い分もあるでしょうし悪い分もあるでしょう。キリスト教や仏教も基礎的なところでは、禁欲主義や隣人愛や楽園思想など、共通の部分がありますが、資本主義と対立するものが多いです。(禁欲主義⇔消費社会、隣人愛⇔競争主義)
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
いろんな人と話してみるのがいいかもしれませんね。 補足欄に書くとメールが来ないので、回答欄に書き込んでいただければ反応できます。 >>>つまり、あなたは誰かが「こう思わせておけば世の中がよくなる」と感じたことを習ってきたわけですよね。で、それが当然 (ゼロ点) なんだと思うほどその教義は成功していた (あなたの周囲では)。 >世の中がよくなるとかではなく滅びの日に救われるってことだったと思います。(確か・・・) それは、各メンバーから見れば、全体の話なんて知るかってことになっちゃいますから、エサとして個体のエゴで引っ張る必要があるからです。わたしが言ってるのは、客観的な解釈というか、本当の(宗教の)存在理由です。 簡単に言うと、なぜ教祖 (教会本部?) が熱心に教えを説くのかという行動理由にあたる部分です。 >>>知った順番と逆に考えれば良くわかる話だと思うんですが、、、 >う~ん・・・。わかっているのですが、精神が受けつかないんです。なんででしょうね~。生を肯定できないからまたは青春時代にできなかった抑圧が投射されているのでしょうか・・・。 今までやってきたことが無駄であると認めるのは誰しも困難です。もう一つは、欲求には段階があって (マズローの欲求モデル参照) 高次の欲求に上ろうとする際に必要な土台というものがあるんですが、それを疑うと生き方が根元から揺すぶられます。自我の崩壊を予感するので認めたくなくなるんですね。 こう考えればいいでしょう。 あなたの考えが(知識)変わったからといって、世の中が変わるわけでもなんでもない (しばらくこのまま同じやり方でもすぐには変調をきたさない) という事です。 それと、安全保障に関しては、誰しも若いときには無視しているもので、年を取り、大人になるに従って考えなければならない範囲も増えてくるのです。急に出来るようにならなくても、差し迫った危険はありませんよ。 それから、若いときにやりたいことなんて、誰も100%は出来てません。なぜなら「やりたいこと」そのものに無理があったり、矛盾してたり、多大な努力が必要なことを無視していたりするからです。 今、自分が持っているものを客観的に評価しましょう。 >資本主義という人間を商品のように扱って、人間と人間との間の関係を悪化させるイデオロギーの世界に、野生が原点という考えとは別の違和感があるのかもしれません。 資本主義は野生とは対極ですよ。宗教よりも無理がない (野生の仕組みをうまく利用している) という意味で洗練されては居ますけど。 資本主義は人間関係を悪化させるものではありません。 宗教の時代には、気に入らない相手は殺すしかありませんでしたし、今も宗教に引っ張られて殺人を繰り返す人たちはいます。しかし、資本主義はそれを否定します。 殺し合いをしても不毛なので、お互い別のところで勝負しましょうということですね。 しかし、争いそのものを「良くない事」として隠蔽化していくと、組織の腐敗が始まってろくなことになりません。これも歴史が散々証明済み。 >>>根本の話をすると、生物が生きている意味なんてないんです。 >僕は、人間には意味があるとかないとか世界を俯瞰できないと思っています。 もちろん、それで思想的にもつなら構いませんけど。 動かすポイントを沢山持つことは柔軟性につながりますが、固定しておくポイントがないと思想が不安定になるし、毎日生きてて疲れますよ。 ただし、イマイチなポイントで思想を固定していると限界が来ますので、そのときは柔軟によりよいアンカリングのポイントを探すことになりますね。 今はあなたは「イマイチだ」と思ってるわけですから、よりよいポイントを探さねばならないのでは? であれば、個別に「これについては○○で、こっちについては△△で、、」と論じてたらいつまでたってグルグル回るだけですよ。全てはつながってるのですから、一つ一つ現状肯定してたらまた元に戻ってくるだけです。思想全体を客観視しましょう。 >>>従って、生物どうしには厳しい生存競争があります。進化の過程を勉強すればこれがいくつかのステージに分かれていることがわかると思います。 >進化論は遺伝子から進化の時期がわかりますが、根本的になぜ進化したのかはわかってませんよね!?