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ムハンマド(イスラム教の開祖)のユダヤ教観とキリスト教観は?
1 ムハンマドは自意識として、その人生をユダヤ教徒として出発したのですか、キリスト教徒として出発したのですか、いずれでもないのですか。 2 一般論として後発の理論は先行する理論や実態の欠陥を克服する形で登場するのだと思います。ムハンマドにとってユダヤ教の欠陥は何でしたか。また、キリスト教の欠陥は何でしたか。 よろしくお願いします。
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偉大な宗教家として歴史に名を残した人は、えてして、単なる宗教家ではなく、政治的な能力でもすぐれていることが多いような気がします。そう、まさに今、チベットのために戦っているダライ・ラマ14世のように。彼は、インド、中国、米国、日本などの大国間の政治力学を利用してチベットのために戦っており、極めて社交的な性格であるうえに、ウィットに富み説得力のある話術を英語で使いこなし、世界中の世論を味方につける能力を持っています。 キリストの場合は、ユダヤ人国家がローマの属国であったという状況の中、ローマへの反逆も辞さない一部過激はとは一線をかくした人物です。聖書の中には、キリストを憎悪するユダヤ人たちが、なんとかしてキリストに反ローマ過激派のレッテルを貼ろうと試みるものの、キリストが政治的センスにすぐれ温厚な性格であることによって、彼をわなにはめようという試みは、ほとんど失敗してしまうシーンが出てきます。あの、「神のものは神へ、カエサル(皇帝)のものは皇帝に返せば良い」という有名なセリフは、別に宗教的に深いことを語っているのではなく、「ローマによる穏健かつ寛容な支配が不満なのか。税金くらい払え」という意味であるように思われます。 仏陀の場合はさらに過激で、2つの大国にはさまれたシャカ族の王子として生まれ、おそらくは将来を悲観し、政治から逃れるため出家してしまったとすら解釈できる人間です。仏陀が出家のため宮殿から出ていこうとすると、妻は子供が出来たと言って出家を止めようとします。しかし、仏陀は、「それでも自分は出ていく。子供には『邪魔者』とでも名づければよい」と言い放った人物です。 ムハンマドはイスラムの公式見解から言うと、おそらく、ユダヤ教から出発したのでも、キリスト教から出発したのでもありません。初期イスラムは商人のための宗教という性格が強く、もともとが政治・経済的な背景を濃厚とした宗教なのですが、この商人のための宗教という側面は、忘れられがちです。イスラムの教えでは、ムハンマドが天啓を受けイスラム教を作ったということになっているかと記憶していますが、天啓というのは、たいていは過去の経験に基づいた経験則をバックグラウンドにして、それが突如として本人の自覚もないままに、いきなり無意識から意識に上がってきたものにすぎません。他宗教からの影響関係を言えば、明らかにムハンマドはキリスト教ではなくユダヤ教から影響を受けています。イスラムに見られる食のタブーや割礼(ペニスの包皮を切り取ること)の儀式などは、ユダヤ教的な要素です。キリスト教がローマで成功した理由のひとつに、キリスト死後の早い段階で、「割礼は不要である」と宣言し、ギリシャ・ローマ文化になれた人々に安心感を与えたことが指摘できます。なにしろ、ユダヤ教徒の割礼の儀式はローマ人から見ると不気味な悪習であり、ユダヤ人が機を捕らえては奴隷、使用人、孤児などに割礼を施そうとするたびに、ローマから「割礼はユダヤ人の中で行うこととし、他者に強要することはあってはならない」という命令を食らっていたのです。 さて質問2についてですが、ムハンマドは勢力を拡大していく中で、既に精密に確立された教義を持つユダヤ教との論戦で、大苦戦をすることになります。ユダヤ教徒からは、ムハンマドは天使の概念を理解していないなどとの批判を浴びるわけです。ムハンマドは論戦ではなかなか勝てませんでしたが、商業・貿易などの社会的要素においては、ユダヤ教を圧倒することになっていきます。ムハンマド本人がどの程度自覚していたかは分かりませんが、彼からみたユダヤ教は、一神教としての純粋性が低いものであり、ムハンマドはそれを乗り越えることで、ユダヤ教・キリスト教・イスラムの中で、もっとも純粋な一神教を作り出すことになります。ユダヤ教は一神論だと思っている人も多いのですが、実はユダヤ教における神の概念は、神は1人しかいないというよりも、民族ごとに守り神がついているが、ユダヤ人についているヤーヴェこそが最強の神だという発想なのです。聖書の楽園追放の物語を読んでいると、りんごを食べた2人を見て、神々(複数形!)