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裁判員制度は何故民事や行政裁判を含まないのか

 裁判員制度が裁く事件は刑事事件だけだと聞きました。何故、刑事だけなのでしょうか。行政裁判こそ裁判員制度でやるべきではないでしょうか。今の行政裁判で原告が勝つ確率は数パーセント、まともな判決がなかなか出ません。生活実感からわかる行政裁判こそ、裁判員制度に相応しいのではないかと思っています。  何故それをやろうという意見が出てこないのでしょうか。

みんなの回答

  • tk-kubota
  • ベストアンサー率46% (2277/4892)
回答No.2

民事や行政訴訟は、事実関係の争いが少なく、法律の適用が主となっているからと思われます。 私の、実務経験でも特に行政訴訟は手続法でその法律が煩雑です。 例えば「行政庁のその処分は、○○と云う法律に基づいたものであるが、その事実はこうこうで、何と云う法律の適用である。だから、その処分は取消しなければならない。」と云うように専門の弁護士でさえ、詳細に調べてからの訴えとなっています。 そのうえ、すぐの訴えは原則禁止しており、順序立てて手続きを進めるようになっています。 その点、刑事事件は簡単です。 法律の手続きは裁判所が進めてくれますし、私たちは、事実の認定をすればいいだけですから。 (あの被告人「殺してない」といっているが、あれはウソ)と云うようなことだけを判断すればいいのです。

uriusei
質問者

お礼

 ありがとうございます。でも、行政裁判もそんなに大変ではないと思いますが。経験上。

  • shuryuu
  • ベストアンサー率29% (5/17)
回答No.1

仰ることは至極当然だと思います。 行政裁判は、建前は三権分立で公正な判断が保たれているという 体裁は整えられていますが、実際はかなり違います。 しかし、裁判官は一応独立したものとして裁判を取り仕切り、 判決を下しています。一定の公正さは担保されていると 見ていいでしょう。 反対に裁判員制度が導入されるとどうでしょうか? おそらく、大多数は行政にとって不利な判断をすると思います。 しかもその判断材料は感情によるものが多くなる蓋然性が きわめて高いでしょう。刑事事件においては、感情による判断を 被害者の心情を映すものとして受け止めることが仮にできても、 行政裁判を感情でやられては困ります。行政裁判の多くは 是正を求める人がいる一方で、是正されると生活が成り立たなくなる 人が出てくる場合が多いです。仮に是正を求める人ばかりが 裁判員になった場合と、是正を求めない人ばかりで構成された 場合とでは結論がまったく変わってしまいます。 刑事事件にはこういった弊害は考えにくいのです。 最後に、行政にとって不利になるということは、立法府にとっても 間接的に不利益を与えることになります。そのようなものを 立法府のものが法制化するとは到底考えられません。

uriusei
質問者

お礼

 ありがとうございます。  だいたいは私が予想した考えです。でも、何故メディアはその問題に対して全く報道しないのでしょうか。報道規制があるのでしょうか?あるということになればとんでもないことになるので、情報は手に入らないでしょうが。

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