• ベストアンサー

哲学の雑学的な質問

哲学ってどんな学問なのだろう?と興味を持っていました 知りたい!と思ってOKWaveの哲学のコミュを読んでいますが わたしにはとても難しくて 書かれていることも難しいです 日本の哲学者の書かれた新書版の本は何冊か読みましたが 書かれていることは読みやすくても ますますわかりません 哲学は「疑問に思ったことの答えを、いっしょうけんめい考えること」 と聞いた時は そうか~! と思ったのですが ここのコミュの質問や答えを読んでいると わかったと思ったことが かん違いだった と気がつきます ここで質問して、その答えのつみ重ねで わたしなりの哲学?が見えてきたらうれしいです 今日の質問は 哲学のことを説明する時、カントとかソクラテスとか 昔に生きた人の名前をあげて説明する事が多いのはなぜですか? 自分がいっしょうけんめい考えること と反すると思ったのです。 よろしくお願いいたします

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.10

私も、哲学者ってなんであんな難しい言い回しするのか疑問に思っています。もっと平易な文章で書いたら良いのに、、、と。 さてさて、「哲学」について私なりに質問者様の疑問について回答を試みてみます。 哲学をまず二つに分けてみましょう。 1・行為としての哲学 広義の意味での哲学です。 つまり、 >疑問に思ったことの答えを、いっしょうけんめい考えること と言えます。 そういった意味では、全ての学問が含まれます。 また、「一生懸命考えた結果、出た答え」言い換えれば「信念」も「哲学」と言われることがあります。 例えば「経営の哲学」とか「サッカー哲学」とか、、、。 つまり、人間が疑問を持って答えを探求し、その結果得た知識や信念などを含めて「哲学」と言われる「行為」となるんだと思います。 2・学問としての「哲学」 こちらは、 >昔に生きた人の名前をあげて説明する事 であると言えます。 言い換えれば、「哲学史」となりますね。 これは、哲学を含む全ての「学問」は、先人が「考えて出した答え」を批判(批難ではありません。正しいかを精査する行為が学問的批判です。)する事だからです。 本来は、全ての「学問」が「哲学」であるはずなのですが、近現代は知識が整理され、専門化しています。 その結果、(日本では)「哲学=哲学史」という事になったんだろうと思われます。 哲学というのは、ギリシア語の「フィロソフィア」だとされています。 そして、この言葉は「philos」(愛)+「sophia」(知)結合です。 つまり、「知を愛す」となり、翻って「知を探求する事」となります。 「知の探求」というのは、まさに >疑問に思ったことの答えを、いっしょうけんめい考えること となります。 そして、考える「切っ掛け・道具」として先人の「知」を利用する事になります。 これを言い換えれば「学問をすること」となると個人的には思っています。 つまり、「哲学=学問すること」と言えなくもないと。 ただ、「哲学」にはさらに広い意味合いがあって、「学問で学んだ知識から、答え(信念)を導き出すこと」でも有ると思います。 そして、その信念は「何故、その分野の学問を学ぶのか?」という「疑問」に対する答えであると思います。 つまり、「哲学(信念)無き学問は空虚」だと考えています。 と、なんだか話がそれ気味なのでこの辺で。 なんだか、「哲学者の文章は難しい」と批判しておいて、私も分かりにくい文章になってしまいましたね^^; 参考になれば幸いです。

raikodon
質問者

お礼

tyr134さん。 回答をありがとうございます! とても参考になりました。 あわてて「学問としての哲学」は 哲学していることからは遠い と思いそうになりましたが よく読んで踏みとどまりました。 哲学 という事がすこしずつわかってきたように思います。 でももしも友人に「哲学ってなに?」と言われたら 説明をするのは とても大変だとおもいます。 ここで皆様から回答をたくさんいただき ありがとうございます。

その他の回答 (15)

  • nisekant
  • ベストアンサー率11% (13/112)
回答No.5

残念ながら、現代哲学は失墜しております。諸科学で提唱される仮説の反駁しかしておりません。他の科学から、煙たがられる存在なのです。 哲学は、自ら見い出した疑問に殆ど解決をしておりません。 現代は、科学と総称しておりますが、昔は哲学が総称だったのです。 哲学は、フィロソフィーといい、「智を愛する」という意味です。

raikodon
質問者

お礼

nisekantさん。 もしかすると 解決できないことだから解決していないのですか? すこし難しかったですが 答えていただきありがとうございました。

回答No.4

ソクラテスかプラトンか忘れましたけど,「無知の知」を語った哲学者が居たはずです. 分かったと1%でもいえる人は哲学を“している”人ではありません. そういう人は哲学を“学んでいる”人なのです. 哲学をすることと哲学を学ぶことは全く別のことなのです. 日本にも純粋に哲学を“している”人は居ます.(中島義道先生など) あなたも純粋に哲学をする人になってみてはいかがでしょうか?

raikodon
質問者

お礼

sunfour_48さん。ありがとうございました。 わたしは考えることを途中で諦めたり はやく誰かに聞こう と思ったりするので まだ哲学をする人にはなれません。(-_-;) 中島義道さんの本を読んだことがありますが、その本の中では 怒っていることをはっきり言える人 という印象を受けました。

noname#52670
noname#52670
回答No.3

なんで昔に生きた人の名前をあげるか? 共通の理解が得やすいから。東洋思想の人間と 西洋哲学の人間が書いた本でも読み比べて欲しい。 文体がまるで違う。 思想基盤が違うと使う言葉も違う。 (言葉が違うから思想が違うとかあるけど) 同じ言葉でも同じ概念なのか どうかも今ひとつわからないときがある。 それでもよく知られて人間と思想ならば、理解はしやすい。 それがソクラテスやカントなのは西洋哲学として アカデミックな場で紹介されているから。 それに、いくら自分で考えるといっても 長い人類の歴史の中において、自分の考えていることなど反論も含めて とっくの昔に出ている。 そして、たとえ反論されていたとしても 同じ思想を持った人間がいたことを古代に発見した時、 なによりも励まされるから。

raikodon
質問者

お礼

yukiyama20さん。 東洋思想の人のことを書いたものは、まだ読んでいないと思います。 >同じ思想を持った人間がいたことを古代に発見した時、 >なによりも励まされるから。 そうですね。 そのためにも自分で考えることが先なのかなぁと思います。 回答をありがとうございました!

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.2

>自分がいっしょうけんめい考えることと反すると思ったのです 考えることが好きな人と、答えを知りたがっている人の違いかな。

raikodon
質問者

お礼

shift-2007さん。 昨日 ここで初めて質問しました。 こんなに大勢の人が 答えてくださってとてもうれしいです。 お礼の書き方が 良くないかもしれませんが わたしはいま考える人ではなく 答えを知りたがっている人 のようです。ありがとうございました!

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.1

>昔に生きた人の名前をあげて説明する事が多いのはなぜですか? 現代の哲学は、過去に語られたことを分析して、検討し、修正する作業だからです。

raikodon
質問者

お礼

kigurumiさん。 簡潔な回答をありがとうございます。 現代の哲学・・という言い方があることに いま気がつきました。

関連するQ&A