(間違ってたらすいません) わかってますよ。というか、それには意味がないという考え方です。自然淘汰によって導かれるということですね。 >>>ネアンデルタール人と人類の差は、論理的思考が出来る脳を持ったことにあります。それによって知恵の蓄積が可能になったわけですね。これが宗教やら道徳です。 >それで人殺しして、自ら死を選び、世界を破壊するようになったとは皮肉ですね・・・。 死を絶対のものと考えると、その考えが拡大して全てを飲み込みます。恐怖は人間の思考を停止させ、物事が全て平らに見えてしまい、重要さの区別がつかなくなってしまいます。 対外的には宗教でも政治思想でも戦う相手が居るわけで、人を殺すことも辞さないわけですが、その内部に属するものに対しては安全を保証するための仕組みです。 つまり、戦いや死をより少なくするための仕組みが宗教であり、政治思想です。成功してるか失敗してるかは別にして。(人のやることですからね) より高次元な概念に触れることで、目の前の矛盾は解消します。
お礼
回答ありがとうございました。補足欄に新たなカキコミをしまし た。よかったらよろしくお願いします。
補足
回答ありがとうございます。 >>補足欄に書くとメールが来ないので、回答欄に書き込んでいただければ反応できます。 お礼には文字制限があるのでこちらに書かせてもらいます。 >>エサとして個体のエゴで引っ張る必要があるからです。 宗教のスタートのことをおっしゃっているのでしょうか? まぁ~確かにルサンチマン状態で信じている人もいるかもしれませんね。 神がいるかいないか証明できないのでなんとも言えません。 >>簡単に言うと、なぜ教祖 (教会本部?) が熱心に教えを説くのかという行動理由にあたる部分です。 神(仏)がいると個人的な経験で確信したからorニーチェのいうように価値を転倒したかったからor楽園(浄土)を意識することで信じないられなくても生きやすくするためorただの金儲け >>今までやってきたことが無駄であると認めるのは誰しも困難です。もう一つは、欲求には段階があって (マズローの欲求モデル参照) 高次の欲求に上ろうとする際に必要な土台というものがあるんですが、それを疑うと生き方が根元から揺すぶられます。自我の崩壊を予感するので認めたくなくなるんですね。 現実的に理解しにくいので、難しいですね・・・。 >>今、自分が持っているものを客観的に評価しましょう。 自分自身を客観視はできないですね…。 >>宗教の時代には、気に入らない相手は殺すしかありませんでしたし、今も宗教に引っ張られて殺人を繰り返す人たちはいます。しかし、資本主義はそれを否定します。 そうでもありませんよ。オスマン帝国やローマ帝国は共存していました。 資本主義は帝国主義や核戦争を生み出しました。物質主義も併発しています…。 >>しかし、争いそのものを「良くない事」として隠蔽化していくと、組織の腐敗が始まってろくなことになりません。これも歴史が散々証明済み。 それもそうなんですよね。理性的に考えた挙句作ったシステムのマルクス主義も結局は独裁国家になってしまって理性でコントロールできなくなったし…。 キリスト教は教義なんてなんでもよくなって好きなことなんでもやってましたけど…。 >>動かすポイントを沢山持つことは柔軟性につながりますが、固定しておくポイントがないと思想が不安定になるし、毎日生きてて疲れますよ。 そうなんですよね~。人間は何も真実をしらない。勝手に解釈してるだけと考えると負のスパイラルです。 >>ただし、イマイチなポイントで思想を固定していると限界が来ますので、そのときは柔軟によりよいアンカリングのポイントを探すことになりますね。 precogさんの意味することを自分なりに捉えると、 『人間が本質的に解釈できないのは、わかった。でも、それでは生きていけないし、生物はいずれ死ぬ。人間は自分自身をコントロールできないし他人もコントロールできない。それを人間は知ってしまった。人間は孤独である。でも、一人一人その孤独をそれを乗り越えるもの(他人との一体感や個人的な美とか?)があるからそれは肯定しよう』 って感じですか??(違ったらすいません) >>死を絶対のものと考えると、その考えが拡大して全てを飲み込みます。恐怖は人間の思考を停止させ、物事が全て平らに見えてしまい、重要さの区別がつかなくなってしまいます。 僕は死から学ぶものがあると思っています。人間は生と死を分裂させてしまったことにも問題があったのではと思っています。 >>対外的には宗教でも政治思想でも戦う相手が居るわけで、人を殺すことも辞さないわけですが、その内部に属するものに対しては安全を保証するための仕組みです。 宗教が政治と結びつくとそうなるでしょう。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
