• 締切済み

文学や映画などの人生の機微や英知を扱う分野はすばらしいと思います。だけど…。

こんにちは。 僕は、タイトルのように確かに思います。 ちなみにフランス文学を専攻していて、一年生のときに留年をし、 今大学3年生です。情報として、とりあえず有名校です。 フランス文学は悪くはないと思うけれど、これを専攻していて 将来の生活を考えると少しつらいです。 この分野に「尽きることのない理想」などを抱いていれば 生活の不便さなどは、三日前の天気予報ほども気にならないと思いますが、 僕はそういう学生ではありません。 そういう学生を奇妙だと思ってもいません。 僕はそのようにできる彼らを尊敬しています。 もう就職が迫っています。 卒業論文は海外旅行が好きなのでとりあえず「オリエンタリズム」 関連にしました。 これなら外国語文学と、旅や日本の問題も絡めて論じることが できそうだからです。 残り少ない大学生活を、読み残した小説などを読むことや長期の旅行に当てようと思っています。 上記の内容の文に対して、何かアドヴァイスがありましたらお願いします。 文型の非実学系の学問はすばらしいとは思います。だけど…。

みんなの回答

回答No.3

私が思うには、フランスの思想だとか、その他文学や思想や哲学などといったものは一つの生きる指針としてあるわけで、自分自身の信仰だと感じてます。読み残したものがあると言われてますが、またそれを読んだら読みたくなる小説ができるのではないでしょうか? 現実と切り離して考えた方が気が楽になれますし、(私は大学の実態というのが把握できませんが)読みたいものを読み、それについて時々考えていればいいと思います。 仕事をしてお金を稼ぐ必要があるのは、周知のとおりですが、フランス文学と仕事を密接だけど切り離せるものとして考えてはどうでしょうか?本を読んでそれについて考えることは、自分自身を養えますし、あなたがどのように職に就きたいかはわかりませんし、フランス語や何かを活かせる仕事だとかは考えているのでしょうか?詳しいことはわかりませんが、村上春樹のインタビューか何かだと記憶しているのですが、「自分(村上)の小説を読むなら、自分(読者)について考えることの方がためになる」言ってました。もう一度自分について考えてみてはどうでしょう?ゆっくりと…。そうしたら自分自身の方向性が見出せるのではないでしょうか?では・・・

Evianus
質問者

お礼

返答ありがとうございました。 なんだか、いいですね。 久しぶりにゆっくりとした感じで、懐の広さを感じさせてくれる、回答でした。 僕もそれでいいと思うんです。 でも、そう思う一方、やっぱり現実に生きていく上でフランス文学は 多分心の支えにはならないだろうし、現実の社会で成功 したいという感情をあったりしてアンビバレントなんですよね。 でも、どちらかというと本当はゆっくりいろいろなことを考えながら 成長していきたい。 まぁ、でもいろんなところでもまれるのも成長だしいいかな。 自分の納得がいかないこの場所(フランス文学)に今いることだって、 長い目で見ればよい経験になるかもしれないし…。 最低限気づいたのは、高校時代あまり勉強しない自分がいた。 今をれを振り返って、あの時もっと勉強していればよかったな。 と思う。当時も勉強が嫌いだった。今と同じ状況。 でも、将来同じように後悔しないように、今目の前にあることを 精一杯やる。 それが、自信にもつながるだろうし、一番いいのかな。 なんて。 回答ありがとうございました。

  • tunoji
  • ベストアンサー率7% (8/105)
回答No.2

文学も映画も元をたどれば、娯楽の少ない時代に有閑階級を中心に楽しみを与えるために考え出されたものです。もちろんお金はもらいます。 有閑階級の暇つぶしという立派な役目があったのです。

Evianus
質問者

お礼

文学はどうだかわかりませんが、映画は発明当初から大衆娯楽の ためのものだと思っています。 10代のころ、僕はこの映画の性質に惹かれたのでした。 19世紀の終わりに発明された映画は、20世紀の人々の 娯楽の中心でした。 と、言いたかったので言ってしまいました。 回答ありがとうございました。

回答No.1

長々と書かれてはいますが、一番肝心なことであるはずの「自分がなにをしたいのか」、についての記述がありませんね。見つからなくて迷っているようにも感じられますが、まずはそれを見つけてください。 余談ですが、自分と人生のスタイルが違う人たちについて安易に「尊敬」するのは好ましくありませんよ。「認める」の方が妥当です。

Evianus
質問者

お礼

ひとつのことに一生懸命取り組んでいる人は、本当に尊敬 に値します。 「認める」という場合もあることはわかりますが、この場合 本当に「尊敬」しているのです。 僕は少し飽き性なので、自分にないものを持っている人を 尊敬してしまうのでしょう。 回答ありがとうございました。

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