が、あ~だこ~だと議論しているシーンが出てきたりして、なかなか愉快です。 ムハンマドはこの不純物の混ざった一神教というユダヤ教の特性を一掃することにより、1民族のための宗教ではなく、あらゆる民族のための世界宗教へとイスラムを育て上げていくことになります。 ムハンマドから見た場合のキリスト教の欠陥は、偶像崇拝の禁止が徹底していないことだと思います。また、神にざんげをする場合、キリスト教ではプロテスタント系を除けば、ほとんどのケースで聖職者を通じて神にざんげをするのに対し、イスラムでは個人が直接神にざんげをするという原理によって、神と人間の対話(および契約)という性格が強いものになっています。あるフランス人キリスト教徒が書いた説に、イスラムの本質はユダヤ教の再興であるというものがあり、これはキリスト教徒の立場からすると、ある程度の正当性がある議論だと思います。 なお、ユダヤ教・キリスト教が共通して持っている問題点があるのですが、イスラムはこの影響を、ほとんど受けておりません。一神教の弱点のひとつに、「唯一絶対の創造主がいるのなら、なぜ世の中に悪などという不要で有害なものまで作ったのですか?」という質問に、正面突破では反論することが出来ないことがあげられます。ユダヤ教・キリスト教は、いずれも神と悪の最終戦争という思想をもち、前者においてはダニエル書、後者においては黙示録にその思想が表明されています。なぜ、一神教であるはずのユダヤ教やキリスト教に善と悪の最終戦争などという二元論的思考が紛れ込んでいるのかというと、おそらく、ペルシャのゾロアスター教の影響だと思います。ゾロアスター教は典型的な二元論的宗教で、神と悪の対立という概念を持っています。イスラムはこの、神と悪による最終戦争という思想を持っているようには見えません。それだけ、一神教の純粋性だけを見れば、イスラム教が最もすぐれた宗教だということになります。 ただ、現代社会においてはイスラムには悪習といわれても仕方がない要素が混ざっています。最大の問題点は、「目には目を、歯には歯を」という古い復讐原理に基づく刑法を、今に至るまで持っていることではないでしょうか。ムハンマドより以前のキリスト教や仏教でも、このような復讐原理は見られません。キリストは右のほほを殴られたら左のほほを殴らせろと教えました。仏陀は不幸の連鎖を止めない限り、涅槃への到達は不可能だと説いています。つまり、ムハンマド以前の段階ですでに、イスラム刑法の問題点が指摘されてしまっており、イスラム刑法はこの意味で、極めて非近代的で問題の多い法思想なのです。ヨーロッパ近代法の基本思想が、復讐の連鎖を止めるため、法権力の執行権を国家に一元化するという傾向を示し始めるころになると、ますますイスラム刑法の問題点が浮き彫りになってきます。非イスラムの現代人から見たら、イスラム刑法にたまに見られる、鞭打ちとか手の切断とかの処罰は、極めて残酷で非近代的なものに見えてしまうわけです。
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No.6&7&8です。 ★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 1)「和を以って貴しと為す」一つの小さな心掛けとしては、こういう惑わす文章を挟まないことです。私のようにスレッカラシで感受性の麻痺した者へはよいとして、アンテナが敏感な者に対しては、こういう僅かな意味不明の言葉が、折角の善意を悪意に変えてしまいます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ お応えを求めるためではありませんが 意味を採れませんでした。 ★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2)「和を以って貴しと為す」二つ目の小さな心掛けとしては、訳のワカラン回答を寄せても気持ちよいお礼が書ける、よい質問者を嗅ぎ分ける本能を磨く事です。質問を公開する人間は回答者を選べません。しかし、回答者は質問者を選べるのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 意味をなさないと考えます。 基本的には 質問者が どういう人であるかにかかわらず ただ質問の内容に応じて 人は 回答を寄せるということでしょう。特に注意は要らないでしょう。
お礼
それでは好きになさいませ。 この回答によってANo.8のお礼の欄の締め切り予告が白紙に戻りました。新たな締め切り予告を記します。 20日(日)8時までに何方様からも新たな寄稿がないときは当方の都合次第で締め切ります。どなた様も原稿を無駄にされませんように。 ただし、brageloneさんからの書き込みの有無は、この締め切り日時に何ら影響を与えないものとします。
