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「接続法」はなぜ存在するのでしょうか?
英語には存在しない(多分古語的には存在したか?)が、他のヨーロッパ言語にはなぜ存在するのでしょうか。その必要性、文法性、歴史性というのはどういうものなのでしょうか。なにか、従属節の中の動詞変化をさせると文章が把握しやすくなり誤解が少なくなるとか言うメリットがあるのでしょうか?また、なぜ日本語にはないのでしょうか?
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- BASKETMM
- ベストアンサー率29% (240/806)
No.1 の方の云われることにほぼ賛成です。 文法用語に惑わされないようにしましょう。 各々の言語で文法は異なります。ところが共通の文法用語が使われることが多いのです。 ドイツ語とフランス語で、同じように接続法と云う言葉が使われていても、内容は異なります。逆に、No.1 の方が書いておられるように、英語の仮定法とドイツ語の接続法には共通点も多いのです。 もうひとつ:言葉の成り立ちに「何故」と問いかけても、答えが出ない場合が多いですね。自然に成立した言葉は、数千年の時間の中で、明確な意図なく変化してきたのですから。「発音が楽だから、このように変化した」と云うような説明が付く物はありますが。(日本語の音便など)
- trgovec
- ベストアンサー率52% (2538/4879)
英語にも存在します。仮定法と呼ばれること、使用範囲が狭くなっていることなどから普段は意識されないだけです。 接続法の用法は細かく見ていくと多岐にわたります。古典ラテン語のように話者の細かい心的態度を反映するようなこともありますが、おおざっぱに分類すると 1)現在系…現在系の語幹を中心に作る。要求・願望・不確かなこと(間接話法、存在が不確かなものにつく関係節、未来に関する仮定など)。衰退する傾向があり決まったケースで使うものになってきている。スラブ系では「助詞(接続詞のような働き)」で表されることが多い。 2)過去系…過去系の語幹を中心に作る。現在・過去の事実に反する仮定。現代でも多くの印欧語で使われる。 よく言われる「事実に反する」というより「事実かどうかを必ずしも問題にしない」点に特徴があります。印欧語族は事実であるかどうかを重視しこれを他の語ではなく動詞の語尾変化で表そうとしたと考えられます。 現代語では特に現在系で衰退の傾向があるのは語尾の摩耗により直説法と同じ形のところがあるため助動詞などを補った方が意味がはっきりすること、細かい差異はあまり気にしなくなりその結果直説法の守備範囲が広がったことなどが考えられます。間接話法や副詞節は「~は言った」や接続詞を見れば明らかなのでことさら動詞を変化させなくてもあまり誤解は生じないからです。 直説法との差が現れるものとして、動詞の目的語である名詞節の場合、直説法は事実であり接続法は要求や主張という違いがあります。 He insists that she is guilty.「有罪だと言い張る」 He insists that she be guilty.「有罪にすべきだと主張する」 ドイツ語などでは「彼が言った」のような導入をいちいち繰り返さなくても接続法で文を長々と続けても(一旦ピリオドで切っても)それが発言内容で地の文とは違うことが分かります。英語では and(but) that でつないだり he added などを適度に入れないと地の文との区別があいまいになります。 このようなことも助動詞を使うことが増えてきていることや分かりやすい分を書く方が好まれるようになったことから今ではメリットという感じはあまりしないのかもしれません。 日本語の動詞は語尾変化の目的が印欧語と根本的に違うので語尾変化が法を表すことはありません。しかし他の語を使って接続法的な意味を出すことはあります。 「ように」がその一つで、「~するように」とすることにより要求・命令・願望を表すことができます。
補足
お礼は後日させていただきます。 補足させてください。 ☆活用語尾として「接続法」という独立の用法が存在する という話に限って質問したいのです。 結局ラテン系言語に限られるのでしょうか。
補足
お礼は後日させていただきます。 補足させてください。 ☆活用語尾として「接続法」という独立の用法が存在する という話に限って質問したいのです。 結局ラテン系言語に限られるのでしょうか