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鬱の人が心理学、哲学、宗教に興味を持つのはなぜ?
- 鬱の人が心理学、哲学、宗教に興味を持つ理由は、自己理解や人生の意味への探求が欲求されるからです。
- 鬱の方は自己と向き合う必要があり、心理学や哲学、宗教の考え方や教えが参考になることが多いです。
- また、鬱症状が重い場合は、宗教的な信仰が支えとなり、希望や安心感を得ることができるでしょう。
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わたしもうつ病の病歴があり、今は寛解しておりますけれど、 今度は体の病気でまた別の悩みです。 いまだに心理や宗教、精神世界のことはすごく興味もっていますよ。 よかったと思います。 考えに考えて、ある程度みえたものが、自分なりにあったんです。 自分が何に向かっているのか、人生をどうしたいか、 自分なりの答えが見えてきました。 もちろん、まだまだ旅の途中ですが、もうあの急な崖をのぼらなくていい。 考えていた時期は、一気に川を上る魚のような勢いが必要でした。 いまも病気でつらいですが、苦しもうと悩もうと、 安らかな気持ちが奥底にあるのを感じられるのはありがたいです。 今後多少のことがあっても、あまり動じないでいられるような気がしています。 肝がすわっている、と言っていただけることがあり、それがとてもうれしいです。 うつ病になったことは、 今思えば、物質中心の世界から、心の中の世界へと入るきっかけのようなものでした。 苦しまずに入れたらよかったけど、苦しかったです。 苦しみから逃れるため、状況を変える一時しのぎではなく、 最終的な安らぎをもとめての心の旅の始まりだったと思います。 逆に言えば、あれほどの心の苦しみを得ることがなければ、 私は心の旅を始めることはなかったんだろうと思います。 はげしい苦しみを通らずしてその道に入る人というのは、 最初からそういう風に生まれついたのでしょうね。 わたしは一時期キリスト教徒(プロテスタント)として教会に通った時期もありますが、 今はやめています。 当時クリスチャンの皆様、牧師さん、 トラウマから回復するためのプログラムなどのおかげで、 かなりよくなったと思っています。感謝しています。 でも、基本的にどの宗教も好きなので、考えた末、中立の立場をとることにしました。 自分のことばかり書きましたが、少しでも答えになっておればと思います。
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お礼ありがとうございます。 ポジティブ思考には変えられますよ。 ただあなたはポジティブ思考がわからないだけじゃないですか。 変えていきましょうよ。 そしたら楽しくなりますよ。
お礼
たびたびのご回答ありがとうございます。 本当にありがとうございました。 とても参考になりました。
自分もうつの最初の頃は、そういった本に凄く興味があり、片っ端から読んでいました。 それがなぜか・・と聞かれると・・、うつによって頭の中の新たな回路が開けたから・・そんな気がします・・。 もろにうつになって、そういった哲学や宗教、心理学といったそれまでからすると、抽象的な?!分野の学問が凄く身近に感じられるようになったから・・。心がとにかくそれらを求めるから・・だと思います。 心の複雑骨折によって、解らなくなった自分の感情や心理をとにかく探求したくなったから、とにかく心理や哲学や宗教を求めていたから・・そんな感じがしました・・ 幸い・・お仕事は出来られている様なので、とことん突き詰めて読まれたら良いのではないでしょうか・・とことん勉強されたらいいと思います。本が読めることはとても良いと思います。本を読んでいたら、知識も増えるでしょうし、それだけで心が豊かになると思います。状態によっては、本を読むことも出来ないときもありますから・・。 それはいつまでも続く事ではないと自分は思うので(自分はそうでした)、出来る間はとことん勉強されたら良い思います。決してその勉強は損にはならないと思いますよ。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 色々アドバイス頂き参考にさせて頂きます。 ありがとうございました。
- ma_ka_kaaaaaaaa
- ベストアンサー率0% (0/6)
