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なぜ、男は哲学するのか?

タイトル通りの質問なら、「大脳生理学」のようなジャンルで考えることだとは思いますが、このカテに普段出入りされてる方に敢えてお聞きしたいです。 古今東西、と言っても日常、日本人にとっての哲学は「西洋哲学」とほぼ同義語のことが多いと思います。 ソクラテス・プラトン・アリストテレスの時代から、デカルト・カント・ヘーゲル、そして最近ではニーチェ・サルトルに至るまで、みな男です。 そして、おそらくここのカテを出入りしてる方も圧倒的に男が多いと思います。 昔から、なんとなくその事に対する理由としては、「男は形而上学的なことに関心があり、女は現実に興味がある。」程度にしか思わなかったのです。 しかし、だとしたらなぜ男は「形而上学的なことに思いをはせるのか?」と今更ながら素朴に考えてしまいました。 「時間とは?」 「空間とは?」 「存在とは?」。 「認識とは?」 「理性とは?」 このような事に対して思いをはせてるのは、昔から男だけのようです。 もちろん、稀にそういう女性も居るでしょうが、微々たる数の筈です。 とっさに思いつく男女の差は「性欲」のことです。 そして、性欲というとフロイトを思い出します。 フロイトは、あくまで「性欲」と「人間の行動」の関連について考察しただけで、それ自体は「哲学」でも「形而上学」でもありません。 ただ、性欲求行動と哲学的思考回路はどこかで繋がっているのかなどと考えてしまいましたが、これはあくまで思いつきです。 思いつきですので、別にフロイトや性欲との関連に限定しません。 どうして男は哲学するのか? ご意見下さい。

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  • kigurumi
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回答No.5

>どうして男は哲学するのか? どうしても、脳の違いとしか考えられませんが、、、、 想像でしかないのですが、何も刷り込まれていない子供に、人形と鉄道模型を与えると、どっちも触って体験した後、最終的に女の子は人形と主に遊び、男の子は最終的に模型の電車としか、遊ばないようになるんじゃないか と。 性同一性障害の人は別ですが。 男はメカニズムを解き明かそうとする。 左脳が若干発達している。 女は情緒を重要視する。 右脳が若干発達している。 右脳が壊れてしまうと、人の気持ちがわかりにくくなる。 左脳が壊れると、手続き作業が行えなくなる。 簡単にいえば、右脳が情緒を司刷り、左脳がメカニズムを説くとき使う。 で、若干の違いがどっち寄り思考になるかと思考の癖になっているのではないか と。 で、男は左脳寄り思考なので、物事のメカニズム(仕組み)を解き明かすことに悦びを感じる。 で、古代においては、天文学が発達して、星の運行から未来を予測できないか と メカニズムを解き明かそうとした。 例えば、太陽がどの位置にあるとき、種を撒けばいいとか、太陽の運行のメカニズムを解き明かしたので、農耕がうまくいったわけです。 最初に農耕を発明したのは、女性だろうといわれている。 だが、女性はメカニズムを解明することにあまり興味が無かったが、男がいたので、女性が不得意とする部分をひきついで、メカニズムを解き明かし、農耕が発達したんじゃないか と。 音楽も女性が最初に発明したとされる。 でも、その音階にルールをつくったりして、音楽という形を作り上げていったのは、男だったんじゃないか と。 生みだすのは女、発達させるのは男 という分業だったのかも。 で、古代においては女性が支配者だったらしいですが、女性が呪術を使ったところで、相手にそれが伝わらないと、フラシーボ効果は発動せず、敵は退散しない。 で、ダメじゃん ってなって、やがて女性の支配者に敬意を払わなくなり、父権社会になったんじゃないか と。 で、父権社会になると、なんでも理論で物事を捉えるようになり、心の問題も理論で解き明かそうとしたんじゃないか と。 で、いろいろ それなりに理論を打ち立てて理解しようとしたが、どうしてもわからんのは 女の心。 カオスの世界、ルールが無いように思える。 昨日いいって言ったのに、今日はイヤだと言う。 何故? 見えないからじゃないか と。 ホルモンの変化は外からでは見えません。 3日もすれば キーキーが止む。 生理が始まる前はホルモンバランスが崩れるから、イライラするとわかれば、謎は解ける。 こういうの、哲学じゃいくらやっても解けません。 だから 女はわからん と男はなる。 女だと、自分も体験しているので、あまりにもキーキー言う女がいると、「もうすぐ生理あるよ」と言えば、キーキー言っていた本人ははっとなり、少し落ち着く。 本人も謎が解けて そうかぁ ってわかるので、自分のいらだちを受け入れることで、静まる。 >どうして男は哲学するのか? 要するに、全てのものには、必ず法則があるので、そのメカニズムを解き明かし、そのルールを掌握して支配したいとする左脳の欲望ゆえに、そうなってしまうんじゃないか というのが私の説です。 女性だと、「何故そう思うのか」って聞くと、「そんなこともわからないの? 決まっているじゃない 私がそう思うから」ととてもシンプルな回答をくれる人が多いんじゃないか と。

