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朝鮮に於ける「支那」と云ふ呼稱に就いて
朝鮮では「支那」といふ呼稱は普及、使用されてゐたのか?
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- cse_ri2
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朝鮮の文献にはさほど詳しくないので、推測の意見となり ます。 日本においても中国を指して「支那」という呼び方は、 歴史的に一般的ではなかったように思います。 知ってのとうり地理上でいう支那にあたる地域には古来 より様々な国が時代毎に存在し、その国名で呼ぶことが 日本においても一般的でした。 例えば聖徳太子の時代では「隋」、奈良・平安時代は 「唐」、江戸時代・明治時代は「清」です。 こういう呼び方は日本だけでなく東アジアでは一般的で あったので、朝鮮半島においても同様であったと私は 推測しています。
- himurokorosuke
- ベストアンサー率38% (24/62)
こんにちは。 全くもってこの質問に関する事ではないのですが、 失礼ですがhinomoto001殿はお年はおいくつであられますか? 私は、お年を召した方がネットに触れるということがとてもいいことだと思っておりますので、その経験や知識にてこれを機会にさらに色々な質問に答える側にも 回っていただきたいと思っております。 それともそういうキャラクターを演じているのでありましょうか?
お礼
himurokorosukeさん、初めまして。仕方ない反應かと思ひますが、 私は現在三十五歳でありまして、「舊字舊かな」はある「キャラクター を演じ」ようとして使用してゐるわけではなく正しいと思つてゐるから 用ゐてゐます。これはさう珍しい事ではありませんよ。「歴史的かな遣ひ」 等で檢索されるとよろしいでせう。
一応、「支那」に相当する単語、「 スl レl 」(チナ)というものはありますが、おそらく、あまり一般的な言葉ではないと思います。 あまり自信はないのですが。
お礼
皆樣囘答有難う御座います。「無かつた」事を證明するのはなかなかの難事 なのですよね。日本では「支那」の語が知られたのは平安時代の樣ですが、 だとすると朝鮮でもその頃知られてゐたのでせう。その後、「支那」が 使用される樣になるのは明治中期以降、西洋との出會ひがきつかけらしい です。新井白石が使用し始めたと云はれてゐる樣です。その頃朝鮮ではどう だつたのだらうか。その頃(江戸時代)我國と朝鮮とは交流があつたわけで、 「支那」と云ふ語の使用も當然知つてゐた筈です。その事をどの樣に思つてゐた のだらうか。
補足
大失態、「支那」が使用される樣になるのは「明治中期以降」ではなく、 「江戸時代中期以降」です。
- changchuan
- ベストアンサー率21% (17/80)
こんにちは。 朝鮮では「秦」とか「漢」など、当時の中国の名称で呼ばれていたのでは? 朝鮮も同じ漢字の国なので・・。 あ・・でも日本も漢字の国よね・・。 とりあえずチャイナ=支那=中国? って前にあったので他にもURLたくさん載ってるから参考にしてくだされ。
- goncyan18
- ベストアンサー率27% (187/679)
China→ちゃいな→ちな→しな イギリスが発祥の地ですよね?違ったっけ。 でも支那は中国でしょ? 朝鮮では使用してないんじゃなかったような、、、。 と、思ゐます。
お礼
cse_ri2さん、書込み有難う御座います。 大旨異論はありませんが、 >例えば聖徳太子の時代では「隋」、奈良・平安時代は >「唐」、江戸時代・明治時代は「清」です。 その一方で「漢」「唐」「から」あるいは、「呉」「くれ」が 支那を意味する語として使用される事もあつた。江戸期、「支那」といふ 語を好んで用ゐたのは蘭學者のみであり、漢學者國學者僧侶はもとより 一般庶民はこの語を使用する事はなかつたと思はれます。また、漢學者 の中には支那を「中國」と呼ぶ連中もゐた樣ですね。漢學者にとつては 支那は中央なのだからさう呼んで自然なのでせう。 明治以降即ち「文明開化」以降「歐風文化文明」受け容れ以降、「チャイナ」 と同語源の語である「支那」が普及するのは自然ですね。 それでは朝鮮ではどうだつたのだらうか。