僕も鬱病と、診断されました 鬱病は頭が良い人(成績が良いではありません)に起こりやすいので まあ簡単に言えばそのへんの馬鹿や、DQNにはおこりません 鬱病はひたすら生きる意味や自分の理想を求めて、信者になります なのでおかしくはないと思います 鬱病が早く良くなることを願います
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 ありがとうございました。
- nekokokosan
- ベストアンサー率2% (19/641)
居もしない神様に縋りたい人が多いのですかね
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 ありがとうございました。
心理学、哲学、宗教にすがりたい、助けて貰いんだと思います。 生きる意味、どう考えたら生きていけるのか知りたいから興味を持つんじゃないでしょうか。 鬱はとにかく考えないことが一番だと思います。 考え始めるとマイナス方向へ進むから。 考え方がネガティブ、マイナス思考なんですよね。 こんな考え方でこれから先のことを考えるからどんどん落ちていく。 答えの出せないものを一生懸命考える。 しかもネガティブ、マイナス思考で。 今を見ていきませんか。 今自分にできることをやっていきませんか。 考えてもできないことはできないんだから。 考え方がポジティブ、プラス思考に変わったら鬱とはさよならできますよ。 しかも再発もなく永遠にね。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 そうですね、ポジティブ思考に変えられれば一番いいですよね。 ありがとうございました。
- tumaritou1
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欝になる原因はその人の性格傾向がその原因です。欝にならない場合も同じです。初めに欝にならない場合を書いてみます。 その前に人間の思考方法を書いてみます。思考方法と書いていますが、本当の意味では『思考以前の問題』です、この意味は『思考そのものが発生する以前』という意味です。 人間は誰しもが『自分の心』を自分の自由に出来るものとしている場合も有るかも知れませんが、大いなる間違いです。自分の心に湧き上る、欝的な気分を嫌ってしまって『欝的なものから逃れよう』とする場合があります。その時行動を起こして行動によって他の気分になる事が出来た時、欝から逃れていますが、じっとしたままで『自分の意志の力で気分を変えようとした場合に、欝の症状が固定され始めます。』 この固定化をますます嫌う場合、ますます意識に挙がっています、この意識に上がった状態を嫌ってこの気分から抜け出そうとする場合に『完全に欝の気分から抜け出せなくなっています。』つまり症状が固定されてしまった事を意味します。 躁という気分でも同じです。つまり感情障害の固定化が決定される瞬間です。 こういった元の原因は『心に感情や考えが湧き上る本当の意味での、瞬間』人間の意識が発生する瞬間にまで遡る時に、全てが分かります。 この瞬間を上手く表現している動画がありますので、載せて置きます、じっくり見て下さい。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。 この中で語られている内容は、キリスト教に於いては『神と会って和解している最中』という意味です。仏教などでは、悟りを開いている瞬間という意味です。 禅問答の中に『父母未生以前本来の面目』という問答がありますが、この意味は『生まれる以前のお前の正体は何なのか?』と言うほどの意味です。 本当の意味は『意識が発生する前のお前は何なのか?』と言うほどの意味です。ここまでさかのぼる事が出来た時欝でも神経症でも自律神経失調症でも『完治します』それが、悟りを開く効用です。 『一切皆苦』が仏教の原点ですが、此れは『意識地獄』と言う意味です。鬱等はその際たるものです。意識している事自体が『苦』に当たるからです。 健常者と言う人達が『『一切皆苦』と言う言葉を見ても理解出来ない世界です、何故ならば苦しみも楽しみも何時でも感じていられるからですが、欝などでの生活では『その中に楽がなくなって、苦るしみだけの世界が展開しているからです。』 こういった『一切皆苦』からの解脱方法が釈迦の教えの中にあると言う意味です。悟りを開く事は『見性』と言う意味ですが、自己を徹見すると言う意味です、動画にあるような『右脳の人格』を知ると言う意味です。 こういう事が何故に起きているのかを説明したいと思いますので、言葉が足りないところは貴方自身が自分で学んで、貴方の問題を自分で解消して下さい。 