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裁判員制度が結局裁判を長引かせているのでは?
一審の判決を二審で簡単になかったことにする判決が多いですよね。 一審は裁判員制度での判決だと思いますが、だったらもう一審なんていらねえじゃんと思うんですがいかがでしょう? 裁判員は行きたくもない裁判に仕事休んでまで行ってるのに、その判決がまったく尊重されない。 もともと長引くことが多い裁判をもう少し短くするためみたいな目的もあったはずですが、結局のところこの裁判員制度のせいで余計な裁判が増えて長引いてるんじゃないでしょうか? つまり、余計な税金も使われてるって事ですよね? もう裁判員制度なんてやめたら? これ、なんか良いことあるの?
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一審と二審で判決がひっくり返る、その実績がまずそもそもの意味となるのじゃないですか? もともと、裁判所の判決と一般国民の意識のズレが指摘されていました。 ただ、はっきりとしたデータではなかった訳ですよね。 裁判を外側から見た意見だと思います。 裁判の内側にいる裁判官と、外側から見ている一般人の意見にある差ですね。 大きく立場に違いがある。どう頑張って、意見やデータをとってもこの部分はどうしようもない。 それでも、そのズレが”人を裁く”という重大事項においては、見過せないと考えられていたのでしょう。 で、なんとか制度を変えるまでに至った訳です。 でもそんなに簡単に変わらないのは人の意識です。 今度は、実際に裁判の内側で、裁判官と裁判員の意識の違いが明確にあることが事実として積みあがっていきます。 これにより、裁判官や世間は、ズレをよりはっきりと認識するでしょう。 時間はかかるでしょうが、裁判官の世代交代や経験に間違いなく影響を与えます。刑法改正にもつながるでしょう。 簡単ですが、これは良いことだと思いますよ。
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- toka
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上訴することそのものは三審制がきちんと機能している証拠であり、逆に良いことなのです。 裁判員裁判か否かに関わらず、裁判というものは人の権利を制限する裁定を国権で強制的に出すものですから、慎重に下さねばならないし、万一の錯誤の可能性を考えねばなりません。 もっとも裁判員を参加させるべきかどうかは別問題ですが、一般市民も社会問題に参加させるべきという判断でそうなったんで、また別の対策が要るかと思います。(裁判員への報酬を増やす等、参加したくなるようにしむける)