No.6&7です。 一過性でよかったですね。 順序としては ANo.7を基にして ANo.6が出て来ます。 シャロームも アッサラーマレイクムも 和を以って貴しと為すと言っているようなんですよね。どうなっているんでしょうかね。 この際 いまの希望の方向において 参考啓示を掲げておいてもいいと思うのですが。 その前に 次のような事情も指摘されています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 〔ムハンマドは 『聖書』の話を受け継ぐ限り〕ユダヤ教徒の主張に反論するだけでは彼らを説得できず かえって彼らからムハンマドの主張は ユダヤ教の模倣だと反駁された。 そこでムハンマドは モーセよりもはるかに古く アラブにとっても民族の始祖とされるアブラハムの意義に注目し 彼こそ一神教の信仰心あつい預言者で 《純正な人》であり 《神に帰依する人(ムスリム)》であり 彼の信仰は神にたいする絶対的な《服従・帰依(イスラーム)》であって ムハンマドの説く宗教とはアブラハムの宗教 すなわちイスラムであると宣言した。 (『コーラン』2・124藤本勝次注 次の訳も同じ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ まことにわれら(アッラーフ=神 の自称・複数形での語り)が 汝(ムハンマド)に啓示したのは ノアとそれ以後の預言者たちに啓示したのと同様である。われらは アブラハム イシマエル イサク ヤコブの各支族に また イエス ヨブ ヨナ アロン そしてソロモンに啓示した。また ダヴィデに詩篇を与えた。(4:163) おまえたち(ムハンマドを含めた信徒たち)は言うがよい。 《われわれは神を信じ そしてわれわれに啓示されたものを アブラ ハムとイシマエルとヤコブともろもろの支族に啓示されたものを モ ーセとイエスに与えられたものを 信じる。また もろもろの預言者 が主から与えられたものを信ずる。われわれは これらのあいだで だれかれの差別はしない。われわれは神に帰依する。》 (2:136) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ムスリムの方や専門家の方に いったいその信仰と思想(生活態度)は どうなっているのか お聞きしたい気持ちでいっぱいです。 では アンニョン(安寧)ヒケーセヨ。
お礼
1 >>シャロームも アッサラーマレイクムも 和を以って貴しと為すと言っているようなんですよね。どうなっているんでしょうかね。 1)「和を以って貴しと為す」一つの小さな心掛けとしては、こういう惑わす文章を挟まないことです。私のようにスレッカラシで感受性の麻痺した者へはよいとして、アンテナが敏感な者に対しては、こういう僅かな意味不明の言葉が、折角の善意を悪意に変えてしまいます。 2)「和を以って貴しと為す」二つ目の小さな心掛けとしては、訳のワカラン回答を寄せても気持ちよいお礼が書ける、よい質問者を嗅ぎ分ける本能を磨く事です。質問を公開する人間は回答者を選べません。しかし、回答者は質問者を選べるのです。 2 『コーラン』2・124、4:163、2:136は読んでおきました。質問文の2に対しては、とてもよい回答だと思います。やれユダヤ教だのキリスト教だのとの識別すらなく、単に一神教の最古にして最新、最高の預言者といった自意識でしたでしょうか。ただ、純粋に宗教上の啓示ではなく政治的配慮の作用した啓示にも読めそうです。 3 小さな事ですが2、4章は伴 康哉訳となっていました。訳注が誰の担当かは記載が見つけられませんでした。執筆者にとっては大きいことかもしれません。 4 アンニョンはよく耳にするようになりました。「安寧」と書くのですか。意味を訊ねなくてよいのは助かります。「ヒケーセヨ」に漢字はないのですか。別段返事は要りません。 この回答日時より48時間以内に何方からも新たな寄稿がないときは当方の都合次第で締め切ります。どなた様も原稿を無駄にされませんように。 有り難うございました。
No.6です。 ★ ムハンマド(イスラム教の開祖)のユダヤ教観とキリスト教観は? ☆ について アブラハムの信仰に立つというユダヤ教観でありキリスト教観であるという回答です。 1. ユダヤ教徒として出発したにせよキリスト教徒として出発したにせよ あるいは いづれでもなかったにせよ その《自意識》は 啓示を受ける前のこととして あっただろうけれど 啓示を受け 預言者となってからは もしそうとすれば その預言者としての自意識であったという回答です。 2.アブラハムの信仰に立つとする限りで 理論的には ユダヤ教の欠陥もキリスト教の欠陥も あるとすれば それらを含んで 基本的には同じ道に立ったという――個人的な希望としての――見方です。
