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不幸の連鎖
岡崎京子さんの漫画に「惨劇は突然おこるのではない。日常の中で静かに準備されていて、それがある日突然はじけて惨劇になる」という内容のことが描いてあります。 不幸の連鎖は心理学的にどのように定義、理論構築されているでしょうか? ご存知でしたらその概念を提唱した学者や著書なども教えていただけたらと思います。
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参考までに ハインリッヒの法則 ブロークンウィンドウズ理論 著書「本能はどこまで本能か」 後は、「原因」に関してですが、原因というのは「ココだ!」という旗を立てることはできず、連続しているのです。 例えば、「貴方は何故に産まれたのか?」という答えは「両親が産んでくれたから」という時点に「原因の旗」を立てることもできますし、「両親の両親が両親を産んでくれたから」とズラスこともですます。 原因は原因と同時に結果でもあるのです。 「原因」とは、人間形式ではないかと思います。
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- harrywithers
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心理学が科学だと云う前提で、論を進めるなら、 「不幸」は「悲しみ」や「不安」のような根本的な感情とは違い、 解釈された感情ですので、心理学という科学には馴染みにくいのです、 「不幸」か「幸せ」かというのは、その状況(状態)と本人の受け止め方で変わって来ます。 事実と、感じていることは、ズレがあることを前提に(臨床)心理学では、 受け止め方を変えることで、クライアントを苦しみから救う試みをします。 例えば、臨床心理の一派、NLP(神経言語プログラミング)の前提には、 「地図は、領土ではない」とあります、人は、自分の地図を使って、世界を解釈します。 「不幸」という「事実」がある訳ではなく、「不幸」という「感じ方」がそこに存在するだけです。 > 惨劇は突然おこるのではない。日常の中で静かに準備されていて・・・ こんどのアキバ事件でもそうですが、ある事件(事故・事態)がおこるのは、 それを引き起こした原因になるいつもの出来事が積み重なっておこることを言ったもので、 このことを、惨劇や不幸と感じるのは、私達の心の働きです。 大抵の場合、「事実」と「感じ方」を分離できないことが、「不幸の連鎖」を生み続けます。 科学は、ある前提を基に、世界中の誰が納得する理論を提供しなければなりません、 千差万別の個人の感じ方を基にした、「幸不幸」感や「悲喜劇」を基に理論を構築する学者は(たぶん)居ません。 余談ですが、科学としての心理学の役割は、容疑者(犯人?)の心の闇を探ることを通して、 社会としての個人の心の闇を解消する手立てを提供していくことにありますし、 また、事件にまきこまれた方々の心の傷を少しでも癒して、悲しみから救うことにあると思います。
- nisekant
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自我たる中心点は、人間形式が生み出す見誤りであるという見解を私はもっています。だから、自我を否定したいのではなく、自我がある「ように」感じさせる。「のように」が興味深いのです。 人間形式を絶対的に扱えば、重大な過ちを犯しかねないでしょう。現に、哲学はそれにより行き詰まりみせ、カントのコペルニクス的転回という発想により、行き詰まりを脱したのです。 コペルニクスは、世界は人間を中心にまわっていないと教えてくれたのです。
- nisekant
- ベストアンサー率11% (13/112)
補足ですが 現代科学では、自我の存在は否定されているそうです。自我という利用者の幻想だそうです。「ユーザーイリュージョン」「解明される意識」「ヒトはいかにして知恵者となったか」
補足
私は科学万能主義ではないのですが、それも完全には否定しません。 自我というのは実は柔軟性があるものと思ってます。 たとえば自我は洗脳でコントロールできるものですが、それを払拭することができます。それは気づきと意志でのコントロールです。自我は常に更新できるものと思ってます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 あと「ギャンブル的認知バイアス」というのがあるそうです。 例えば、100万円の借金が、0になるか、300になるかの賭けにネガティブなときについつい、挑戦してしまうような心理で、不幸なときには、堅実にやっていたのでは不幸からいつ抜け出せるかわからないから、つい、リスクの高い大胆なチャレンジをしてしまい、さらに不幸になってしまいやすい。 つまり選択を誤ってさらに悪い方向にリスクを負ってしまう。人生の岐路での選択がさらに不幸をよび。そういった人間らしさが共感をうむ。 「リスクアバース」とはその逆で、リスクを避けた選択をすること。ポジティブなときはそれが出来る心理状態 なのだそうです。 私は運命というのは自分の外という混沌の一部を自分の心が自分にどう関わらせるか、を決めた結果だと思います。 「運命は外からばかりではなく、内からもくるものである」と加藤諦三氏も述べてます。 そのなかには衝動で決めること場合もあります。一瞬の判断でその後の一生が決まり、それが不幸につながっていくこともあるかもしれない・・・。幸福や不幸はバイアスに名をつけたもので、でもそれらについての本音は本当の自分、つまり内なる声が教えてくれているものだと思います。それこそが自我だと考えます。 >原因は原因と同時に結果でもあるのです。 納得です。