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動物保護について
僕は環境問題について学んでいる大学生ですが、自分の将来を揺るがす問題が発生したので、回答をいただけたら嬉しいです。 現代では人間による環境破壊が進み、多くの生物が絶滅していており、そういった生物たちを少しでも多く救いたいと思い、僕は環境問題を学んできました。 しかしそれはただのきれいごとのように思えてきました。 自分は目の前にいる蚊やゴキブリを殺してしまいます。彼らはたいした悪事を働くわけではないのに・・・ また、必要以上の肉を食べたりもします。 動物愛護などという言葉を近頃よくききますが、結局きれいごとのようにも思えてしまいました(愛護活動を非難しているわけではありません)。 どなたかこの記述に対する意見をください。非難、短文、どのようなものでもかまいません。よろしくお願いします。
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ご質問を読んで、2006年末の「The Economist」誌の記事を思い出しました。 以下、山形浩男氏による翻訳からの引用です。 「有機食品は、人工農薬や人工肥料を使わずに育成されるので、一般には化学製品に大きく頼った通常の集約型農業より環境に優しいと思われている。でもそれは「環境に優しい」という意味にもよる。農業は根本的に環境に悪いのだよ。人間が1万1千年前に農業を採用して以来、すさまじい森林破壊が展開された。でも1960年代の「緑の革命」の後で、化学肥料の多用によって、穀物の収量は三倍になったが耕地面積は大して増えずにすんだ。有機農法は、化学肥料のかわりに輪作や糞尿、堆肥に頼るので、集約度はずっと低い。だから世界のいまの農業生産を有機農法で生産しようとしたら、現在の数倍の農地が必要になり、森林はまったく残らないだろう。」 http://www.economist.com/business/displaystory.cfm?story_id=8380592 http://cruel.org/economist/ > きれいごとのように思えてきました。 きれいごと、で済ましてしまってはいけない、その先があると思います。 この世に存在するということは、この世に属する全ての存在と 関わりを(否が応でも)持つということだと思います。 言い換えれば、この世は無限に近い「関係」で構成されています。 ある存在にとって「善」の関係が、別の存在にとっては「悪」である可能性があります。 むしろ、全ての存在にとって「善」であるような関係や 全ての存在にとって「悪」であるような関係の方がレアでしょう。 要するに、100%「善」であるコトなんて、まず「無い」筈。 何だか「悪人正機説」みたいですね。 http://www.spacelan.ne.jp/~teruteru/houwa/akunin.html 大事なのは、そのような自覚をもって (きれいごと→だから「ダメ」ではなく) ベターを考え続けることだと思います。
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たとえ偽善だったとしても偽善すら出来ない人間よりましだし、 きれいごとだと思っていても、きれいごとがないと世の中 醜いものを見続けなければいけません。 例えば、花を育てることは人間が生活するうえで何か得をするわけ ではありません。売ればお金をもらえますが、種を買って 花壇で育てただけでなにか意味があるのでしょうか? 部屋に、切花やきれいな絵を飾ることに意味はあるのでしょうか? なにも得しないのに。 理由は人それぞれあるでしょうが、ちょっとでも自分の世界を 美しくしようとしているのかもしれません。 世の中はキレイ事に溢れていますが、キレイごともない世界に 私は住みたいとは思いません。 だから私の意見は、キレイ事に思えたからそれがどうしたの? と言いたい。
お礼
>キレイ事に思えたからそれがどうしたの? この言葉を見てはっとしました。自分は今まで小さなことを気にしていたように思えます。 一つ一つのことに意味を付加する必要はなく、自分が感じたことを大切にし尊重していくことが大事なんですね。 ありがとうございました。
- TTOS
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動物は他の生物を食べることで生きています。 かわいそうだから殺したくないのなら,生きること自体に罪悪感を持つことになりますが,それは個人の価値観の問題で,大学で研究するようなことではありません。(哲学としてなら可能かもしれませんが) http://www.biodic.go.jp/biolaw/jo_hon.html 生物の多様性に関する条約ですが,この目的に「生物の多様性の保全、その構成要素の持続可能な利用及び遺伝資源の利用から生ずる利益」と書かれています。 環境保護や動物保護は感情論ではなく,今後人類が他の生物とどのように関わっていくべきかが問われている問題だと思います。 絶滅危惧種のトキは,かつては害鳥扱いされていました。害虫・害獣なども含めて,人類との関わり方について探求し,私たちに指針を与えてくださることを希望します。