momonga14
質問者

お礼

>どうしても、脳の違いとしか考えられませんが そうですね。 思考は言葉を用いて行い、言葉を司るのは「脳」ですね。 左脳と右脳の違いによってそれぞれ分担する領域が異なることは、自然科学の分野で既に常識ですから、私もその業績は尊重すべだと思います。 覆ることがあれば話は全く変わってきますが。 農業や音楽の例は大変示唆に富むお話でした。 その例で言うと「法律」もそうかもしれません。 感情的に「こんなことイヤだな・・・」と思ってるところに、男が「じゃあ、Aは禁止しよう。なぜならAすることはBだから。それと、CもBにつながるから禁止だ。なぜBがダメかと言えば・・・」 >メカニズムを解き明かし、そのルールを掌握して支配したいとする左脳の欲望ゆえに、そうなってしまうんじゃないか 正解かどうか私は検証する能力はありませんが、説得力があると思います。 そして、この「メカニズム」や「ルール」の箇所を「女」に置き換えることも許されるのではと思いました。 つまり男の「征服欲」「支配欲」ですね。 丁寧なご回答ありがとうございました。

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その他の回答 (9)

回答No.10

>世界に対してのこのような愚問の集大成が「哲学」なんでしょうか。 たびたびお邪魔します。 いってみれば、哲学は、地固めなんだと思うんですね。 哲学が思考を固める前に必ず創造されたイメージがあって、 遅れて哲学がそのイメージとその周辺を論理で選択、排除するんではないでしょうか。 たとえばですが、 「正義とは何か」という攻撃性の裏にははじめから排他性がありますよね。その答えに例外は許されず、例外があるなら、十分に哲学されていないですね。そうでないと困る立場ですね。 「殺さないことが正義である」はイメージの言語表現であって、排他性がなくて、例外が出てから「こうなったら話は別よ。」なんですね。その方が都合がいい立場でしょうか。 この愚問というのは、限りないイメージ(ときとして不条理)の膨張に対する、男性的攻撃性から生まれる最大の防御ということなんだと思いますよ。 悪妻に虐げられた夫は、偉大な哲学者になるという話をどこかで聞いたような気がしますね。

momonga14
質問者

お礼

>哲学が思考を固める前に必ず創造されたイメージがあって、 遅れて哲学がそのイメージとその周辺を論理で選択、排除する そうですね。 言葉が無ければ思考も理論も無いわけですが、思考や理論がなくても人間は漠然としたイメージを世界に対して抱いてるはずですね。 >攻撃性の裏にははじめから排他性があり 同感です。 言葉や概念を定義する作業、つまりA=Aである、そういう作業はA以外を排除することでもありますね。 世界は非条理・非合理で満ちてますが、男は女と比較してこの非条理・非合理に耐えられない、防御せざるを得ない生命的脆弱さを持ってるのかもしれません。 まあ、こういう表現は修辞的でちっとも哲学的では無いですが。 これも、目下のところ私が妻から虐げられてないからかも知れません(笑) 再度のご回答ありがとうございました。

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  • nisekant
  • ベストアンサー率11% (13/112)
回答No.9

