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カント哲学の真実とは何か?
- カント哲学は、人間の思考活動を深く探求する学問である。
- 多くの学者がカントを論じる理由は、その理論が思考の本質に迫るから。
- 理解し難い用語が多いが、カントの思想が重要視される理由を考える必要がある。
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回答No. 1です。補足です。 早い話、家と駅の間に道があり、①歩いて行くには最も早く行けるのです。しかし、②人家の軒下を抜けて行けば、もっと早く行けるのです。ただし、車で行くと、②はもちろん①も使えません。その場合は、③県道を経由して行くことになります。 というように、①②③のすべての「道」と「行き方」を知って、状況に応じて使い分けることができてはじめて、「家と駅を結ぶ道を知っている/認識している」ことになるのです。①しか知らない場合、それは「家と駅の間を往来できる」だけで、「その道を知っている/認識している」ことにはならない、と(カントは)言うのです。
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- hiro-hiro-hiro
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回答 NO.2 補足 カントはインフラを築き哲学の発展に寄与しただけでなく、対象化したことで体系化できるようになったと思います。高校の倫理で哲学を習うことができるようになったのもカントの功績かも。 「物の世界」と「現象界」 カントが哲学で扱う対象を「現象界」に限って「物の世界」を対象にするのはやめましょうと言ったのは、哲学でいう「存在」について議論するのをやめましょう、哲学の議論の中に「存在」を滑り込ませてこないように、ということだと思います。 哲学の「存在」は仏教でいう「真理」のこと、「存在」を見たことのない人が集まって議論すると烏合の衆だし、見たことのある人が議論に加われば宗教の教祖が現れたみたいになってしまい議論してる人はみんなうつむいて(そうですか…)と黙って聞くしかなくなる。哲学でなく宗教になってしまう。OKWAVE の質問でも定期的に現れる「色即是空、空即是色」とは何か?という質問と同じ。「存在」を哲学に持ち出さないと決めたと思います。賢明と思います。 情報の入力器官を五感に限ったわけじゃないと思うので、そうであればカントの定義の「現象界」の哲学で扱う対象はトイレの詰まりから、恋愛、友人関係、夫婦、いじめ、進路、仕事、学問、占い、幽霊、前世・現世・来世、転生のシステム、陰謀論、妄想、宇宙人、深海の世界、恐竜の世界、宇宙の果て、宇宙の始まりや終わり、前の宇宙や次の宇宙などまで及びます、多分。量子力学は微妙、たぶん触れるので扱えない(誰かがアップデートせねば)。カントはピンポイントで問題の箇所をネグった。
- hiro-hiro-hiro
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こんばんは! オレも高校倫理でカントについては習ったときから同じように?だった。 下のアプリオリの質問でググって解説を読んで回答してるうち、なんとなくカントのノリがわかった。 1 行 考えることについて、仏教でいうところの眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識のようなことをやりたかった。 もう少し多く 哲学者がデカルトただ一人しかいないときは「我思うゆえに我あり」でよかった。 でも哲学者の数が増えた。 科学は発展しニュートンが現れた。一つの現象について外国にいる複数の科学者と議論が成立するようになった。 しかし哲学はデカルトのいう我に依存するため、ある哲学的なトピックについて他の哲学者と議論の成立が保証されず、一人の人間で完結してしまい時代から取り残されていた、遅れていた。 そこでカントは、我は当然異なっている、でも哲学的に考えることはすべてのヒトに共通するという命題を証明しようとした。そのため哲学的に考えることを分析し、たとえば考える対象について物の世界、現象界を分け、思考について悟性、理性に分け、ヒトが考える機能を分析的に調べ評価した。カントの考えを見た結果、哲学者はみんな「哲学的に考える機能はすべてのヒトに共通だね!」と納得した。 哲学者同士の議論で意見が異なったとき、最終的に「オマエの我とオレの我は違う、議論できない!」となって結論が出ない事態が避けられ、我は違っても哲学の議論ができるようになった。一つの哲学のトピックを複数の哲学者で議論できるようになり、結論が出せることになり、哲学が発展した(のだろう)。哲学をその時代の現代にアップデートさせた。 カント自体はプロ哲学者として考える器官の精密さを維持するため、異物や変化があったら検出できるよう毎日同じ行動を繰り返したのだと思う。
- Nakay702
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物事はただ見たり聞いたりして理解するだけでなく、その経験や知識を、意識が秩序づけて初めて認識したことになる。