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支那

印度と書いて’インド’、欧羅巴と書いて’ヨーロッパ’、亜細亜と書いて’アジア’と言いますが、これは外来語だと思いますが、そうでしょうか。 また支那は中国のことですが、支那と書いて’シナ’というのは外来語ですか、それとも漢語ですか。

みんなの回答

  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.3

英語ではチャイナですが、他のヨーロッパではシナです。 それは語源が秦から来てます。 日本はジャパンですが、ヨーロッパではジャポンです。 それは、語源がジッポンで日本から来ています。 当時の中国にいた日系人がそう言っていたそうです。 中国も元号からすれば、「華」なんですけど。台湾との区別の為に中国と中国人が訳しました。 韓国人がそれを真似て韓を韓国と呼んでいます。 本当に真似るなら「大国」なんですけど、恐れ多いのでしょう。 世界で自国を国付けて呼ぶのはこの二国だけです。

  • comattania
  • ベストアンサー率23% (840/3549)
回答No.2

【印度と書いて’インド’、欧羅巴と書いて’ヨーロッパ’、亜細亜と書いて’アジア’と言いますが、これは外来語だと思いますが、そうでしょうか。】・・・日本語で、当て字です。 【支那】の文字も、隋と同様に漢訳仏典を通じてで、空海の詩文集「性霊集」に「支那」が用いられた例が確認できます。江戸時代初期にも、世界の中にこの地域を位置づける場合に「支那」の呼称が用いられた例を見ることが出来ます。『西洋紀聞』はキリスト教が禁止されていた日本に布教目的で潜入して捕らえられたイタリア人シドッチに対して新井白石が行った尋問の記録でありますが、シドッチの日本上陸(1708年(宝永5年))および翌年の尋問を1725年(享保10年)頃までに完成させたものであり、その中ではアジア、アメリカ、ヨーロッパなどと並べて「支那」の記述が発見できます。佐藤信淵が1823年(文政6年)に著した『混同秘策』でも「支那」が用いられています。 江戸後期には「支那」と同じく梵語から取った「China」などの訳語としても定着したものです。特に明治期以降、歴代の王朝名(例:漢、唐、清)とは別に、地域的呼称、通時代・王朝的汎称としての、この地域の名称を定めることが必要であるという考え方が一般的となり、従来「漢」「唐」などで称していたものを「支那」と言い換えることが行われたのです。 日本では、伝統的に黄河流域の国家に対し「唐」や「漢」の文字を用いて「から、とう、もろこし」等と読んできました。明治政府が清と国交を結んでからは、国号を「清国」、その国民を「清国人」と呼称したものです。学術分野では、伝統的には「漢」の文字を用いて「漢学」「漢文」等の呼称が用いられてきましたが、明治中葉より、漢人の国家やその文化に対して「支那」が用いられるようになった。ただし「漢人」「漢民族」の定義は不確定であり学術的に確定しているわけではありません。 という事で、現中国のあの辺りの総称なんです。英語での【CHINA】が、【支那】なんです。

回答No.1

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