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ローマについて
ポエニ戦争の後ローマでは、農業社会から商業社会(?)に変化し、国内で問題が起こったそうですが。その問題とは一体どんな問題なのでしょうか?また、その問題をどのような法的手段で解決していったか教えてください。 アルグストゥスも関係していますか?
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昔のカルタゴは大穀倉地帯でした。 ポエニ戦役(第二が終って第三が始まるまでの間)に大カトーがカルタゴ産のイチジクを示しながら元老院で「敵(カルタゴ)は我々に敗れたと言ってもこれだけ見事な農産物を輸出する力を持っている。カルタゴは滅ぼすべきだ」との趣旨の演説を残していた位に質・量を誇っていました。 カルタゴ滅亡後はその地域がローマの領土に組み込まれその豊かな農産物が税や交易としてローマに流入した為イタリアの農業は方針を変える事を余儀なくされたのです。 その方針とは主に2つ。一つ目は農産物の変更です。今までは小麦がメインだったのがワイン用のブドウ等の換金性の高い物に変りました。2つ目は規模の拡大です。と言ってもこれはポエニ戦役等の戦争で徴用されて没落(働き手の成人男性が兵士になったので収入の激減・・・これは兵士の間の収入や武器や食料等は自己負担だった事と戦没したり怪我してまともに働けなくなった事で一家離散等の事情があります。)した為農民が持っていた土地が元老院議員等の富裕階層が買いあさって大規模農園へと発展しました。これにより貧富の差が拡大し社会不安が起こった事で問題が噴出しました。 さてこれの解決には長い時間と流血が必要でした。 時間としてはカエサルによる土地制度改革までの数十年。流された血は最初の発案者であるグラックス兄弟を始めとしてカエサルによる内乱終結までの内戦の犠牲者がそれです。 なぜこうなったかと言うと当時の元老院議員はその支持者を多く持っており、その特権を守る為一般人と対決した事に尽きます。 つまり 元老院議員+支持者(一般人含む)vs一般人(元老院と関りを持たない) という図式が成り立っている訳です。