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哲学における「笑い」について
哲学における「笑い」に関して、三点質問させてください。 ・「笑い」について哲学的に考察している本、あるいは本の中にそうした一説のあるものを教えてください。伝統的な哲学者であればあるだけ良いですが、そうでなくても構いません。日本語で読めるものが望ましいのですが、英語でもいいです。 ・「笑い」の哲学史をざっと俯瞰できるような本、ウェブサイトなどあれば教えてください。 ・ベルクソンの「笑い」の英訳版は存在するかどうかを教えてください。また、存在するのなら、入手方法も教えていただければ幸いです。 以上です。身勝手な質問ではありますが、ご協力いただければ幸いです。
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一つ目の質問だけですが、こういうのがあります。 『ヒューモアとしての唯物論』柄谷行人 講談社学術文庫 これは柄谷行人の評論をまとめたものですが、 その中に「ヒューモアとしての唯物論」があります。 彼の思想を知れば知る程おもしろく読めるし、この部分だけでも 「笑い」=ヒューモアについての今後の考察に役立つと思います。 たとえば、こんなくだり。 フロイトの考えでは、ヒューモアは、自我(子供)の苦痛に対して、 超自我(親)がそんなことは何でもないよと激励するものである。 それは、自分自身をメタレベルから見おろすことである。 (改行は回答者による) この評論の中では フロイト(フロイト著作集3「ヒューモア」) ボードレール(ボードレール全集「笑いの本質について、および一般に造形芸術における滑稽について」) などを引用したり、 スピノザ、カントと言った思想家も記述されています。 ただこの評論の中で ヒューモアとは、フロイトがいうように「精神的姿勢」であって、むしろ「笑い」とは関係がない と述べられていることも、最後に付け足しておきたいと思います。
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- arayata333
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「笑い」の語源は「和来」である(たった今勝手に作った語源楽より^^)。 >伝統的な哲学者であればあるだけ良いですが、そうでなくても構いません。< これを“私の『笑いの「哲学」』”にまで広げるのは かってすぎますでしょうか? 和来、和来♪です。どうか怒らないでしょう笑ですので読んでください。 どれだけ 状況を見つめていられるか、そういう高い地点からの哲学を獲得しているか(自分自身がです。)そのゆとりがあるか、 どうかで、 ユーモアも 愛智の見地からも 共通の「笑い」の哲学のふるさとが 野辺の道の木漏れ日の光として心に 広がっているかどうかが 決まる。(バイ・ アラヤタさん33)(作者なんてどうでもいいですがね) 真剣に生きてる時ほど、ヒョット、 こうしたゆとりが、石に躓いただけでも 箸がころがっただけでも ほのぼのと心のそこから新鮮に 明るく笑えたりもする。 (ヒョットコ踊りの名人より)→わたしです♪←どうでもいいですが。 猿から人間が進化した時の脳は 「自他 状況をみつめる」という部分が一番の進化だったそうです。 だから反省し、進歩する能力も獲得したのですが、 さらに、その能力でとうとう「言葉」まで獲得したところ、 その言葉の複雑化によって、元々の「自他」つまり 動物の本能でのゆとりなんかない仲間意識からではない「人間」としての「自他」を見つめる能力自体は、 衰えてもしまったというのが 私の自論。 その一番の 最初のゆとりの姿こそ 笑いのふるさと、 希望という名の新鮮な命、 わたしは、それを人間の赤ちゃんの顔に見つける。 オギヤヤヤヤヤアアアアアアと生まれてきた段では 猿にも劣る能力らしいところ、それがものすごい勢いで進歩し とうとう「自他を見分けるその時」お母さんの目を見て うっすらと微笑む、 その目、 これこそ 人間のふるさとじゃないですか? 本物の 純粋な 人間の笑いの世界じゃないですか? たぶん、この時 私たちの赤ちゃんは 人間としてほんとの誕生日を迎えたのです。 誕生時かもしれませんが。 え、私の誕生時、 そうそう 忘れもしません。 私の母がこっちを見てました。 大正一年一月一日午前一時11分11秒 アッハハハハハハハハハハハハハハ母母母♪ まさか(^^)。 言いたいことは 言葉や頭で考えた笑いが最高のその世界では必ずしも無いということです。 つまり 哲学書の中の笑いの哲学だけが 笑いの哲学の世界ではなくて、 それは たった今 その人その人の心のゆとりの中にもある、 生きるそのものの姿勢、町の中、森の中にもその哲学をさがせますよ、 一生懸命人間的に生きようとしてるとね。 ということなのです。 (伝統的というよりも もうよぼよぼの哲学者より) ごめんなさい。 キンちゃん世代 ドンと言っちゃってみたんですけどね。 おじゃまさまでした。
お礼
回答ありがとうございます。 笑いは生活とは絶対に切り離せないものだと思います。この回答から、新しい視点をもらえたような気がします。参考にします。
こんにちは、以前にこんな質問をしました。 http://okwave.jp/qa3254868.html ご参考になれば、、、。
お礼
ありがとうございます。そういう宗教的な視点は参考になります。
- cyototu
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笑いをユーモアと結びつけるのは、笑いに対する一側面に過ぎません。哲学的考察とは、愛智としての立場からの考察と言うこととして、参考になるものを紹介します。 三百五十年ほど前の日本の借銀の證文に、万が一返済滞るに於いては、「人中にて御笑ひ下さるべく候」と書いた物があったとうことは、有名になっているそうです。 日本人の笑いに付いて、かなり詳しい分析が柳田國男の「笑い本願」でなされています。その中で、 「日本人はどちらかと言うと、良く笑う民族である。上方あたりの人間は懇意な者の為には笑ひ、見馴れぬ人に対しては笑わぬだけの差別を立てて居るが、関東以北では無邪気な者ほど無差別に笑って居る。小泉八雲さんの『日本人の微笑』は有名なる文章である。いつもにこにこして居ることを愛嬌と言ひ、心のやさしい兆候と目して居る以外に、怒った時でも憎んだ時でも、少し笑いすぎるかと思うほど我々はよく笑う。高笑や空笑は社交の一様式をなして居る。宴会などは何でもかでも、必ず笑を以て終始することになって居る。つまり善意にこれを解説するならば、日本人は笑の価値を知って居る国民なのである。」 と書いてありました。柳田國男は哲学者ではなく民俗学者ですが、彼の実証主義的なアプローチは愛智の学問として説得力があります。参考になると思いますので、外国人の意見ばかりでなく機会があったら彼の意見も聞いて、貴方自身の哲学的考察の糧にして下さい。
お礼
ありがとうございます。日本の笑いについての考察は参考になります。読んでみます。
お礼
ありがとうございます。他の哲学者にリンクしていくものは大変ありがたいですし、取り扱われてる題材が自分の考えていることに近くて参考になります。買って読んでみます。