No.4 著書「幼児化するヒト」が説明の基盤となっていますので是非とも読んで下さい。逆に、読まないと私の説明が無力になります。

momonga14
質問者

補足

読んでないので補足に書きます。 「書評」は読みしました。 nisekant様の言わんとしてることは、私の問いに対する回答ではなく、問いそのものに対して問うことによって回答に代える、そういうことですね? なぜ、AはBなのか? その前に、CやD、Eを回答から排除して良いのか、また検討した上で問うているのか。 またBを導き出す前提として、Aは有効なのか? A+やA-かも知れない。 いやそもそも、Bという結論を最初に設定した問い自体意味があるのか? そのことに対して、きちんと筋道立てて検討、論証した上での問いなのか? こういうことでしょうか? 残念ながら、そこまで検証を加えた問いではありません。 私の能力を超えた作業であることを正直に申し上げます。 ただ、思考する際の重要な示唆を頂いたと、これも正直に思っております。

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回答No.8

おじゃま致します。 なぜ、女性は哲学しないのか。男性でも、哲学しない人とはどういう人か。(←ちょっと語弊がありますが) いわゆる感情、直感、感覚で十分に周りの世界を把握していると感じているのではないでしょうか。 受け身であってま・ず・は・それで与えられた全てなんですね。 イメージの世界と言語の世界があって、イメージさえ出来れば納得する人と、 言語表現が出来ないと納得できない人がいますよね。 言語はコミュニケーションとイメージするための手段であって、納得するための手段でない人には、 正義とは何か、美とは、生きるとは、などという問いに対する言語による思考はほとんど意味がありません。 直接的に、これこそ正義だ、この絵は美しい、今生きているで一応完結してしまいます。 これでは納まらなくて、背景が異なると・・、なぜ美しいと感じるんだ・・という言ってみれば攻撃的な 姿勢というか情動が哲学の動機なんでしょうね。 一方で、彼女は、受動的とは言っても、(子供もそうかもしれませんが) イメージそのものは大きく膨らんでいて、 なぜ なんて思考する前に直感が先にイメージするんです。たぶん。

momonga14
質問者

お礼

>イメージさえ出来れば納得する人と、 言語表現が出来ないと納得できない人 分かります。 例えば「絵画」や「音楽」は説明不要です。 名作を眺め名曲を聴いた時に、「なぜ美しく感じるのか?」というのは愚問です。 >攻撃的な姿勢というか情動が哲学の動機なんでしょうね。 世界に対してのこのような愚問の集大成が「哲学」なんでしょうか。 ご回答ありがとうございました。

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  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.7

「業績」なるものは世間に残していなければ「業績」として目に入らないだけのことで実際には「哲学する女」もいれば「哲学しない男」もいるでしょう。(うちの父親は「哲学しない男」です。「しない」というよりアカラサマに軽蔑してるかな?一部を除いて文学も 笑 理解できないからというわけではないみたいですけど。意地でやらない!ってカンジ 笑) それでも男性のほうが女性よりも数のうえで多い、という前提で言いますなら、その原因や理由については、いろいろな方面から挙げられ得ると思います。敢えて「哲学する男」(してるつもり、も含めて)に限って言うのなら 男性性というものが基本的には脆弱にできているからなのでしょう。                              

momonga14
質問者

お礼

>男性性というものが基本的には脆弱にできているからなのでしょう。 面白い観点ですね。 男女の出生比から考えても「男が多く生まれる」=「男を多目に残しておく」と言うことですしね。 「弱い犬ほどよく吠える。」ということでしょうか(笑) 生命体を生み出す女に比べて、男は常に問いを発し、理論武装しなければ不安に悩まされる、そういう意味で弱いのかもしれません。 ご回答ありがとうございました。

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noname#80116
noname#80116
回答No.6

