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宇宙ハッブル望遠鏡で神は見えるか

ハッブル望遠鏡の幾総倍の性能のあるスコープで いずれ神は見えますか?

みんなの回答

回答No.25

COBEが宇宙の温度ゆらぎを捉えたとき、アメリカのマスコミは ついに神の姿を捉えたと報道しました。 あのマダラ模様の宇宙です。 http://www-utap.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~suto/myresearch/ap06_CMB-COBE.pdf 神がいると信じている人たちにとっては、なにか特別なことがあると神や仏と関連があると 思うのでしょう。 ハッブルの撮影した不思議な天体を見て、神や神からのメッセージだと誤解するのはそういう人たちでしょう。

回答No.24

ハッブル望遠鏡なんて高価なものは必要なく、もちろん肉眼でも神がお姿を見せようと思えばいつでも見えると思います。ちなみに私は見た事は有りませんが、神の存在を感じたことは有ります。大丈夫です、私は無神論者まで行きませんが、宗教活動関係者で有りませんから。世界でメジャーな宗教では他人に対して善行を施す時、施された者は神がこの方を通じてお恵みくれたと考えるそうです。人に善行を施せば、神を見るだけでなく、施された人は、自分自身が神その者に見えるのかもしれません。

noname#74145
noname#74145
回答No.23

==ハッブル望遠鏡の幾総倍の性能のあるスコープでいずれ神は見えますか?== 見えると思いますよ はじめに光ありき、宇宙創世時そこに居られた絶対神は今でもご自分の作品を見守っておられる事でしょう。 その存在は光そのものですから時空を超えて十分な性能の望遠鏡でそのお姿を垣間見ることが出来るかもです。 またその時のため息が宇宙背景放射として現実に観測されていますしね。 すばるやハッブルの性能が更に向上すれば可能性がありますので今後の技術進歩に期待しましょう。

noname#74145
noname#74145
回答No.22

神の存在を信じる人への皮肉としか受け止められませんがそんな意図ではないのでしょう? 本心からのご質問なら 「地中深く掘り進めば閻魔様に遭えますか」「脳外科医は患者の“心”を見た事がありますか」などと同じ趣旨の質問に見えます。 で答えですが まさか!

noname#68410
noname#68410
回答No.21

これは全くの愚問ですね。神が見える人は望遠鏡なんかいらないし、見えない人はどんなに高性能な望遠鏡を使っても見えませんよ。多分、ecoshopQさんは一生見れないでしょうけど。

  • yukigle
  • ベストアンサー率14% (9/63)
回答No.20

ハッブル望遠鏡の幾総倍の性能のあるスコープでなら、もしかすると、いずれ神が、×見える(○わかる)かもしれません。(あえて誤記) といっても、哲学でいう神ではなく、科学でいう神のお話ですが…。 そもそも、宇宙の望遠鏡は、哲学的に、世界を創世した存在を探すのが目的ではなく、科学的に、創世した世界の存在の探査であって、根本がまるで違います。 科学にしろ哲学にしろ、神秘であることに違いありませんが…。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.19

No.11です。 最初に「望遠鏡で見たら、目つぶれちゃいます」と返信しようかと思ったのですが、やめてあの書き方にしたのですが、、、 まあ あの書き方じゃ 何言っているのかわからなかったかも。 No.18さんの指摘と同じような事を言いたかったわけです。 何故 神は光 だとか言われることになったのか。 太陽信仰があったからですよね。 古代のエジプトでは、ピラミッドという巨大建築物を作っていた。 王の墓じゃなく、神殿として機能していたという説が有力。 <アテン> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%B3 太陽崇拝ですよね。 ユダヤ人に親しまれた祈りの言葉。   「聞けイスラエルよ 汝が神なる主は唯一の神なり。」 エジプト語のtはヘブライ文字になるとDに、eはoになる。 再度訳しなおすと   「聞け イスラエルよ。我らが神アテンは唯一の神なり」 エジプトを出たグループが、パレスチナに太陽信仰をもっていったわけですよね。 シナイ山から下りてきたモーセは、全身が輝いており、10の戒律を定めた。 その内容の出所は? もちろんエジプト。 モーセはエジプト出身者で、エジプトでは高い地位についていたわけで、エジプトの最後の審判の概念も当然知っており、エジプトの死者の書から10の律法を作ったわけです。 http://www.osoushiki-plaza.com/anoyo/takai/takai4.html エジプトには最後の審判ってものがあるとされ、冥府王オシリスの前で裁判にかけられる。 42の項目について問われたわけです。 何故古代の人々は太陽を崇拝したのか。 簡単なこと。 それがないと、作物が育たず、自分達が生きていけないことを古代の人は知っていたから。 だから、太陽の動きを知り、いつ作物を巻けばいいかを把握した。 それに留まらず、天体の星の動きを観察して、全ての運行 運命を知ろうとした。 1年を12に分けて、それぞれに星を当てた。 メソポタミア文明以前から黄道十二星座のような知識はあったようです。 その12を4つに分けた。 四季ですよね。 4つに分けると十字を描くことができますよね。 星座を擬人化したり、動物に当てはめたりして命名しただけじゃなく、人間は物語まで作ってしまった。 というのが、前回言ったことです。 人は天体の星を擬人化して物語まで作った と。 で、太陽は神ですから、そんなもん ハップル望遠鏡で直視しちゃうと 目がつぶれます。 目に見えないというより、直視しちゃ駄目ってわけです。 太陽のお陰で植物は育ち、動物は生きていけるので、太陽の恵み あるいは 太陽の愛 と捉えたわけです。 さらには救世主 とする場合もあった。 エジプト神話のオシリスとイシスの子供はホルス。 1ドル札のプラミッドの上にあるのはホルスの目。 実際ピラミッドの頂点にホルスの目があったそうです。 万物を見通せる目だとされる。 擬人化された太陽。 ホルスの敵はセト。 ホルスが昼で、セトは夜。 ホルスがセトを破るので、朝になり、夕方はセトがホルスを破るので夜になる。 というお話を作って納得していた。 善と悪、光と闇、という概念を作り、それぞれが戦っているのが今の世の中だとした。 紀元前3000年頃の擬人化されたホルスの特徴。 ・12月25日に処女イシスから生まれた。 ・東の星に伴われ、誕生すると3人の王に敬愛された。 ・30歳の時、Anpuに洗礼され、聖職をはじめた。 ・12人の弟子と旅をした。 ・病人を癒し、水の上を歩いた。 ・「真理」「光」「神が選んだ息子」「よき羊飼い」「神の小羊」という称号が与えられた。 ・チュポンに裏切られ、十字架に貼り付けになり殺され、3日後に甦った。 これがホルスのオリジナルのストーリーか不明だが、このような特徴を持つ神話は各地にうまれだした。 アティス(ギリシャ BC1200年) クリシュナ(インド BC900年) ダイナイシス(ギリシャ BC500年) ミスラ(ペルシャ BC1200年) イエス(ギリシャ AD初期) それぞれがホルスの特徴に書いたものと全く同じ特徴を持つ。 神である地上の降りた太陽の息子。 つまり人物化かされた惑星 太陽。 やはりどこの信仰も神は太陽。 だから直接神見たら、目がつぶれちゃうわけですよ。