人間は『苦しむように出来ているからです。』その原因は先の動画にあるように『脳の機能分化』が原因です。聖書にあるとおり人間が心休まるところがあります。それが天国ですが、いつまでも天国に住んでいられなくなる理由は、人間が成長するからです。 『幼子』が天国に一番近い存在と言う理由は、脳が未発達と言う事から『心が見ている自分一人だからです。』自分の心が争う事がないからです。 思春期頃から悩みが始まります。脳の機能分化の完成と同時にです。自分の裸を人に見せる事が出来なくなる頃、『見られている自分』と言う心が生じています。この頃から恥ずかしいと言う感情が強くなって来たり、新しい疑問が生じ始めます。『自分は何者か?或いは人生とは何ぞや?』と言った疑問が生じ始めると言う意味です。 簡単に説明するなら『右脳の意識』は『命の働き』をしている機能です。生命維持機能と言う意味です。赤子が何も学ぶ以前に『全ての生命維持機能を発揮している事から推し量る事が出来ます。』 分かり易いように、その機能を分けて書くなら、『身体としての生命体の維持機能』と、『その生命体の感情や考えを湧き上がらせる事によっての生命維持機能』と、『その生命体の行動を通じての生命維持機能』と言う役割ですが、それぞれの機能には当然繋がりがありますので、分けられない部分もあることをお断りして置きます。 思春期頃二つになった機能は、左脳の自我意識は『健在意識』として活動をしていますが、右脳の意識は『無意識の意識として』意識する自分の前から姿を隠しています。ですが毎日脳梁(意識の根底)では会話をしながら情報交換しています。ですがこの情報交換する様子は『没交渉』と言う形です。 この理由によって『精神疾患』『神経症』『難治性の心身症』の原因が特定出来ないと今の精神医学では言っていますが、一言で表現するなら『心に矛盾を抱えている事が原因です。』 普通の場合では『意識する自分』と『無意識の自分』は交替制を取りながら順調な生活がキープされています。この交替制が余りに順調に行っている為に、この交替制に気付かない人の事を『健常者』と呼んでいます。始めに書いた『性格基盤』が欝の原因ですと書いた理由が此処にあります。 欝の場合でも神経症の場合でも難治性の心身症の場合でも、その根本原因は『自分自身の心の変化に気が付いた人達』という事が出来ます、神経質な性格と表現される人とは、自分の心の『内部観察が鋭い人達』と表現出来ます。 そういった人達が感じている『漠然とした不安』或いは『生き難い想い』とは、自我意識が『自分の生命の源と戦っているからです。』心の矛盾と言う意味はこういった意味です。 ですが神経質な性格の人や、不安に成りやすい性格の人は、世の中の見方や捉え方に偏りがある人達と言う言い方も出来ます。その理由は人生の中に生きる事事態に不安があるとしても、死に行く事に不安があるにしても、それは健常者達も抱えている問題は同じと言う意味です。 『世の中の見方や捉え方に偏りがある』と言う意味は、良い事は受け容れる事が出来るが、嫌な事や避けたい事を受け容れないようにしている、と言う意味です。 良い事も悪い事も分け隔てなく受け容れる用意が出来た時、欝は治っています。嫌な事を避けたいとする偏った感じ方が、予期不安になって、逆に受け容れたくない気分を増幅させている、自分の知らない力が働いているからです。 天国に入りたかったら、天国を捨てる勇気が必要です。 地獄に入りたくないならば、地獄に入る決心が必要と言う意味になります。 良いとか悪いとかの分別で世の中を見ている見方に偏りがありますので、良い事も悪い事も全て捨て去った時、本当のの世界が見えてくると言う意味です。 自分の幸福を全て捨て去った時、本当の自分の幸福が手に入ると言う意味です。 まやかしの目で見ているから、本当の世界が見えてこないと言う意味です。 最後に『鬱の人は心理学、哲学、宗教等に興味を持つのはなぜ? 』と言う答えです。その理由は人間の頭の半分が宗教で出来ているからです。言い換えるなら『神や仏』が頭の半分を所有しているからです。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 ありがとうございました。
- 007_taro
- ベストアンサー率29% (540/1831)