 哲学には 二つの種類があると思います。  質問では 形而上学に特定されているようですが そのような不要不急の領域にまでわたって 因果関係についてのあらゆる可能性を探究する哲学(A)と そして 単純に生活態度としての思想(B)との二つです。  もう一種類挙げるとすれば それは 教科としておしえるために整理した知識としての哲学(C)です。  (C)については 男女の差は ないようですね。  (A)について 現象として 差があるようです。この(A)として なぜ男は哲学するのか これが 質問なのですが よく分かりません。関連して 次の(B)の分野について 考えてみました。  生活態度としての哲学思想については たとえばいま 具体的な分野を取り出してみます。いわゆる愛や信頼関係にかかわる人間と人間との関係として広くコミュニケーションの問題 あるいは 現世利益や功利主義とそれを含みつつ超えようとする志向性の問題などを思い浮かべたのですが これらに関する限り 大きくは 自己の同一性とその他者との関係の問題にまとめられるようです。しかも さらに大きくは 自己の存在や存続そして人びととの共生 ということで やはり 愛という主題になります。  何が言いたいかといいますと この課題をめぐって それへの関心や取り組みにかんして 男女の差はないだろうと思います。ということは その主題を生活において追究するときの自己表現のあり方に ちがいが出ているのではないか。  つまり 単純に言って 女は 傾向として これを 一般化して思考を加え それを文章にして表わすということが少ない。男は これを議論する傾向を持つ。女も議論しますが いつでも途中で逃げてよいという姿勢でいます。  女は 直観的に分かっているのかも知れません。いえいえ おそらくそれは 言いすぎでしょうが 自然の傾向として――つまり 男性支配の社会という歴史からの影響やそれに対する反動としてではなく 自然の傾向として―― 哲学しないのでしょうね。  そして 男が哲学した成果を共有し展開することでは 同じなのでしょう。ともに 歴史の共同相続人であるわけです。

momonga14
質問者

お礼

>単純に生活態度としての思想(B) についてのご回答ですね。 この点では、私も男女差は無いと思います。 「ライフ」のカテゴリで見かけるような、 「真実の愛って何ですか?」 「信じるって何ですか?」 のような質問を発してるのはむしろ女性が多いぐらいだと思います。 もちろん男も同じように問いますが、思春期青年期には誰もが抱くような疑問です。 しかし、男からみると女性は(傾向として)一生涯問うているようにも見えます。 ご回答ありがとうございました。

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  • nisekant
  • ベストアンサー率11% (13/112)
回答No.4

著書「幼児化するヒト」をオススメします。 人には「苦悩」というものがあります。この苦悩を拭いさるための、一種の治療として見出すのが原因治療「真実の追求」です。この形式が哲学というものになると。ショーペンハウアは、この「苦悩」を「哲学原経験(翻訳において」と称しています。 苦悩の加減は、「性欲」という「生きるための構造(本能」と、「理性」という「行動を律するもの」の矛盾の加減に比例しますと。 哲学における男女の差については分かりません。ハンディキャップ理論が関係する、しない? 哲学とは「智を愛する」という意味です。 私の経験より

momonga14
質問者

お礼

>苦悩を拭いさるための、一種の治療として見出すのが原因治療「真実の追求」です。 そういう意味では哲学に限らず、倫理学や宗教も同様の理論で説明できますね。 すみません、また思いつきで言いました(笑) さらに思いつきで言うと、では男の方が女より苦悩が多い、または苦悩をより強く感じる、そういうことにつながりますね。 大変刺激を受ける観点です。 最後の >哲学とは「智を愛する」という意味です。 でまた触発されたのですが。 Philosophy=哲学と訳されますが、上記のとおり本来の意味は「真理に対する愛」と言う意味です。 「愛する」=「独占欲」=「支配欲」=「征服欲」とまた思いつきで何なんですが・・・ これらは男女関係なく持つ感情です。 しかし、一般論は百も承知で言うと、「支配欲」「征服欲」は男性が強いとされてるようです。 ならば、「真理を愛する」=「真理を支配、獲得、征服したい。」と言うことにもなろうかと思いました。 未だまとまってないですが、ご指摘で刺激を受けました。 ご回答ありがとうございました。

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  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.3