お礼
ANo.6を要約するとANo.7になるということは理解できませんが、ANo.7自体はとてもよく分かった積もりです。 >>アブラハムの信仰に立つ このキーワードから1も2も自明ということになりそうです。 病気は一過性で二人とも健康なのでしょうか。今夜は対話が成立します。 有り難うございました。
ムハンマド個人の歴史は 啓示に吸収されるという見方に立てば たとえば 次のようなクルアーンの文章を わたし個人の希望として 挙げたいと考えます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 宗教ということになれば 善行にはげみ 自分の行動を神にゆだね 純正の信者アブラハムの教えに従う者にだれがまさるであろうか。神はアブラハムを友となしたもうた。 (コーラン4・125 藤本勝次訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 《宗教》は 子音三つの構成として《D-W-N》から成る語であり これは 動詞として《告白する》の意があります。 《純正の信者》のうち 《純正な人(haniif < H-N-F)》は その三子音の語として《認める・認めさせる》の意です。 《信(信仰)》は どういうわけか 《倦む・疲れる》の意もある《ことば・語る(M-L-L)》という動詞と同根です。 そういう形に仮りに基づいて この箇所を 次のように 解釈したことがあります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 〔自己存在の〕告白(D-W-Nからなる語≒《宗教》)〔の表現〕にかんして美しい(=正しい。H-S-Nから成る語)〔と思われる〕者は誰か。 自己の顔(=行動・意志)を アッラーフ(神)に 〔そうすることが健全・安寧(S-L-M)であるとして〕ゆだね それが美しくあり 〔そして〕この信仰(M-L-L)からはずれる者がいれば それを 〔話し合いを通じて〕認めさせる(H-N-F)者としてのイブラーヒーム(アブラハム)に 自ら従う者のほかに〔誰がいるか〕。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 《S-L-M》は ヘブル語でも シャロームと言って挨拶をするその同じ語の三個の語根子音です。《アッサラーム(al-SaLaaM = 平安を!)》です。 イスラーム iSLaaM は 《降伏・服従》の意をも伴なう《身をゆだねる》つまり《帰依》のことです。 その帰依した信徒を表わすムスリムは 《〔わたしはそこで自らが健全・安寧(S-L-M)であると知覚し認識し これを受け容れて わたしは〕 すこやかならしめられた(muSLiM < S-L-M。初めの m- は いわゆる過去分詞の接頭辞)》というわけのようです。 この基本思想の滲透を希望します。
お礼
こりゃ、いよいよ二人のうち、少なくとも一方は病んでいますぞ。 この質問に対して、この回答はどうしても結びつきません。あたしぁ、7月初旬に診断の予約を入れました。万一、私が健康だったらbrageloneさんが診てもらう番です。 有り難うございました。
- tyr134
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ANO4です。 丁寧なお礼ありがとうございます。 >これだとユダヤ教、キリスト教の路線上にあって、微調整を施すだけで自動的に両宗教を継承する本家であると主張できそうです。古着を仕立て直ししたものではなく、綻びを繕った程度との認識でしょうか(こんな喩えは叱られるかも)。 そうですね、比喩で例えるのは難しいですけど、概ねそんな感じでしょうか・・・。 ユダヤ教を始めとして、重要なキーワードは「預言者」と「救世主(メシア)」(※メシアのギリシア語読みがキリストとなります)なんですね。 この「預言者」と「救世主」の存在の認識を巡って色々と対立してるんすよ。 (※因みに、ユダヤ・キリスト・イスラムの三宗教とも信仰する神は同じです。この三宗教を纏めて「砂漠の宗教」とか「アブラハムの宗教」なんかと呼称することがあります) 各宗教の認識を以下に纏めてみます。 ユダヤ教 ・預言者・・・西暦70年に、エルサレムの神殿が破壊されて以来預言者は現れていない。 ・救世主・・・「預言者」の後に来るのが「救世主」なのだから、未だ「救世主」も現れていない。 ※イエスについて・・・イエスは預言者でもなく救世主でも神の子でもない。