心理学:一般的な心理学は、人間の脳と認知の関係やデータ分析など学問なので、ほとんどの方が臨床心理に興味を持たれますね。いわゆるカウンセリングの方です。疾患を持っているからカウンセリングを受けようと思う当事者はあまりいませが、カウンセリングを受けても、すっきり解決というよりも、実感がなく焦ったまま時も経ち、それぐらいなら自分でなんとか早く治りたい、なんとかこの苦しい現状から救われたいという気持ちもあり、手法さえ理解できればなんとかできるかも?と言うことで興味を持たれる確率が高いのかもしれません。 カウンセリングは、考え方についてと言うことであれば、指示的カウンセリングを受けているのでしょうか?人や疾患によって合う合わないがあると思いますが、もしかしたら、手法かカウンセラーのどちらかがご質問者様に合っていないのかもしれませんね。同じ手法でもカウンセラーが変わったら違う展開が出てくることもあります。遠慮なく、その点について相談されてみてはどうでしょうか? 哲学:哲学は人間について究極的に思考を行う学問です。苦しさを持った方達は、毎日ほぼ「なぜ?」の渦に取り巻かれています。この「なぜ?」と、哲学の思考が、ある意味近いと共感を感じるのかもしれません。しかも人間について考えるため、自分と言う「人間」を考えるという点で、近しいものを感じていると思います。 ただ、苦しみを持ち続けた方達に哲学は、なぜ?が堂々巡りし、深い鬱状態に陥ると思われるので止めておいた方が良いと思いますが(哲学のなぜ?はまた違う思考法であるので)。 宗教:宗教もある意味で、人間や生き方についての哲学に近く、共感を感じるのではないかと思います。ただ、アヤシイ宗教は、ムダに苦しむことなく、バシッと一見「そうか!」と感じる「答えをくれる」ためで、多くの方は救われた気がするのでしょう。 個人的に宗教に関しては、本当に疾患を持った方よりも、疾患を持っていない方の方が多く引っかかるような気がします。特に高学歴だったり、誠実でまじめな方など。むしろ入信するなんて考えられないと思われるような方達です。 >自分とは何か、やりがいとは何か、ただ生きているだけでも幸せとよく言われるが、 これらの問いに、大概のアヤシイ宗教は「答え」をくれます。代わりにお金を出せ、と。でも、ご質問者様は引っかからないように感じますよ。その答えにきっと、色々な意味で満足することはできないように思えるからです。人からもらった答えなんて納得しないですよね。 例えこういうこういう問題を考えすぎたとしても、息継ぎをできる時間が多くなれば、苦しさも少し軽減されるのではないでしょうか?考える事自体は悪いと全く思いませんが、一日の中で、このことに割く時間の比率の問題だと思います。今まで、24時間中に考える時間:考えない時間(寝る時間を含む)が9:1だとしたら、7:3になるだけでもかなり負担は軽くなると思います。その事にはさっき1時間使ったと思うなら、次の数十分~数時間は考えない時間とする。考えようとしたら今はその時間ではない、と口に出して自分に言って聞かせるなど。言葉にすると、自分の耳は聞いていますので、脳にダイレクトに伝えてくれます。 答えになっていなかったらごめんなさい。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 色々具体的にお教え頂きとても参考になりました。 ありがとうございました。
- fukky20
- ベストアンサー率3% (1/28)
自分が他人にどう見られているかとか、自分の事が気になって仕方がないと思います。私も気になって仕方がない時がありました。 私には絶対に裏切らない、味方いてくれる人がいる事に気づき、自分は幸せだと思っているので大丈夫になりました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 ありがとうございました。
- kitty-wu
- ベストアンサー率6% (30/459)
鬱の人といいますか、現状に悩んでおられる方は生きている意味を問わずにいれないのだと思います。何か自分の依ってたつ所を得たいのでしょう。症状を改善するという意味では、認知行動療法のワークブックは取り組みやすく参考になりました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 ありがとうございました。
- nekokooko
- ベストアンサー率4% (23/494)
それは、人間は考える動物だからです。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 ありがとうございました。
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お礼
早速のご回答ありがとうございます。 色々具体的に書いて頂いてとても参考になりました。 ありがとうございました。