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俳句の意味を知りたいんですが
尾崎放哉の 入れものが無い両手で受ける の意味と 金子兜太の 湾曲し火傷し爆心地のマラソン を教えてください どちらかだけでもいいです
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質問者が選んだベストアンサー
一度作者の手を離れた作品は、よほどの見当はずれでない限り、鑑賞者の自由に解釈されて良いものと、私などは考える立場です。 なので、私の解釈を述べることも出来ますが、おそらく質問者さまの求めているのはそういうものではないと思いますので、ひとまず、以下のサイトをあくまで「参考」としてご参照ください。 「入れものが~」の句↓ http://diary.jp.aol.com/c3qmz2q7rsu/17.html および http://www.library.pref.kagawa.jp/kgwlib_doc/local/local_9001-03.html 「湾曲し火傷し~」の句↓(本来はPDF版のページをhtmlで表示したものです。該当句はデータ内を検索してみてください) http://209.85.175.104/search?q=cache:UM5dd_u27tQJ:www.ne.jp/asahi/jao/club/south/souhaikuNo069.pdf+%E6%B9%BE%E6%9B%B2%E3%81%97%E7%81%AB%E5%82%B7%E3%81%97%E7%88%86%E5%BF%83%E5%9C%B0%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3&hl=ja&ct=clnk&cd=21&lr=lang_ja ただし。 句が作られた状況を知ることで、その句の生み出すイメージを固定してしまうのはもったいない、あるいは危険だと思います。状況は状況として、作者の「意」はそこから超えたものであることが往々にしてあります。 これらを読んだ上で、質問者さまが何を受け取るか、どう感じるかは「自由」なのではないでしょうか。 あまり答になっていませんが。お役に立てれば幸いです。
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- jo-zen
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尾崎放哉(おざき ほうさい)の句について もともと、38歳で会社をやめて、京都の鹿ケ谷にある一燈園に身を寄せた。精神修養団体ともいえるそこのモットーの一つだったようです(以下のURL参照)。その後堂守となり、托鉢の生活にあったようです。その際の、『鉢すらなく、米銭を両手で直接受け取る』ということをそのまま詠んだ句のようです。一燈園のモットーを思い出し、自分の境涯を重ねたのでしょうね。 http://www.ne.jp/asahi/ontake/kisonokaze/jikuunotabiharu.htm 金子兜太の句については、以下のURLを参考にしてみてください。 http://www.libe.nara-k.ac.jp/~takeda/japa/05-2i-haikusen.html http://yahantei-web.hp.infoseek.co.jp/jyuttetsu.PDF