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二胡と動物保護
私は二胡を習っています。 しかし、いつからか動物保護に 強い関心を持つようになり 自分の中で二胡との折り合いが 複雑になって来ました。 二胡の音色は蛇皮が命です。 本当に美しい音がします。 しかし、音楽のために 蛇を殺して皮を剥ぐ。 その音楽は果たして許されるものなのでしょうか。 ジレンマです。 しかも、剥いだばかりの皮が良品なので、 死骸の活用でもなく、明らかに楽器のための殺生です。 命をつなぐ為の殺生は折り合い付きますが 音楽と言う必要不可欠でないものに 動物の命を奪って、いいのでしょうか。 しかし、二胡は辞めたくない。 どうやったら ここから出られますか。
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とても気の優しい方ですね。 お気持ちは理解いたしました。 ここで、芸術とは何かと考えてみていただけますか? 単なる創作活動だけでしょうか? 生活の延長からの発展でそのうち芸術とされるものもありますが、 (結果として芸術として成熟するに至ったものもありますが)、 現在進行形で芸術と定義されて活動されているものは必ず意図、目的があります。 「○○をのために、○○を訴えたくて○○を○○として表現している」 みたいなフレーズはよく耳にされるかと思います。 ご質問者さまはまさに、芸術をなさるきっかけをつかんだのではないでしょうか。 このようなジレンマからご自身で何を訴えていったら良いと思いますか? それをどう表現したら他のみなさんに伝わると思いますか? 例えば、それが文学なら田山花袋や国木田独歩などが表現したかったであろう自然主義的なものであると理解できます。 ジレンマがもし解消されてしまったら、芸術性は失われ、ただ技術の研鑽の場でしかなくなってしまいます。 ですから、そこに芸術が宿っている限りはジレンマは解消されなくて良いのです。 二胡って本当に暖かい良い音がしますね。 そして、そこまで深く楽器のこと、命のこと、深く大事に考えられるのであれば、是非やめないで、続けてください。 貴方の大事なアイデンティティのひとつでもあるのです。 そう思っていらっしゃる貴方に対して、蛇も納得してくれるでしょう。
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- dipearl
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まず、動物愛護と自然保護について言いますと、この2つは似て非なるものです。自然保護は、自然を敬い、人間を含む生物が共存することを目指す考え方ですが、動物愛護は感情的なもので、自然界からすれば全く必要のないものです。動物愛護の極端な例がグリーンピースでしょう。 人間が自然と共存するということはどういうことだと思いますか? それは自然の生物を殺さないことではありません。逆に、殺し合うことが本当の自然です。人間が目的を持って他の生物を殺すことは、何ら自然保護に反していません。 例えばあなたはハエやゴキブリが出たら駆除すると思います。蛇は殺すのは可愛そうで、害虫ならOKですか? 「害虫」という定義は人間の都合で勝手に決めたものだと思いませんか? また、動物よりもさらに過酷な何億倍という生存競争に勝ち抜いて来た樹齢数百年の樹木を切り倒してバイオリンやテーブルを作るのはどうでしょうか? 理由も無く生物を殺傷するような野蛮な行為はやめるべきですが、あなたがしている二胡の演奏という行為は、人間らしい行為であり否定されるものではありません。 ニシキヘビの場合、ワシントン条約にひっかかっていますので、捕獲は当然規制されていますので、当然ながら合法的な革でないと上記の理屈は当てはまらないかもしれません。おそらく非合法の革も少なからずあることでしょう。でもそれはあなたのせいではありませんし、ニシキヘビが減少している最も重要な原因は、二胡を作ったからではなく、ニシキヘビが生活する森を奪ったからです。ですから、ちょっと視点を変えて、動物愛護ではなく自然保護の心を持っていただきたいと思います。
お礼
確かに動物愛護と自然保護は目的が異なっていますね。 よく意識してみないと気づきにくい点です。はっとしました。 冷静な角度からの意見を頂き、参考になりました。 樹木だから良いというものおかしな話。 (ただ、私の場合害虫もなるべく殺したくないので、見逃しています。 出ないようにきれいにしておけば良いことなので。) これからも、感情論に逃げ込まない冷静な判断で自然保護の心を持ちたいと思っております。 回答ありがとうございました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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二胡は鑑賞するだけですが、こういうことは多々ありますね。 とても悲しい。動物たちのお世話になっているというより、犠牲を強いて、私たちはいきてきているのですね。魚類、植物。 私も謹んでともにご回答をお待ちしております。
お礼
一緒に気にして頂いてありがとうございます。 とても納得いく回答を得られました。
じゃあその蛇さんに感謝して弾いてあげれば? ていうか必要不可欠のものだけが必要な世界なら 人間そのものもあやしい。 それに殺風景で退屈だよ。
お礼
感謝は当然だと思っております。 回答ありがとうございました。
お礼
>ジレンマがもし解消されてしまったら、芸術性は失われ、ただ技術の研鑽の場でしかなくなってしまいます。 ですから、そこに芸術が宿っている限りはジレンマは解消されなくて良いのです。 芸術には矛盾を抱えながら試行錯誤する覚悟が必要なのですね。 ジレンマから抜け出そうという考えがすでに 芸術性を失っていること でした。 これから二胡を続ける上で、大切にしたいと思える回答でした。 ありがとうございました。