私はアメリカの物理の大学院で学生を指導しているのですが、アメリカでは日本と同じように物理の大学や大学院に来る学生は圧倒的に男性です。ある時ギリシャ人の女性が学生になりましたので、私は彼女にギリシャでもやはり、物理学に興味を持っているのは男性の方のが多いかと質問しました。答えを聞いて驚いたのですが、ギリシャの大学の物理科の学生の半数は女性だとのことです。彼女はアメリカに来て、物理科に女性がほとんどいないのに驚いたと言っていました。ギリシャではアメリカとは違って、物理学の哲学的側面を強調して教えているので、女性の学生も一杯いるのだとも言っていました。 やはりボーボワールの言うことにも一理あるみたいで、「女は女として生まれ来たのではない、女になるのだ」と言うところでしょうか。 数年前にハーバード大学の男性の学長が、女性は数学や科学などの論理的な学問(ですからもちろん哲学も入る)には向いていないと発言して、学長の座を棒に振ったことがあります。その発言に刺激されて、どこかの大学で、過去十年以上に渡った高校生の数学や科学の成績を男女で比べて、その後の就職状況との相関のデーダーを分析しました。その結果が最近発表さてたのですが、まず、数学も科学も男女の間で差が無いと出ました。ところが、面白いことに、あることで差が出たのです。それは、女性で数学や科学の成績が良い生徒は、国語(ここでは英語のこと)や文学や人文系の成績も良いのですが、男性の場合、数学や科学の得意な生徒は必ずしも人文系の成績が良くないのだそうです。 この違いは大学やその後の職業の選択にも影響し、女性は選択肢が多いので、数学や科学の得意だった人が弁護士やジャーナリスとなど、直接科学や技術に関係ない職業に就くことが、男性よりもずっと多いとの結果が出たそうです。 質問者さんは、文化や慣習に影響された結果と、男女の生物的な違いから来る結果がゴチャゴチャに入り交じっている問題を十分分析検討しないで、仮説を立てていませんか。

momonga14
質問者

お礼

>「女は女として生まれ来たのではない、女になるのだ」 なるほどです。逆もまた然りかもしれませんが。 要は「男女の生理学的差異」と「文化や環境」が作用すること、どちらが影響しているのか、どちらも影響しているのか、だとしたらどの程度影響しているのか?と言う事も勘定しなくてはなりませんね。 ギリシャ人女学生のお話は大変興味深く拝読致しました。 そしてこの問題を考える上で大変参考になりました。 ありがとうございます。 >問題を十分分析検討しないで、仮説を立てていませんか。 十分検討は致しておりません。 ちょっと面白いかな?と言うひらめき程度です(笑) もちろん、これも自分にとってですので、他人からしたら「ちっとも面白くも何ともない」かもしれないという事をとりあえずさて置いて質問した次第です。 ご回答ありがとうございました。

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noname#96295
noname#96295
回答No.2

新プラトン主義には女性の哲人が半数ほどはいましたよ。 キリスト教による弾圧が特に女性学者にたいして酷かったため、 いなくなりましたけれどね。 挙げておられるのは、ギリシャ文化を除くとキリスト教文化圏の哲学者ばかりではないですか。 ギリシャの継承はキリスト教文化によっておこなわれたものですし、この問題の立て方ではお話になりませんでしょう。 キリスト教文化圏で男性の哲学者がほとんどであるのは、 神学が哲学の発端だからでしょうか? 教義上に性欲の抑圧があるからでしょうか? 哲学が宗教政治に関与するからでしょうか? いえ、むしろそのようなキリスト教的風土であるからこそ、西洋哲学がなりたったのではありませんか。 もう少しは論理的思考を展開してくださってもよいかと思います。 宗教的社会背景・時代背景の偏りをもって一般論に陥らないように。 何を問うべきか、整頓してみなければなりませんね。

momonga14
質問者

お礼

最初に「生理学として扱うべき問題?」と前置きしました。 ですが具体的な哲学者の名前や、思いつきの「性的欲求」に言及するなどして問いそのものが整理されてなかったですね。 >むしろそのようなキリスト教的風土であるからこそ、西洋哲学がなりたったのではありませんか。 これは理解します。 特に近代以降の西洋哲学において、そもそもその発端であるデカルトが理性による真理追及を企てながら、神については存在を証明しようとしたこと。 近代の理性信仰を否定したニーチェも、キリスト教文明そのものと格闘したことを思うと、仰るように西洋哲学はキリスト教文明の枠内での思考実験と思われます。 ご回答ありがとうございました。

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  • v7nV1dZjx
  • ベストアンサー率10% (7/64)
回答No.1

女の哲学者を知らないだけでしょ。 つまり、無知は恐ろしいの一言。

momonga14
質問者

補足

統計上の哲学者の男と女の比率ではなく、相対的に「男」が哲学的思考を持っている、或いは行っている、その理由を伺う質問ですが。 古代から現在に至るまで、女が男に匹敵する哲学的業績の成果は無いですよ。

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