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陽高事件とは
東条英機が率いる部隊が引き起こした虐殺事件らしいのですが、ネットで調べても出てきません。 事件の概要をご存知でしたら教えて下さい。よろしくお願いします。
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- GratefulDead
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1937年盧溝橋事件が起きると、東条は日中戦争拡大論をとなえつつ、当時関東軍参謀長であったのに、北支那派遣軍だけにはまかせられぬとばかりに、チャハル派遣兵団(東条兵団)を組織し内蒙の張家口(北京の北西)を目指し進軍します。 当時陸軍内の不文律として、参謀は部隊を直接指揮出来無い、とされていましたが、東条はその不文律を無視してまで自ら中隊長クラスの仕事を陣頭指揮して「チャハル作戦」を遂行したかったようです。東条は他人に任すのが嫌いだったようで、陸相時代、首相時代にも多数の職務を兼任しています。 このチャハル作戦は結果として大成功だったようで、わずか三週間で600kmを進軍し内蒙全域を制圧してしまうという会心の電撃戦でした。 で、問題の陽高事件ですが、このチャハル作戦中に城郭都市の陽高(北京の西約200km)で発生しました。 陽高を包囲したチャハル派遣兵団の本多旅団、篠原旅団は1937年9月8日夜に城郭内へ突入します。しかし中国軍の激しい抵抗に合い多数の戦死者を出してしまいます。これに激高した篠原旅団は、翌日市内全域を占領すると、城内の男という男を全員縛り上げ処刑したそうです。その数は350人から500人といわれています。(「野砲四連隊史」戦友会編による) この事件があまり知られていない理由は、東京裁判で取引をして検事側の協力的な証人となった田中隆吉少将が、東条兵団の参謀としてこの事件に深く関わっていた為、検事団が事件をうやむやにして田中に嫌疑が及ばないようにした為、と言われています。。。
- shoyosi
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1937年9月9日東条参謀長兼部隊指揮官指揮下の篠原旅団と本多旅団により、張家口から包頭にわたる内蒙古一帯を占領する過程で陽高(大同の近く)で男性住民数百人が虐殺された事件のようです。
お礼
回答ありがとうございました。 HPとても参考になりました。
お礼
回答有難うございます。 とても役立ちました。