(但し、イエスを預言者と認める一部の宗派もある) キリスト教 ・預言者・・・(聖書の内容から)「最後の預言者」は「洗礼者ヨハネ」と位置づける事も出来るが、基本的には「最後の預言者」という思想はない。 ・救世主・・・イエスこそが救世主(キリスト)にして、神と聖霊と同一実体である(三位一体) ※但し、一部の宗派では「イエス=神」ではなく「イエス=人間」とする派もある。また三位一体を認めない派もある。 イスラム教 ・預言者・・・ノア、アブラハム、モーセ、イエス等と共に過去の預言者を認めた上で、「最後にして最大の預言者」がムハンマドである。ムハンマド以前の預言者も「神の声」を伝えたが、完全ではない。ムハンマドこそが真の言葉を伝えている(それを纏めたのがコーラン) ・救世主・・・イスラム教では、救世主思想は薄れています。イスラム教はキリスト教の終末観を受け入れ、「来世思考」が全面に出ています。 つまり、「この世」はいつか終末を迎える。その時、生きてる人はそのまま、死んでいる人は身体を持って復活した上で、神の尋問を一人一人受けます。そして、信仰者となった人は天国へ、不信仰者は地獄へいくと考えられています。 むなしい現世の執着をすてて、来世の救済にそなえるために現世での信仰心・行動が重視されます。 ※因みに、ユダヤ教での終末とは、この世に「神の国」が現れてユダヤ教徒のみが救われる。 と、それぞれの思想を簡単に抜き出してみました。 どの宗教も多数の宗派に分かれており、一枚岩での思想というのはありませんが、おおよその傾向は上記のようになるかと思います。 次に、イスラム教が広がった理由について、少し補足をしておきます。 先の回答でも述べましたが、当時のアラブ世界は「多神教(多宗教?)」の世界でした。 アラブ人というのは、多くの部族に分かれていてあっちでもこっちでも対立したりしてました。 そして、各部族ごとに「守護神」みたいなのがいました。 また、ユダヤ教徒やキリスト教徒も住んでいました。 そんな「宗教のモザイク地帯」が、当時のアラブ世界です。 で、メディナではその対立が非常に激しかった。 そこに現れたのが、ムハンマド一行です。 ムハンマド一行が、アラブ世界で画期的だったのは、ムハンマドに付いてきた人は自分たちの部族を捨ててムハンマドに付いてきたという所です。 それまでは、部族が一つの単位として重要な位置を占めていました。 その絆を捨てて付いてきたのだから、当時では考えられない事でした。 部族を超えて、ムハンマド(を通した神)の基に一つに纏まっている。 このインパクトは、当時相当あったようです。 そして、徐々にメディナの町で、ムハンマドを中心とした「ウンマ」が、メディナに住む部族間の(中立的な)調整役にまで登り詰めていた。 ムハンマドは、彼ら対立する部族を自分たちの「ウンマ(共同体)」に迎え入れる事で、メディナの町に安定をもたらした。 これは、上手いやり方だと思います。 宗教的(精神的)に勧誘するのではなくて、政治的に勧誘していったのですから。(ウンマに入ったら、ムハンマドの兵力を借りることが出来た) メディナでのムハンマド勢力が大きくなると、周辺の部族も同盟を結んだ方が有利だと判断するようになっていく。 小競り合いが起きれば、ムハンマドに頼んで兵力を借りることが出来ますし、ムハンマドというカリスマに調停もしてもらえる。 無駄な血を流さないで良いのだから、こんなに嬉しいことはない。 こうして、イスラム教徒は雪だるま式に増えていきました。 ※因みに、この後にイスラム教徒によってキリスト教徒の領土が支配されていくのですが、支配下に入った多くのキリスト教徒がイスラム教に改宗します。 しかし、これは「宗教心からの改宗」であるよりも「イスラム教徒であった方が、生活上便利(有利)だから」でした。 最後に、私見ではありますが、ムハンマドの生涯から見るイスラム教へのユダヤ教・キリスト教の影響を少し纏めてみます。 まず、ムハンマドが神懸かりになった時に相談した相手が、たまたま(?)キリスト教徒だった事。 これによって、自分は「預言者だ」と確信を持った。 ここで、土着信仰から「アブラハムの宗教」へと改宗した。 また、相談相手がキリスト教徒だった事から「イエスも預言者」とすんなり認めることが出来た。(ここが、イエスを預言者と認めないユダヤ教との大きな違いの一つですし) 次に、ヒジュラした先のメディナの町に多くのユダヤ人が住んでいたこと。 このメディナでの布教の時期に、コーランとして大成する多くの教義が作られたと考えられます。 当然、調停しなければならない紛争の当事者にはユダヤ人も含まれる。 ユダヤ人を説得するためには、『旧約聖書』に代表される「ユダヤ人の論理」も理解した上で利用しなければならない。 よって、この時期に多くの「ユダヤ教的要素」を受け継ぐ事になったと考えられます。 また、ムハンマド死後においてもユダヤ教・キリスト教とも政治的・地理的交流を続けることで、相互に影響を及ぼしあっていると考えられます。 またまた、長文になってしまい、お許し下さい。 参考になれば幸いです。