お礼
人間も他の動物と同じで自分たちのみの力で生きていくことはできず、他の生命の命を取り込むことで生きていきます。 その命の恩恵を享受すること、命を無駄にすることをそれぞれ良く考えることが他の生物と関わっていく上で大切ですね。 これからも学び続けようと思います。 回答ありがとうございました。
- amaguaeru
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過度に介入しないと言うことが大切なのではないでしょうか。 現代社会においては、かつてのアフリカやアマゾンにおける大自然の中での野生そのものの中での生のバランスがとられる状態はほとんど無理なようで、方向性としてはこれも過去形になりつつある日本の里山のような、自然を適度に管理することによって人類も含め野生における覇者を無くし、今在る種を滅ぼすことのなく自然の中に共存していけるような形態を模索するしかないような気がします。
お礼
回答ありがとうございます。 自然界の掟に反しないこと、それが今人間に求められている倫理なのだと僕も思います。 今まで犯してきた過ちの償いとしてできることをこれからの大学生活で模索し、自分なりの答えを探し出したいと思います。 ありがとうございました。
- ceelee-boy
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「動物をかわいそうに思う自分たちの気持ちを守る」ってことですよ。その気持ちを傷つける奴らは絶対に許せないってことですよ。 基準は自分たちがかわいそうと思うかどうかです。 かわいそうだと思う動物は愛護の対象になります。 おいしそうだと思う動物は、食べちゃいます。 「キャー」って大声を上げてしまう動物は駆除の対象になります。 例えば、名誉毀損は、それが例え虚名であっても、真実を暴露することは罪になりますから、彼らの気持ちを害してしまうような言動は、反発を食らってしまいます。 暴力団に向かって、全うに働きなさいって忠告するようなものです。 人がたくさん餓死している世の中で、餓死している人たちのことは言わないで、動物をかわいがっているんですから、触らぬ神にたたりなしってところでしょう。 暴力団ほどには、悪いことはしていないってところでしょう。 宗教活動を熱心におやりになっている人だって、別に悪いってことじゃないですけど、例えばそれが、イスラム教で、キリスト教ではこうだから、悔い改めなさいなんていっても、戦争になるだけのことですから。 まあ、私も将棋好きなんですが、そうじゃない人から見れば、勝手にやってればってことで、そういう態度が正解だと思います。 まあ、将棋好きは、動物愛護協会みたいに、協会員以外に方たちに向かって、これはいけないあれはいけないとか、介入したりはしませんけどね。将棋の基本は正座からだっていって、食事中にテーブルの足を切って、椅子を座布団に取り替えるなんて事は、将棋愛好家はしませんが、動物愛護家は元気がいいんでしょうか、子供なんでしょうか、やっちゃう人が何人かはいるみたいですね。 環境問題って言っても、氷河期も地球だし、溶岩がどろどろに流れていても地球なんだから、そこに人間が住める環境ってことで、そもそもが人間中心なんで。地球中心なら、人間が滅んだって地球的には日常茶飯事、地球はびくともしないでしょうから、人間問題なんですが、環境問題っていうところから、言う人たちの驕りというか、自分が世界の中心だって意識があります。 まあ、絶滅危惧種を救うって言うのは、人間の都合で勝手に種を絶滅させていいのかという、自然への敬意って言う大くくりで捕らえればいいことではありますけど、一度絶滅危惧種に指定したらどんなに増えても保護し続けるなんていうのは、そうなると、かわいそうに思う自分の気持ちを傷つけられたく無いという、自己愛でしょうね。
お礼
深いお話をありがとうございます。人によって価値観は異なり、互いに干渉することはできないということですね。僕もそう思います。 結局この世に絶対的に正しいものなどないのかもしれませんね。 考えが深まりました。ありがとうございました。
- Roman0
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きれいごとの感情論ですよ。 が、偽善によって救われる人もいますから、見方や使い方で、毒にも薬にもできないものではありません。ナントカと鋏は使いよう、と言いますから。
お礼
確かにそうですね、よく考えると動物のためと謳いながらも結局自分のためにやろうとしていたのかもしれません。 貴重な意見ありがとうございました。
お礼
>ベターを考え続けること 確かにその通りですね。僕は何もせずにあきらめようとしていました。 これからも学び続け、そして考え続けることでより良い答えを見つけていこうと思います。自分がやることに自信を持てるように 本当にありがとうございました。 ありがとうございます、皆さんのおかげで自分なりの答えが見つかった気がします。お世話になりました。