ご質問文を読んでいて感じるのは、よく言えば一途な精神といいますか、別の表現を使えばあまりに固定的な視点、あるいは狭い視野です。 海はきれいだなあ、と思って海に飛び込んで泳いでいたら、犬の死骸やら、プランクトンの死骸で埋め尽くされる海面や、流出した油にまみれて飛べなくなった海鳥や、血に染まる食物連鎖やらを目にして、ほとほと参ってしまっている。 という状況によく似ているように感じます。 キリスト教など宗教における純粋性は尊いとは思いますが、あまりに一側面からより物事を解釈しようとしない、という点が唯一の誤りではないかと考えます。 その影響が多少残っているのかもしれません。 絶対的なものがあるとすれば、それはおそらく「混沌」であり、「矛盾」というものではないだろうか、という気がします。 つまり、絶対的なものがあるとすれば、それは常にバランスをとろうとしているはずだ、ということです。 「こうだ!」というのではなく、「こうであったり、ああであったり」常にそのバランスをとりつつ混沌とうねる海のように、真実はたゆたうものではないでしょうか。 極端から極端に振れている状態と感じます。 中庸ということについて思いをいたしてみてください。
お礼
回答ありがとうございました。補足欄に新たなカキコミをしまし た。よかったらよろしくお願いします。
補足
>>よく言えば一途な精神といいますか、別の表現を使えばあまりに固定的な視点、あるいは狭い視野です。 確かにそれは感じます。みなさんの意見を伺って感じたのは、生の肯定(人間でよかったという思い)がないから、色々な矛盾を否定せざるをえなくなってしまうのではないかと・・・。 今住んでいる地球は人間の解釈で構成されてます(言葉ってもの自体が解釈ですし) 環境問題だって人間が勝手に解釈してるだけで、根本的に環境にいいとは確定できない。木を切って畑や田んぼを作ることがそもそも環境破壊→人間がいない方がいい。 人間を肯定できないと厳しいですね・・・。 >>海はきれいだなあ、と思って海に飛び込んで泳いでいたら・・・ う~ん・・・。海がキレイだから豊かとは限らない。あらゆる生物が大量に共存している海がいい。つまりちょっと汚れているほうがいい。それは正しい気がする。それをわかっていながら人間は自分を満たすために排他的になっている。それで人間自身も根本的に満たされていない・・・。それで自滅しそう。 人間自身が負のスパイラルに陥っている気がするんです。 >>キリスト教など宗教における純粋性は尊いとは思いますが、あまりに一側面からより物事を解釈しようとしない、という点が唯一の誤りではないかと考えます。 生きていることの肯定ができたらいい意味でどうでもいいやって思えると思うのですが・・・。それができないときびしいようですね。
- winngu11
- ベストアンサー率20% (169/810)
NO7です。 そうですか・・・。 まぁ、神様はいると思っても思ってなくても自由意志ですよ。 けど、これはあなたが正の肯定をできなくなったのも仕方ないかもわかりません。 それは、ご両親(お母様)があなたの尊厳をほとんど無視してるからです。 あなたが何故お付き合いされるたびに自暴自棄になってしまうか。 これは親御さん(お母様)?との関係がとても左右してると思います。 あなたは、あなたに宗教というレールを敷き、自由を奪い、尊厳を無視する親に怒りを感じてませんか? 宗教に入らないからと言って、やみくもに泣きちらし、その道からはずれれば、あっけなく見捨てようとする。 これが親でしょうか? 私もそんな風にされたら、きっと怒りが収まりません。 あなたは怒っていいと思いますよ。 今まで、それほどに親はあなたを縛り、尊厳を無視してきました。 今、あなたがどうすれば生への意欲を取り戻せるのか・・・。 親御さんに聞いてみたいです。 あなたは、お子さんを自分のために育ててませんか? ちゃんと見て、エゴを捨て、自分のためでなく、彼のためを思い、 優しく見守って、生き方に口出ししないでください。 それが本当の親の愛です。
お礼
回答していただきありがとうございました。
- winngu11
- ベストアンサー率20% (169/810)
