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江戸時代の
江戸時代の公家は何をしていたのでしょうか。 公家が兵庫頭や左近衛大将に就任しても名ばかりで、実際は幕府の旗本・御家人が警固していたのでしょうか? 関白など他の職についても、実権は幕府に押えられて名ばかりの職だったのでしょうか?
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補足と追加です。 関白はもちろん実務のある公家のトップですが、それに次ぐ議奏、武家伝奏は大納言クラスが就任しました。これは現任とは限らず前大納言ということもよくありました。 それから職事ですが蔵人頭(頭中将と頭弁)が職事のトップでその下に五位の蔵人が3人、六位の蔵人が4人)いました。 これら以外の堂上公家は特に朝廷での仕事はなく、儀式に参列するのと、交代で御所に詰めているくらいでした。
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- 6dou_rinne
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回答No.1
江戸時代の公家の仕事は行事に参列することでした。 実際に仕事があるのは関白と議奏(定員5名)、武家伝奏(定員2名、以上は堂上公家から選ばれる)、職事(定員4名で六位の地下官人から選ばれる)くらいのもので、これらの職には役料がありました。(それ以外の公家は家禄だけ) このほかに御所には口向役人というのがいて御所における実務を担当していましたが、これは朝廷の指揮下にはなく幕府から派遣された禁裏付の支配下にあり、金銭出納から天皇の食事の調理などはこの口向役人が扱いました。 御所の警備を担当していたのは公家や地下官人ではなく幕府から派遣された禁裏付に付属する与力、同心でした。禁裏付は旗本から選ばれて派遣されていましたが、この与力・同心は京都の地付でした。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございます。 とてもよく分かりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 摂家こそ裕福だったようですが、平堂上の生活は貧しかった様ですね。