お礼
「砂漠の宗教」と称するそうですが、ユダヤ・キリスト・イスラムから見た、イエスとムハンマドの評価が整理されていてよく理解できました。 ムハンマドを理解するには宗教面からだけでなく当時の社会情勢などを弁えよ、とのご指摘と読みました。治安もよくなかったのでしょうから、共同体の維持や部族の平和に役立つことこそが正しい宗教だったのかもしれません。今日の宗教よりは、ずっと世俗に密着していて重要度が高かったのだと思います。 新しい宗教だの他宗教の欠陥だのという意識よりは、むしろ偶然といってもよい要因、あるいは政治的配慮からの必然によってキリスト教やユダヤ教を自然な形で取り入れていったというのが真相でしょうか。 正しく読み取れたかどうかは分かりませんが、こんな感想をもちました。 毎度長大な回答を書かせる結果になってしまい、済まなく思っています。有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
- tyr134
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参考に、ムハンマドの生涯を述べてみます。 ムハンマドは、当初はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもありませんでした。 アラブの土着信仰だったと推定できます。 というのは、ムハンマドが生きた7世紀頃のアラビア半島は、キリスト教・ユダヤ教だけでなく、それぞれの民族がそれぞれの宗教をもっていました。 ムハンマドの青年期は、商人としてアラビア各地を旅したようです。 メッカに住んでいたハディージャというお金持ちの女性がいました。 彼女は夫に先立たれ未亡人となっていました。 それでも逞しく、商売を取り仕切ってました。 彼女は、お金を払って雇った商人に商品を運搬して貰い儲けていました。 ある時、彼女が雇った商人の中にムハンマドがいました。 ムハンマドの仕事ぶりが良かったのか、好みの男性だったからかは分りませんが、彼女はムハンマドに求婚しました。 ムハンマドも彼女を気に入ったらしく、めでたく結婚しました。 結婚後のムハンマドはメッカの大商人として、何不自由なく暮らしていきました。 ハディージャともうまくいってたようですが、跡取りとなる男子はみんな死んでしまったようです。 ムハンマドは、メッカの近郊にあるヒラー山という山でよく瞑想をしていたようです。 あるとき、ムハンマドがいつものように瞑想していると金縛りになり天使ガブリエルが降りてきて「誦め!」と迫った。 ムハンマドが恐怖におののきながら「誦めません」といっても「誦め!」と迫ってくる。 苦しさのあまり声をだしたら、誦めた。 すると、金縛りがとけ、ガブリエルも消えていた。 ムハンマドは慌てて逃げ帰りましたが、誰にもしゃべりませんでした。 ところが、何度も同じ体験を繰り返したので、とうとうハディージャに打ち明けました。 心配になったハディージャは、物知りの従兄弟に相談しました。 その従兄弟は、アラブ人には珍しいキリスト教徒でした。 相談を受けた従兄弟は、「ムハンマドみたいに声を聞いた人は過去に沢山いる」といってモーゼやイエスの話をしました。 ムハンマドはその話をきいて、納得し受け入れました。 「受け入れた」というのは、「自分が神の声を聞く預言者である」ということをです。 そして、神は「イエスに言葉を伝えさせたけど、その後の人類は言葉を誤解している。ムハンマドに新たな言葉を預けるから、人々を導け」と言ってきた。 ムハンマドは考えた。 自分がいきなり出て行って辻説法なんかしても、イエスみたく上手く布教できないだろうな~と。 そこで、まず親戚筋に布教をかいししていった。 始めに入門したのは、妻のハディージャ。 次に従兄弟、おじさん、おばさんなどなど。 親戚中に布教していった。 バカにするひともいたけれど、入信してくれるひともいた。 親戚中に布教し終わると、次は他人にも布教せざるを得なくなる。 そこで、メッカ中の商人を中心に布教活動を熱心に開始しました。 ところが、そうそう簡単に入信なんてしてくれません。 ついには、対立し迫害をうけるようにまでなっていく。 そこで、ムハンマド達はメディナに「ヒジュラ(聖遷)」しました。 当時のメディナにはアラブ人とともにユダヤ人も多く住んでいた。 アラブ人同士の部族間対立やユダヤ人との対立など、メディナの町は非常に不安定な状態にありました。 そこに引っ越してきたムハンマド一行。 熱心な布教の結果、徐々に大きくなり共同体=ウンマを作るまでになりました。 