あなたはとても信仰心の強い方なんですね。 けれど、この世に神様はいると思いますか? 私は、無宗教者ですが、神様はいると思いますよ。 神様は、宗教とはまた違うものだと思います。 宗教とは、政治的な要素もからみ、いろんな形でゆがめられてきました。もちろんキリストやブッタなど、悟りを開いた方はいると思います。 けれど、信仰というのは、相手を規制する形で歪められてきました。 なぜかというと、団体は人を束縛する力と、資金が必要だからです。 今のあなたは、宗教を憎んでいます。同じくらい、神様を愛し、信じているのです。神は、たとえあなたが憎んでも、私利私欲に生きても、あなたにとって本当にそれが本当に必要なら、喜んで認めます。 そして、あなたが私利私欲に走り、また挫折し、人間として成長していくことを、神は黙って寄り添い、見つめています。 神は束縛ではないのです。開放し、すべて許すのです。 あなたは、あなたの思うように生きていけばいいのですよ。 あなたが、生きることに幸せを感じ、生きて経験を積み、より成長するのが神の願いなのです。 お母さんのことですけれど、彼女も宗教の中で束縛され、生きた人間なんです。まだまだ親としても未熟で、親としてでなく、クリスチャンとしての戒律を意識してしまいます。 けれど、まだ未熟な人間として、あなたに戒律を求めることも許してあげてくれませんか? それが神の心です。 あなたが、宗教のことをまだまだ意識するのならば、今の宗教の、自分が納得できる部分だけ信じて、おかしいと思うところはみんな捨ててください。 あなたが神様を信じ、祈って生きることは、何も厳しい戒律の宗教に入らなくても、いつも見つめ、そして許し、生きることを応援していると思います。
お礼
回答ありがとうございました。補足欄に新たなカキコミをしまし た。よかったらよろしくお願いします。
補足
回答ありがとうございます。 >>あなたはとても信仰心の強い方なんですね。 そうでもないと思います。マインドコントロールされたものが心の中のどこかに残っているだけだと思います。恋愛は禁止されていましたが、隠れてつきあったことが3回ほどあります。でも、付き合ったとたん自暴自棄になるため全て2週間以内に別れました・・・。そんな感じのが沢山あります。根は真面目ではないんです。 >>けれど、この世に神様はいると思いますか? うーん・・・。神様はいないと思います。 神様はいないけど、何か人間にはコントロールできないものやエネルギー、また自然法則など全てを神っぽいとは思います。(ただ超越した存在ってことです) >>お母さんのことですけれど、彼女も宗教の中で束縛され、生きた人間なんです。まだまだ親としても未熟で、親としてでなく、クリスチャンとしての戒律を意識してしまいます。 けれど、まだ未熟な人間として、あなたに戒律を求めることも許してあげてくれませんか? いまのところ無理ですね。
- oukasei
- ベストアンサー率9% (5/51)
信仰はすばらしいと思う人間です。 自分を励まし支えになってくれた分の愛をわすれなければ常に宗教を意識する必要はないのです。 しんじたからこそよかった過去をみとめて憎しみを無理に捨てる必要はないです。自然体で神でもなんでも感謝すれば幸せになれると思います。 自分を否定なんてとんでもない! 世俗にまみれようが欲のかたまりになろうが生きている今、これからをよりよくすべく自分を信じてあげる「べき」です。 キリストの教えのよいところをわすれず自由に生きてください。 七福神もお釈迦様もアラーの神もあなたのミカタです。
お礼
回答ありがとうございました。補足欄に新たなカキコミをしまし た。よかったらよろしくお願いします。
補足
回答ありがとうございます。 >>自分を励まし支えになってくれた分の愛をわすれなければ常に宗教を意識する必要はないのです。 愛よりも憎しみが遥かに凌駕してしまうので生の肯定ができません。 >>しんじたからこそよかった過去をみとめて憎しみを無理に捨てる必要はないです。自然体で神でもなんでも感謝すれば幸せになれると思います。 そのようなものはない気がします。 >>世俗にまみれようが欲のかたまりになろうが生きている今、これからをよりよくすべく自分を信じてあげる「べき」です。 自分を信じることは他人を信じることよりも難しいですね・・・。
- h1r0s13
- ベストアンサー率12% (61/497)
