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戦争前・中・後の英語教育について

私がまだ小学生の頃です。 ある知り合いの昭和ひとケタの方が英語やカタカナを苦手としていて、その理由を「オレの若い頃は英語なんて学校でも禁止されてたんだよ!」な~んて自慢げに言っていました。 少し歳をとって、その方よりも年上の宮沢喜一首相が英語がペラペラなのをテレビで見て 「あれ??昔の人でも英語出来るじゃん??」 なんて驚いた経験があります(笑) 太平洋戦争当時は英語が禁止されていて、野球の「ストライク」も・・・ というような話はよく耳にしますが、実際には海軍などではかなりリベラルな風潮があり、専門用語をはじめ多くの英単語が使用されていたなんて話も聞きます。 そこで質問です。 日本では明治~終戦時以降まで英語教育はどの程度一般化されていたのでしょうか。 例えば明治期から昭和初期までは、どのレベルの学校ではどのように科目として採用されていたのか。(例えば中学校から?それとも高等小学校から?) また第二次大戦(太平洋戦争)の戦時中、実際に英語教育というのはどのようになされていたのでしょうか? さらには戦後の学校ではどのレベルの学校で、何年何月頃からどの程度英語という科目が復活したのか(ナンバースクールのようなエリート校でなくても結構早くどこでも授業が行われたのかなど) なお以下の質問は読みました。 出来ればもう少し広く、一般的庶民の学校での現状が知りたいのです http://oshiete1.goo.ne.jp/qa689218.html http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412952569

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  • ベストアンサー
  • yuhkoh
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回答No.4

『軍事板常見問題』より http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/index02.html 「第二次世界大戦 アジア・太平洋方面FAQ」から http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08c.html#media-affair 【質問】当時の日本は英語を禁止されていたのか? http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08j05.html#english 【回答】良く「日本は戦争中、英語を禁止した」と言われていますが、文部省にしろ、内閣情報局にしろ、他に各官庁にしろ、明確な「英語の禁止令」を出したことはありません(以下略) 上記、HPを参照されると戦時中の英語教育についても述べられています。英語禁止はあくまでも民間やマスコミの過剰な自主規制にすぎなかったことや、海軍は英語教育を重視していたのに対し、陸軍はロシア語を重視していたこと(敵の動向が分からなければ作戦が立てられませんね)、また学校教育でも、戦況の悪化によって英語を含むすべての授業が成り立たなかったことなどが解説されています。

tewpi
質問者

お礼

英語問題に限らず、多くの知識を得られるサイトをご紹介いただき感謝します。 トリビア的ではありますが覚えておきたい事項ばかりですね。

その他の回答 (3)

  • Big-Baby
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回答No.3

戦前の中学校の主要科目は「国漢英数」とよく言われてましたね。「漢文」が国語とは別の独立した学科でした。英語ももちろん重要科目。英語がないがしろにされたのは「鬼畜米英」なんて言い出した戦時中だけです。戦後またもとに戻っただけです。戦前の中学の時間割なら次のサイトに載っています。 http://www7a.biglobe.ne.jp/~yokano74/syounen.html  女子は高等女学校へ行くしかなかったのですが、高等女学校での時間割が見つかりません。実際に旧制女学校に行った人の話だと、英語は週に1回だけで、実に簡単なものだったそうです。中学の英語のレベルはかなり高く、家に中学5年生用のWorld Historyという英語の読本があったのですが、今の一流大学の教養のreader並だったように思います。今みたいに会話はやりません。

tewpi
質問者

お礼

この時間割を見ることが出来たというのは本当に興味深いです。 漢文の比重は現在よりもはるかに重かったみたいですね。 ありがとうございました

noname#125540
noname#125540
回答No.2

明治33年8月20日勅令の初等教育の内容では、 http://211.120.54.153/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_047.html 尋常小学校の科目 「修身、国語、算術、体操」 高等小学校の科目 「修身、国語、算術、日本歴史、地理、理科、図画、唱歌、体操とし、女児の為には裁縫を加ふ」 修業年限2年の高等小学校では 「理科、唱歌の一科目もしくは二科目を闕き(何て読むんですか?)または手工を加ふることを得」 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E9%97%95 修業年限3年の高等小学校では 「唱歌を闕き又は農業、商業、手工の一科目もしくは数科目を加ふることを得」 修業年限4年の高等小学校においては 「英語を加ふることを得」 高等小学校は、ウィキペディアによると明治33年の頃は2年制または4年制、明治40年から尋常小学校が6年間、高等小学校が2年間だそうです。 その後、国民学校へ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1 旧制中学校では英語があったようです。 http://www.digi-ken.org/archives/minasoko/hb-ya1.html http://viva-books.iza.ne.jp/blog/entry/184601/ 高等小学校か、旧制中学ぐらいまで行くと英語教育があったのでしょうが、庶民だと小学校で終わりという人も多かったのでは。 (中学生ってけっこうエリートだったのですよね??) 女学校はどうだったのか? 高等女学校では「外国語」が科目にあります。 英語かフランス語とのこと。 http://211.120.54.153/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_071.html 陸軍士官学校は第二次大戦中に英語教育を廃止しましたが、海軍兵学校では当時校長だった井上成美が「海軍士官は世界を相手にするのだから、英語を知らないわけにはいかない」と英語授業を残しました。 戦後のことを考えて英語を残したのではないかという説もあります。 戦後は、庶民向けかどうか分かりませんが、1945年11月には東京四ツ谷に日米会話学院が設立されております。 1947年には千駄ヶ谷で津田英語会が設立。 外国語学校と言えば、当時フランス語が主、今は英語もやっている1913年創立のアテネ・フランセは1944年から1年間閉校したそうです。

tewpi
質問者

お礼

う~ん これは興味深いです。 直接の質問事項である英語教育に限らず、細かい点まで見ると面白い発見が色々出来そうです。 後でじっくり見てみます。 大変ありがたいです。 感謝します

tewpi
質問者

補足

ちなみに 「闕き」⇒「かき」ですね。 「欠く」と同じようなものだと思います(旧字?) つまり「理科、唱歌の一科目もしくは二科目を減らしてもいいよ」ってことですね。

noname#140971
noname#140971
回答No.1

http://tom.edisc.jp/e-kyoikushi/chrono.htm 先ずは、明治から今までの英語教育の歴史を概観されたら・・・。

tewpi
質問者

お礼

終戦の翌月9月にはラジオ英語講座「実用英語会話」 が開始している点に興味深いものを感じました。 参考にします ありがとうございました