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発心集の口語訳をしましたがおかしなところありますか?
以下は発心集を我なりに口語訳しました。 おかしいところがあればご指摘いただけると幸いです。 御願いします。 侍従大納言成通の卿、昔9歳の時に今のマラリアに当たると言われる熱病にかかりました。長年にわたって祈っている某僧都という人をよんで祈ってもらったが、効き目が無く熱が出た。父がとくに嘆いて看病して、母と喋りながら、今回は違う僧都を呼ぼう、いやどっちがいいだろう?といっていたら稚児布が聞いていて、乳母話を聞いたところ、自分がおなかの中に居るときから祈っているのだし、生まれてこのかた9年間無事に健康に過ごせているのは某僧都のおかげだし、今回の病気の時に呼ばないのは残念と思われ気の毒だ。もし違う僧を呼んで病気が治ってもそれは本来ではないのである。ましてや必ず病気が治るとも限らない。 この病気で死ぬ事もないだろう。最後にはそうであっても直るだろう。と言ったのをきいて父も母も涙した。親の考えは子供の考えに劣っているのだなと思った。その次の祈祷の当日に僧都をよんでありのままに全てのことを話した。僧都も感動して僧都がおろかに思うわけがなかった。その日は特にお祈りした。そうすれば治った。
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手元の「発心集」の原文が出てこないので、ひとつ前の質問からジャンプして、以前の質問から原文?を見たのですが、途中までしかありませんでした。ですから訳も途中までです。うまく訳していないと思いますが、参考まで。 侍従の大納言成通卿は、その当時九歳で、(今のマラリアに当たると言われる)おこりにお罹りになった。長年(成通卿のことを仏に)祈っていた某僧都とかいう人を呼んで祈らせたけれど、効き目が無く発症した(熱やふるえが出た)ので,父の民部卿がとくにお嘆き(お悲しみ)になって、脇に寄り添って座って、ご看病されている間に、母君と話し合いながら、「そうであるからといって、どうしたらよいのだろうか。今回は違う僧を呼んだらどうだ。どの僧がふさわしいの(適切)だろうか。」などとおっしゃっていたのを、稚児が寝ながら聞いて、民部卿に申し上げなさる。 (最後の部分は「この稚児臥しながら聞きて、民部卿に聞こえ給ふ。」とあったのでこのように訳しましたが、貴方のあとの訳等を見ると原文?が間違っているのではとも思いますし、「民部卿に聞こえ給ふ。」の「聞こえ」が稚児への謙譲、「給ふ」が「民部卿」への尊敬と考えれば筋は通っていますし,よく分かりませんでした。) 一部省略したり、適当に訳したりしている部分がありますが良くやっている感じです。(えらそうにいってごめんなさい) * 「言ひ合はせつつ」の「せ」は、他動詞下二段「言ひ合はす」の連用形の語尾と思います。「せ」を尊敬の助動詞にとると、「言ひ合はす」の語尾がなくなるので。 * 「こと僧をこそ呼ばめ。」の「め」は、推量の助動詞「む」の已然形(上に「こそ」があるので係り結びになっている。)は、原則的に人称により意味に違いがあります。 1人称=意志=~しよう、~つもりだ 2人称=適当・勧誘=~したらどうだ、~視なさい、~するのがよい (「こそ~め」の係り結びの場合は、適当・勧誘の意味を表すことが多い。例外もあり) 3人称=推量=~だろう、~う 人称による意味の違いは推量の助動詞「べし」でも同じです。ただし、「べし」の方が、「む」より強い意味を表します。 「こと僧をこそ呼ばめ。」では係り結びになっているので、適当・勧誘で「今回は違う僧を呼んだらどうだ。」と訳しましたが、前後の文から見て、意志に訳して、「今回は違う僧を呼ぼう。」でも良いと思います。
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- miirumatsu
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原文を載せてくだされば、助言させていただけます。
お礼
お心遣いありがとう御座いました。 塾の先生に聞くことが出来たので問題が解決しました。 とわいえ僕はまだまだ古文が苦手なのでまたの機会に宜しく御願いします。
お礼
詳しく解説付で本当に助かりました。 古文はなんか慣れなくてとても困っていたのですがなんとなく最近分かってくるようになりました。いろいろなご指摘いただき本当にありがとう御座いました。