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幸徳秋水が獄中にいるとき
1905年、幸徳秋水は明治政府に逮捕され、監獄に入りました。そのとき、無政府主義者として著名なクロポトキンの著書を読みました。しかし、明治政府は当時、言論弾圧や社会主義者・無政府主義者の弾圧を強めていました。いったい誰がどうやってクロポトキンの本を手に入れて、幸徳秋水に届けたんでしょうか。さらに、届ける時、監獄の係員がチェックしなかったのでしょうか。 ご解答、よろしくお願いいたします。
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- KITAIKKI
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秋水は5ヶ月の監獄生活のあいだ、クロポトキンをはじめ、聖書、ルナン、エンゲルス、ヘッケルなどの著書を読み漁っています。その入手方法ですが、明治36年に立ち上げた週刊平民新聞の共同経営者であった、堺(枯川)利彦に差し入れを依頼している記述が、秋水を書いたいくつかの著書に明らかにされています。 監獄のチェック機能ですが、これについては詳述されたものはあまり見かけませんが、秋水自身、入獄に際して身の回りの物を入れた大きな風呂敷に、聖書をはじめとした何冊かの書籍を入れて、そのまま持ち込んでいますので、本自体に関しては当時は私信と違ってそれほど検閲が厳しくはなかったと考えるしかありません。ほかにも秋水は原書の洋書も持ち込んでいましたが、当時の監守にはどんな本なのか判断の仕様がなかったでしょうね。 では枯川はいかにしてクロポトキンなどの著書を手に入れたかといえば、それは明治になってからの自由民権思想や、自由主義的思想が一時期盛んになった時期に、社会主義思想的書籍が比較的自由に日本に持ち込まれていたからではないかと思います。じっさい初期の社会主義思想の存在や研究などは、それほど弾圧を受けることはなかったのですが、それがアナーキズムに移行しかけてから厳しく弾圧され始めているように感じています。などと書くと長くなりますし、なおかつボロも出ますのでこの辺で。
お礼
詳しいご説明、ありがとうございました。 監獄での持ち込みや差し入れは意外と甘かったようですね。 勉強になりました。