noname#96295
noname#96295
回答No.18

> 神は光です。 光に神格を与える宗教にとって、宇宙は太陽系止まりです。 また、光であるところの神とはせいぜい、大日如来かヴァイローチャナ、アフラ・マズダ、ヴィシュヌ、 天照大御神、ミスラ、あまたの名をもつ太陽神、百歩譲ってネストリウス派のキリストの自然格、、、 これらは創造主とされるものではありません。 文明を作らず金を消費する新興宗教の教義と、あなた個人の信仰については論外です。 ご質問の、望遠鏡で神が見えるかどうかについて、 見えないとの回答がお気に召さないならば、質疑応答は成り立っていません。

ecoshopQ
質問者

補足

ウィキペディアですか?

noname#96295
noname#96295
回答No.17

13です。 なるほど、あなたのご質問の真意は、詩的夢想というものです。 夢を壊したいわけではありませんが、 詩的夢想は、哲学的思考ではありませんよ。 哲学は、広義の自然科学のひとつなのです。 望遠鏡では、空間のそとは見えません。 あなたのうしろ姿をじかに見ることさえ、できません。 鏡に映らないものは見えません。 光の進む道しか、見えません。 見ようとする一方へ向かって、まっすぐ、または、磁場にゆがめられて、光が進む道です。 光の届かない闇は見えません。 空間のそと、うしろ姿、未来や過去、光のない場所、、、 これらを見る力は、人間の精神のなかにあります。 神をとらえることができるのは、望遠鏡ではなく、人間の精神ではありませんか。

ecoshopQ
質問者

補足

神は光です。ご自身はまばゆいほどに輝いておられます。 したがって、神ご自身がお姿を現すのに他の穢れた光の 反射や屈折などには拠らないのです。 また、これは哲学ではないとのご指摘ですが、神の存在を 知ることは偉大な科学者が拠り所とした科学なのですが・・・。 あるいは、古代にさかのぼってみれば、エンペドクレスも 神の姿を求めて、宇宙では太陽の速い肢体も起伏に富んだ 大地も海も区別なく、神の手厚い庇護のもとに神によって 宇宙は結びつき周りの闇を教授している。神だけが輝いて そこにあると記しています。

noname#66735
noname#66735
回答No.16

再投稿失礼いたします、HADES165と申す者です。 文章構成等の不足に関しては大変失礼いたしました、お詫び申し上げます。 私が言いたかったこととしてこれは「星」を主体にしたものではありませんでした。「望遠鏡など使わなくとも、それを神の一部として見るのならば望遠鏡など必要ない」ということを言いたかったのですが、文章の書き方を誤ったようですね、申し訳ありません・・・。 無数にある天空の星を持ち上げたこととして、この言葉が脳裏にあったからでした・・・。 「神は天に高くおられるではないか。見よ、いと高き星を。いかに高いことよ(ヨブ記22章より引用)」 天におられる神の一部を見るものとして、私を星をあげたのです。 人間には造ることができない星々は、神の栄光の一部であり、そして御体の一部だと思っています。 それは肉眼で見ることが可能ですから、それに関しては望遠鏡などいらない、と言いたかったのです・・・。 (しかし、望遠鏡を使うと超新星や銀河などを見ることができるのでより一層神の一部であり、かつ素晴らしいものであることを確認できるでしょう・・・)

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