このウンマを中心に、部族間対立を上手く利用しながら一大勢力にのし上がっていきました。 この間に、宗教としての体裁が大体整っただろうと考えられています。 その後、徐々に勢力をアラブ全体へと広げていきました。 >2 一般論として後発の理論は先行する理論や実態の欠陥を克服する形で登場するのだと思います。ムハンマドにとってユダヤ教の欠陥は何でしたか。また、キリスト教の欠陥は何でしたか。 イスラム教は、キリスト教の後を受けて「イエスの次に現れ、そして最後の預言者がムハンマドである」という考えです。 しかし、それは建前であってイスラム教は「神」を利用してアラブの慣習法を上手く「コーラン」に一本化して纏めたと行った方がよさそうです。 もちろん、「神」を利用するにはそれなりの「論理」が必要なので、ユダヤ・キリスト教の経典である『旧約聖書』やキリスト教の経典『新約聖書』を活用してるんでしょう。 また、ユダヤ・キリスト・イスラムの各宗教間の対立ですが、こちらも宗教的というよりも政治的対立が出発点だと思います。 長文になってしまいましたが、参考になれば幸いです。
お礼
1に関して >>ムハンマドは、当初はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもありませんでした。 アラブの土着信仰だったと推定できます。<< ここからスタートして、世界宗教に成長していく過程が絵物語り風に綴られていて、視覚的でよく分かりました。 2に関して イスラム教がユダヤ教、キリスト教を吸収、包含することを意図した宗教であることを知識としては承知していましたが、具体策についてのイメージはもっていませんでした。 >>「イエスの次に現れ、そして最後の預言者がムハンマドである」という考えです。 これだとユダヤ教、キリスト教の路線上にあって、微調整を施すだけで自動的に両宗教を継承する本家であると主張できそうです。古着を仕立て直ししたものではなく、綻びを繕った程度との認識でしょうか(こんな喩えは叱られるかも)。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
- nacam
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ムハンマドは、かなりユダヤ教の影響を受けていた事は事実でしょう。 そのことは、コーランを読めばわかります。 当初は、ユダヤ教徒と一緒になって新しい宗教イスラム教を広げる事を目論んだようですが、ユダヤ人が乗ってこなかったため、ユダヤ教と決別し、別の宗教としてのイスラム教を設立したと考えてよいでしょう。 その事は、礼拝の方向を当初エルサレムであったものをメッカの方向に変更したことからも推測できます。 イスラムにとって、ユダヤ教の欠陥は、民族宗教の域から離脱できない宗教性であり、キリスト教の欠陥は、政教一致の性格だったと思います。 つまり、ユダヤ教は、民族性が強すぎて、アラブ人が受け入れる事ができない状況にあり、キリスト教は、ビザンツ皇帝の強い影響下にありましたから、アラブ人がキリスト教を受け入れるという事は、ビザンツ皇帝の支配化に入る事を意味しました。 当時のアラビアは、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)とササン朝ペルシャの抗争地帯でした。 両国からの独立を意図するアラブ人としては、ビザンツの国教のキリスト教も、ササン朝の国教のゾロアスター教も受け入れるわけにはいかなかったのだと思います。
お礼
>>ユダヤ教の影響を受けていた事 分かりました。新たな説に出合うまでは、こう思うことにします。 >>ユダヤ教の欠陥は、民族宗教の域から離脱できない宗教 私なりにですが実によく分かります。紀元前には兎も角として、ムハンマドの時代なりに当時代化していなくては困った宗教と考える人間が出て当然に思えます。憎まれ口ですが今日なお民族宗教の域から離脱できないのは困ったものです(言ってしまった)。 >>キリスト教は、ビザンツ皇帝の強い影響下 このことからアラブ人とキリスト教との相性が合わないのは分かりました。将来、歴史を理解するときが来れば納得できるでしょう。張り合いのない反応ですみません。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
- vinasis
