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ブッダ葬送を執り行なうときではないでしょうか
末法が 現実であるのではないでしょうか。 もう何も新しい思想は ブッディスムからは出て来ないのではないでしょうか。 あとは 広義の訓詁註釈のみではないでしょうか。 《慈悲》は 人間にとって おこなうことは出来ないと なぜ 明らかにしないのでしょう。出来るのなら ふつうの思いやりです。 《縁起=空観》――てっとり早くは 関係主義の思想――は 当たり前だと なぜ はっきりさせないのでしょう。そうでなければ ただその場の気をそらせるための想像物(エポケー)です。 《仏性》ほど 唱えていながら それにもかかわらず はっきりさせないものは ないのではないでしょうか。絶対普遍なら そう言うべきでしょう。そうでなければ ただのお慰みのおもちゃです。思いやりの問題です。 一たんきちんと 葬送をしておくときではないでしょうか。そうすれば ひょっとして 復活する恵みが起きるかも知れません。
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- qsxdrfvgyh
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noname#117439
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お礼
yuyuyunnさん ご回答をありがとうございます。 貴重なご意見と思います。 ひとつは ★ 仏舎利を拝見したことがありますが ☆ というように 実在の人物というところから 説き起こしておられる点です。そのような互いの尊重(――和でもあると思いますが――)が 貴重な思いなのであると感じました。 もうひとつは ★ まだまだ魂は生きておられる。と思います ☆ こちらは やや皮肉に聞こえるようなことを申しますが 一方では 上の第一点とつながって 一人の人間にかかわる《魂》を挙げておられる点です。わたしの解釈としましては 《魂》の存続は その思想の潜在能力と受け取りますが 現在に到るまで つづいたというそのしなやかさ だと思います。 ただし もう一方では 《まだまだ》と言っておられる点にも注目します。揚げ足取りでないことを願って言いますが その潜在能力が 衰えて来たとも受け取っておられるのではないでしょうか。 というような趣旨で 質問をかかげました。その趣旨説明に取り上げた鍵概念の問題についても 触れていただければ ありがたいとも思いました。ありがとうございました。