• 締切済み

「自分で選んだ」という指摘

いじめや過労死、女性差別などの事実を体験・または情報として共有してきたはずの今のおばさん世代の人たちが、なぜ「自分でこの人生のシナリオを選んで生まれてきた」という思想にはまるのでしょうか? 私はだらだら生きてきて努力も苦手で、こんなことを言われると怖くて思考停止に陥ってしまいます。だから人に言ったりということはきっとしないと思います。 いろいろ考える中での一つとしては、全部自分で選んだと仮定して考え直すのはおもしろいかもしれません。でもこの言葉は悩んで相談する人相手に、いろんな思考パターンがあるからゆっくり考えてみてというつもりで言っているのではないと思うのです。 人の悩み事に「それは自分で選んだこと」と指摘する(相談に答えないということではなく)ことが頻繁に行われると、社会にどんな影響が残ると思われますか。 また、「これは自分で選んだこと」を基準に自分の辛いことを乗り越えた人は、どういうおばさんになるでしょうか。 よろしくお願いします。 心理学と哲学と、どちらに投稿した方が良いかわからず、哲学的・宗教的に自分で選んで生まれてきたという考え方はどうなのかなあと思い、こちらに質問させていただきました。

みんなの回答

回答No.3

多分、はっきり示す方が伝わるからだと思います。 毎日でも会う人ならば、そういう言い方をせずとも伝わるでしょうが、 短い言葉で端的に示すにはそういう言い方にしかならなかったのでしょう。 ご存知の通り、人生は色々な選択の連続です。 その様々な場面において人は考えたりして、 自分なりの答えを出しています。 自業自得と云っているようにも思われますが、 他人のことを救ってやることは結局はできないものです。 人が決断しないといけない時、最後に決めるのは自分です。 一番身近に居る人、それが自分という存在です。 でも、自分とは読んで字の通り、 「自らの分」ということです。 そこに多くの人がいてその中の自分でしかないのです。 だから人の云うことを素直に聞くのも大事です。 指摘されたからと云って腹が立つ必要も無く、 また勝ち誇ったかのように”あなたが選んだ道でしょう?”と 煽ることも不要なことです。 ただそれだけのことで社会に影響なんて起こりません。 例えば、イスラエルなどの紛争地域では、 毎日のお使いが命懸けだといいます。 子どもたちは危険を察知した時、 自分で生きる道を選択しないといけません。 そこで生きる子ども達は将来そこでおばさんになります。 それでも普通に過ごしているでしょう。 むしろ私たち日本人がいかに緩やかに生きていられるか、 あなたの今の生活に日々感謝すべきだと思います。 同じ人間同士です。 分かり合って、分かろうとして 最大限努力しあうのが人間として正しい生き方です。 激情して云う人は心配しているでしょうし、 無感情に云う人は何でもないことを言っているだけです。 誰か指導者を真似て語る人は自分に酔っているだけです。 言葉の裏に隠されたメッセージに気づいて、 そういうものかと思えばよいだけでしょう。 それで相手を思いやれるならあなたは大人です。

moko_52
質問者

お礼

>それでも普通に過ごしているでしょう いただいた回答に難癖つけるのは性質が悪いと思います、すいませんが言わせてください。 それはどうでしょうか。紛争地域や戦後を過ごしている地域では、その紛争による傷が浅い人たちによって合理化が進みます。その過程で普通のおばさんは歓迎されるでしょう。 紛争中、お使いの途中で爆撃されてショック状態で言葉を失った子どもも、争いが終われば、普通のおばさんになれるでしょうか。その子は自分で判断し、選択した道を通ったのでしょうか。 ganesha_meさんのお陰で自分の質問の変さがわかりました。 最初は「自分で選んで生まれてきた」ことを前提に置きながら、質問では「自分で選んだと指摘する」ことになっていました。タイトルでもそうでした。もう少しきちんと考えて質問するべきでした。ごめんなさい。 丁寧なご回答ありがとうございました。

回答No.2

>自分でこの人生のシナリオを選んで生まれてきた 自己責任の自立性を持った人生を歩んだという認識が無くて、何かの仏教的新興宗教の教えのような「業(カルマ)によって自分の人生が決まり、"修行の人生"」といったような認識をしているオバサンのことでいいのでしょうか? そういうような人が、 >、「これは自分で選んだこと」を基準に自分の辛いことを乗り越えた人 これは、「自分で選んだシナリオ」の中で辛いことを乗り越えた、ということですので、このオバサンは宿命というのを感じてを受け入れるのでしょう。すこしは辛いことに対する理由が見つかってすくわれた気持ちになるのかも…もちろん、そのぶんのお布施なるものが教団にとられるかも。どういうオバサンにもなりません。ただの宗教おばさんです。

moko_52
質問者

お礼

>何かの仏教的新興宗教の教えのような「業(カルマ)によって自分の人生が決まり、"修行の人生"」といったような認識をしている そのような感じです。辛い思いをしているときに『それは自分で選んだんでしょ』と言われて納得してしまうような人。 >ただの宗教おばさん 毎日仏壇にお線香を上げて手を合わせるようなおばあちゃんなら素敵ですが。 ご回答ありがとうございました。

  • oo12
  • ベストアンサー率44% (26/58)
回答No.1

自分で選んだことは誰かに強制されたわけではないから選んだ自分に責任がある、というような考え方からスタートしているのだと思います。 その考えをもとに自分で選んだのだから誰のせいでもない、潔く現在の状況を受け入れようと考えているのだと思います。 実際には、人に責任を取らせるには、その人が選択をした段階で、正しい選択をするのに十分な情報がその選択をする人に与えられていなければなりません。 生まれる前にどのような状態で選んだかは検証しようがありませんからね。中身のわからない箱の中から自分の好きなように選んだというような状況でなければいいのですが。 >「これは自分で選んだこと」を基準に自分の辛いことを乗り越えた人は、どういうおばさんになるでしょうか。 些細なことは気にしない、根性論・精神論だけの人になりそうな気がします。

moko_52
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >誰のせいでもない、潔く現在の状況を受け入れようと それならいいんですけど。 「誰のせいでもない」=「自分の責任である」といえるのか、わかりません。 >些細なことは気にしない、根性論・精神論だけの人 それでまた悩んでる誰かに『それは自分で選んだんですよ』と言うのでしょうかね。笑顔で。

関連するQ&A