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1.おそらく、いずれでもないと思います。 ムハンマドは、イエス・モーセと同じく、あるとき、夢で神様のお告げを聞いて、その通りに実行した人なので、いずれでもないです。 早い話、今ニュースでも話題になっているウグボグ容疑者と同じ感じですね。(笑) ちなみに、ムハンマドは反キリストであるという説があります。 そして、ユダヤ教徒らとも対立していたらしいです。 2.>ムハンマドにとってユダヤ教の欠陥は何でしたか。また、キリスト教の欠陥は何でしたか。 彼にとって、ユダヤ教・キリスト教の欠陥は・・・というより、宗教から政治まですべてに不満を持っていますね。・・・不満を持っているというよりも、むしろ改宗してもらいたいと思っていたぐらいですね。 どうも彼は、アラビア半島から異教徒を駆逐したかったらしいですね。だから、何度も戦争しては服従させ、無理やりイスラム教にぶち込んだんです。 世界中でイスラム教徒がキリスト教徒の半分の人口(イスラム教徒は第2位で信者は10億人)の勢力でみると、相当影響があったと思います。 話によると、彼は、異教徒に対し冷酷かつ残酷な仕打ちをしていたといいます。 まぁ、欠陥を強いていうなら、キリスト教はイエスを神の子としてます。しかし、ムハンマドはイエスも私もモーセも預言者である。としているので、おそらく「イエスは神の子」が欠陥というより不満だったと思います。 あと、イスラム教は偶像崇拝(神の写真とかキリスト教でいうならイエスの想像図とか所謂神の複製)を否定・禁止しているので、それもあるかと・・・ ユダヤ教は、神をヤハウェとしているので、おそらくそこが・・・ というより、宗教で、他宗教のどこが欠陥かというのは、一概に言えません。なぜなら、宗教の成り立ちも歴史も違うからです。 それ自体でひとつの宗教として成り立っているので、他教の違いや不満等は書けますが、欠陥自体は存在しないかと思います。
お礼
締め切るに当たって 質問した時点と現在では印象が少し変わりました。皆さんのお陰です。今だと補足の欄は随分と書き直されそうです。 このご回答を事情通が読めば相当よい評価になるのではないでしょうか。 またの機会にもよろしくお願いします。
補足
1に関して >>夢で神様のお告げを聞いて とはいっても、夢で神様のお告げを聞くに就いては長期の真剣な修行が前提であって、修行の最終段階に於いて「夢で神様のお告げ」があったのではないですか。私やウグボグ容疑者の惰眠を貪った末の夢とは自ずから異なるのではないですか。「夢で神様のお告げ」を得る以前の修行時代に如何なる宗派に立っていたかを知りたいです。恐らく何かに悩み、何かを解決したくて真剣な修行を積んでいたのではないですか。イスラム教を開いたのをみれば、キリスト教やユダヤ教を許容できなかったのは、言われなくてもわかります。 2に関して >>むしろ改宗してもらいたいと思っていたぐらい どころか、何が何でも武力を以てしても改宗させるとの「悟り」を得たのだと思います。ただそれが単に >>アラビア半島から異教徒を駆逐したかった だけなのか、この世に争いが絶えない根源は異なる宗教が存在するからであって、既存の全ての宗教を包含する新たな宗教を樹立しようとしたのかは、私には判りません。もしも後者であるならばユダヤ教にもキリスト教にも(コプト教にも?)何かしらの欠陥を見出していたのではないですか。ムハンマドの観る欠陥とは何だったかを知りたいのです。 >>宗教で、他宗教のどこが欠陥かというのは、一概に言えません。 一概に言えないのは分かるとして、こんなバカなことはないでしょう。こんな暢気なことが言えるのは私ら傍観者だけです。信徒や、まして開祖ともなれば他宗教には絶対相容れない強烈な何ものかが有る筈です。それともキリスト教徒が集まって「キリスト教にもユダヤ教にもイスラム教にも、それぞれ一長一短がありますなあ」と語り合っていたりするのですか。私には想像できません。 ムハンマドには既存の全ての宗教と相容れないものがあったと思います。それを知りたいのです。 有り難うございました。
お礼
分かりました。 単純に抜粋してよいとは思いませんが、といって単に「参考になりました」といって済ます訳にもいかないでしょう。妥当であるなしに自信はありませんが……。 1に関して >.>おそらく、ユダヤ教から出発したのでも、キリスト教から出発したのでもありません。 >>キリスト教ではなくユダヤ教から影響を受けています。 当否は承知しませんが当初のイスラム教が「日常の利」に密着していたイメージをもちました。 2に関して ユダヤ教に対しては >>不純物の混ざった一神教というユダヤ教の特性を一掃することにより、1民族のための宗教ではなく、 世界宗教への脱皮がなったのでしょう。 キリスト教に対しては >>キリスト教の欠陥は、偶像崇拝の禁止が徹底していないこと これを克服した結果、一神教として最も純粋になったこと 有り難うございました。懇切で、時間を掛けて下さったことが伺えます。またの機会にもよろしくお願いします。