いよいよ地球に高等生物が住めるようになったとき、先進地金星からエル・ミオーレという巨大霊が、九次元を創り、多惑星から射手座の九次元意識アモール(イエス・キリスト)、白鳥座のセラビム(孔子)、蟹座からモーリヤを招待しました。このエル・ミオーレという方が、後の釈迦とよばれました。 ところで、私個人の意見としては、2000数年前の人に説いた話が、今の世に通じるはずがありません。しかも都合のよい改ざんをしていることは明白です。たった3年でそんなに説けるはずがありません。だから彼は「愛」だけを説いたのです。 西洋ではイエス・キリストとして現れ、東洋では彼は阿弥陀如来と称されております。とき、ところが変われば名も変わります。憎しみの対象はその誤った教えにあります。これでお分かりでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました。補足欄に新たなカキコミをしまし た。よかったらよろしくお願いします。
補足
回答ありがとうございます。 専門家とのことですが、宗教の専門家でしょうか?人生相談の専門家でしょうか?? >>しかも都合のよい改ざんをしていることは明白です。 宗教が根本的に真実かどうかはどうでもいいです。信じたい人は信じたくない人は信じなくていいと思います。 僕が思うのは、自分の道徳の軸が世の中の道徳の軸と合わない。自分の道徳の軸では辛い。でも、自分の軸がどこが間違っているのか??また、世の中の軸も違っているのではないかと思ってしまう・・・。
- q-type
- ベストアンサー率17% (437/2543)
「清水に魚住まず」という諺御存知でしょうか? 調べてみて下さい よく「道徳心」という言葉を耳にしますが、決まった形ではなく道徳心って人ソレゾレ生きてきた人生の積み重ねなのかもしれません。 だからいろんな道徳心があるのでしょうし、yukikkusu55さんが受け入れられない道徳心があるのかと思います それと「自分自身の道徳がもしかしたら違ってるのかも?」というお考えは浮かばなかったのでしょうか? 御自身が苦しめられた宗教からの道徳観なら尚更そのようにお考えできませんか? 自分と異なる道徳心を全て否定するのではなく認める肝要さが必要であり、「認める事=同じ道を歩む」でも無いかと思います まぁ「あまり深く考え過ぎないように・・・」って事でもありますが・・・ 絵の具が白か黒だけではなくいろんな色があるように、時には赤や黄色にも目を向ける必要があるように思います。 個人的には「キリスト教が遠い昔何をしたか?」を考えると手放しの盲信は良くないと感じてます 「生きる」の意味を知る良い機会なのかもしれませんね
お礼
回答ありがとうございました。補足欄に新たなカキコミをしまし た。よかったらよろしくお願いします。
補足
>>よく「道徳心」という言葉を耳にしますが、決まった形ではなく道徳心って人ソレゾレ生きてきた人生の積み重ねなのかもしれません。 うーん、なるほど。 >>それと「自分自身の道徳がもしかしたら違ってるのかも?」というお考えは浮かばなかったのでしょうか? 思っています。だから、悩んでいます。 >>自分と異なる道徳心を全て否定するのではなく認める肝要さが必要であり、「認める事=同じ道を歩む」でも無いかと思います う~ん。そんなことができたらすごいですね。 人間は何か孤独な存在で周りと何か一緒でないと気がすまない性質を持っていると思っています。マスコミで洗脳されて、似たりよったりの生活をせずにはいられないのではないかと思います。そして、その共通項があるからこそちょっと違う自分を少し見せれるのではないかと・・・。 >>個人的には「キリスト教が遠い昔何をしたか?」を考えると手放しの盲信は良くないと感じてます キリスト教といっても新興宗教なので戦争には関係ないです。(なんでフォローしてるかわからないが、フォローしときます) >>「生きる」の意味を知る良い機会なのかもしれませんね 個人的には生きる意味はないと思っています。でも、それでも生を肯定するなにかがあれば・・・と考えています。
- 1
- 2
お礼
回答ありがとうございました。 現代の社会は人間が介入できない見えざる手が勝手に決めるシステムですから、人間はどうしようもないのですね・・・。 社会が巨大化してしまって、人間はその駒の一部でしかない…。そこから自分勝手に可能性を見つけたり、他の人たちを妥当性を作りだし客観性なんてものだと信じ込むことで、人間のもっている孤独(死や衰え、精神的孤独など)を紛らわしているのだと思いました。 結局は妥当性を作れるかどうかなのですね。妥当性を作ることも苦悩なら、発狂するか、死を選ぶしか選択はないのだと思いました。