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国民から見た『戦争』

またすみませんが、質問です。 太平洋戦争の時、日本の国民は戦争をどのように見ていたのか、本当に戦争に賛成していたのかを教えてください。大体、赤紙が着たら喜んでいたという感じがアニメや映画からするのですが、はたして本当なのか、変な質問ですが、お願いします。

みんなの回答

  • shoyosi
  • ベストアンサー率46% (1678/3631)
回答No.8

 当時は日本(朝鮮・台湾含む)、満州及び中国内の親日政権、自由インドなどを中心とする西欧の影響のないアジアの新秩序に対抗する勢力としてのアメリカ、イギリスなどの植民地主義、ならびにそれに尻尾を振る蒋介石政権に国民ほとんどが敵愾心を抱いていました。また、国民も子供のときから徴兵が当然と考えていましたのでいやと思われる態度を取りますと怖気づいたと見られたり、まわりの人から国賊扱いにされ、そのような教育をした両親も指弾されます。こころでは仕方ないと思っても、態度では喜ぶ人が多かったでしょう。

  • cotiku
  • ベストアンサー率17% (38/216)
回答No.7

大正生まれの人に聞いた話です。 シナ事変は戦争景気をねらった商社と軍部のやったことで、その戦には不安・不満を感じていた。 対アメリカ開戦は、経済封鎖されて食べ物がなくなるのでやむを得ない、窮鼠猫を噛む思いで、賛成だった。とのことです。 赤紙がきたら一応バンザイを唱えたが、本心嬉しい人はまずいなかった。水杯をかわして千人針を持たせて出征させるのが作法だった。陰膳をして生きて帰ることを祈った。 兵隊検査の結果、視力不足や痔疾など人目に見えない欠陥が指摘されて徴兵をまぬがれた青年は、非国民ではないかと白い目を向けられ、ねたまれたので居心地はよくなかった。 学校でお国のために死ぬことは尊いことだと教えられて学生達は進んで志願兵となった。ただ、突撃隊に入るのは主に文科系で、理科系には特攻出撃は勧められなかった。

noname#21649
noname#21649
回答No.6

反戦を言えば.殴る・蹴るの拷問死ですから.ながいものにはまかれろ ですね。 >赤紙が着たら喜んでいたという感じがアニメや映画からする これは.第二文部省と呼ばれていた出版社の内容でしょう。政府の宣伝しかしなかった.少年・少女誌を発光していた会社です。 近所の息子が.少年誌の宣伝に乗って.航空隊の志願兵で出兵しました。まっていタ野は.砲弾運びです。45kg砲弾2個を背負って爆撃機に乗せる作業でした。 仕事がいやになり.にげかえってきました。大通りで.ここのえに捕まって.軍刀で切り刻まれていました。2時間ぐらい生きていましたよ。

  • hujiyama
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.5

祖父に聞いた話では、百姓(うちは農村なので)が兵隊になったって勝てるワケ無い、お上はアホかとか村の人同士で言い合ってたみたいです。 というか駐在さんからして口に出してたらしいです。 なので赤紙が来たら醤油を飲ませるとかお巡りさんにするとかなんとか逃げようとしてたみたいです。 で逃げられなかった人はしょうがなく出征したみたいですが、手とか足とかにちょっぴり怪我してさっさと戻っておいで、って言われながら出征したみたいです。 (でも出掛けてった人はほとんど帰ってこなかったらしく、ばあちゃんが何度も何度も、あの時弟を何としてでも逃がしておけばなあ、行ったって良い事無いからお前は逃げるんだよと泣いていたのが忘れられません。) 少なくとも私が聞く限り、村の人間で喜んで出征した人はいなかったみたいなので、なんか一般的なイメージとかなり違いますね。 ばあちゃんの村は新潟の、未だに屋号で呼び合ってるようなド田舎なのでそれが何か関係しているかも知れません。

  • ToshiJP
  • ベストアンサー率38% (482/1255)
回答No.4

じいちゃんやばあちゃんから聞いていた話だと、表面上は近所中万歳で送り出したようですが、うちとけた隣近所の人間の間では、若者は取られていったが最後、死ぬものだというのをみんな知っていたので「なんてことだ、、、まったく」という気持ちばかりだったようです。 そりゃ天皇様ということで陛下はあがめられていたみたいですが、戦争自体には疑問ばかりだったとのことです。(大阪の下町)

noname#251407
noname#251407
回答No.3

現在の北朝鮮の国民と同じ状態ですね。 聖戦と云われ、その様な教育をされていたので一部の人を除き信じていました。 軍に協力しない人は「非国民」と言われ排除されていました。  周囲も「赤紙」が来れば喜んで入隊するものだという雰囲気で内心いやでも?喜んでいましたよ。

  • tunoji
  • ベストアンサー率7% (8/105)
回答No.2

岩波現代文庫の『太平洋戦争』家永三郎著を一読されることをお薦めします。戦争初期から終戦までの国民意識の変遷もきちんとまとめてあります。 参考文献も豊富に紹介してあります。 さて、組織的に反戦活動をしていた日本共産党は弾圧で壊滅状態にありましたから、あとは個人的な反戦活動があっただけです。それも発覚しだい即座に弾圧されました。したがって実際に戦果が上がっていた戦争初期は国民は戦争を熱烈に支持していたと考えられます。物資が乏しくなり、本土空襲が始まった戦争末期には厭戦気分も出てきたようですが、反戦活動までは行かなかったようです。 というようなことが、『太平洋戦争』に書いてありました。

  • anaank
  • ベストアンサー率10% (29/287)
回答No.1

 ばあちゃんから聞いた話ですが、昔の人は、天皇さまさまみたいで、お国を守るとかいう、マインドコントロールをされていた状態みたいですね。  恐ろしいことですよ。今の感覚で言えば、冗談はよせ!ですね。  軍部は天皇を利用したようですが…困った連中がいたものですよ。

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