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原子爆弾はなぜ広島に?
原子爆弾はなぜ広島に落とされたのでしょうか?人を殺す事が目的なのであればもっと都市に落としたはずです。その理由を詳しく教えてください。もしほかに候補があったのならばそこに落とさなかった理由もおしえてください。
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- nogul2n
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広島は、「軍都」だったからだと思います。日本軍は広島を非常に重要な拠点としていました。 日清戦争の頃(?)には数ヶ月間、法律上も「首都」だった事もあったらしいですよ。
- komes
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何故広島かという答えは大隊No7の方のお答えに近いのですが、 原爆投下は種々の政治的考慮がからむ問題でした。 1・まず軍事施設が存在すること。 これは純粋に非戦闘員を殺傷する為という非難を避けるためです。 2・なるべく通常の空襲の被害を受けていないこと。 これは後日の被害調査での混乱を避ける為。 3・周辺を山脈ないし丘陵で囲まれ衝撃波が中心に集まりやすいこと。 4・人口が適当な規模であること。 極端に多いと非難を生じやすい。 しかし小規模では効果が過小評価される。 5・大規模の連合軍捕虜の収容所がないこと。 これらの条件を満たすのに広島は絶好の目標でした。 京都は条件2、3に適合しますが人口が多すぎ軍事施設も皆無で不適当とされたことが理由でしょう。 それに投下時期の天候も考慮しなければなりません。 原爆の日本都市における被害範囲は当時正確には推定されていませんでした。 従って爆発地点になるべく正確に命中させる必要がありました。 爆発高度はかなり綿密に計算されて定められていました。 小倉は戦争継続力を低下させる効果は大きい反面連合国捕虜が多数使役されており天候も不良で急遽変更され長崎に投下されました。 この当時原爆の投下地点となる候補地は日本に少なかったのです。
No.5,6さんの回答とダブルところがあって恐縮ですが、次のような判断があったようです。 (1)広範囲にわたって損害を与える程度の広さの都市、付近に丘陵があり、爆風の収束作用が期待できる (2)これまで空襲の被害が少ない (3)惑星の衝突など天変地異と間違われる心配がなく、新型爆弾と認識できる (4)陸軍の重要補給基地であり、工業地域の中心に位置する物資積出港 (5)川があるため、焼夷弾の空襲都市都市としては適地といいかねる (6)連合軍捕虜収容所がない 皆さんのおっしゃるように他の都市の候補もありました。 「京都」もそうでした。NO.6さんのおっしゃる通りです。これは今まで伝えられていた「昔からの文化財を守る云々」よりも、スチムソン陸軍長官の「戦後の占領行政の心配」によるところが大きいようです。すなわち、京都は天皇と関係が深いので、原爆で破壊すれば国民の怒りは広島以上で、後の占領行政に差し支えるということ。 まあ、大きくまとめますと、 1.破壊による敵戦力の低下 2.新型爆弾と十分認識させ、敵の戦意を低下 3.後の占領行政を考える(怒らせすぎるとまずい?) ということかなあと思います。 今の日本人から見れば、もう一つ納得感が得られないところもありますが、向こうさんの判断は大方以上のようだったらしいです。
- rin00003
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>人を殺す事が目的なのであればもっと都市に落としたはずです。 1945年3月の東京大空襲をかわきりに、8月までに東京だけで63回も空襲があり、横浜、川崎、大阪、名古屋の大都市も繰り返し無差別攻撃にさらされました。 大都市はもはや、焼く尽くすものがないくらいになってしまいました。 日本に対する原爆の投下は一種の実験でもあったようで、最終的に空襲の被害が少ない広島、小倉、長崎、新潟の四都市が投下目標に選ばれました。 なお、最初は京都も有力候補の一つでしたが、スチムソン陸軍長官の猛反対で候補からはずされました。 スチムソン陸軍長官は和平派で、あくまで日本に無条件降伏を求めるバーンズ国務長官とは対立していたようです。
- Scull
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なぜならば「人を殺す事は目的ではなかったから」です。もちろん、軍事施設の破壊も、日本の降伏促進も目的ではありませんでした。 原爆が日本に(広島・長崎に)投下された大きな理由は、次のようになります。 1.新兵器の効果実験。 既にネヴァダの砂漠で実験済みではありましたが、実際に建造物のある都市ではどれほどの効果があるのかは不明でした。ですから、実際に建造物のある都市で実験を行う事が期待されました。また、実際に「人体に対してどれほどの効果を持つか」を測定する意図がありました。 同時に、ウランを使ったもの、プルトニウムを使ったものの二つの原爆のうち、どちらが効率が良かったかの実験も行われました。 そのために検討された候補地は、広島、小倉(直前で長崎に変更されました。「呉を広島にかえた」というのは、「小倉を長崎にかえた」話が間違って伝わったものかと思います)のほか、新潟、奈良、京都などでした。東京、大阪は「既に焼け野原で、効果測定が行えないために候補地にさえなりませんでした。 ※当初は降伏促進のために「東京湾」という候補地はありました。 2.もう一つの理由が「南下を意図していたソ連への牽制」です。 そのために、当時三つしかなかった原爆のうち(そして、原材料の問題から、数年しなければ四つ目は作り得なかった)二つまでを使用したのです。
- buchi-dog
- ベストアンサー率42% (757/1772)
No3です。 「最初は呉市の造船所を目標としていたようです。しかし、上空の天気が悪いので急遽広島に目標を変えたそうです。」 呉が原爆投下の第一目標だったと言う事実はありません。呉は、昭和20年8月6日の時点では市街地も海軍工廠(造船所、工場)もそれまでの空襲で壊滅しており、呉周辺にいた海軍の軍鑑や商船もほとんど沈められていました。
- buchi-dog
- ベストアンサー率42% (757/1772)
ご質問の答は下記の本に書いてあります。 日本の古都はなぜ空襲を免れたか 朝日文庫 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31002714 この本は「京都や奈良が空襲を受けなかったのは親日アメリカ人のおかげ」という伝説を否定するのが主テーマですが、その前置きとして、アメリカの日本に対する空襲について詳しく解説しています。 アメリカの設定した原爆投下の順位で広島が第一位であり、天候の問題もなかったので昭和20年8月6日に米軍機が広島に原爆を投下した、ということです。 詳細は紹介した本を読んでください。アマゾンで注文すれば明後日に届きますよ。 「広島に日本軍の兵器工場があったからだった」 日本最大の兵器工場は陸軍は大阪、海軍は呉にありました。いずれも、昭和20年8月6日の時点で廃墟になっておりました。 「他にも東京や大阪、札幌あたりにも投下が計画されていたはずです」 これらの都市について、米軍に具体的な原爆投下計画はありませんでした。東京も大阪も市街地は既に焼け野原となっており、原爆を投下しても焼け野原を焼け野原にするだけでした。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
諸説ありますが、最初は呉市の造船所を目標としていたようです。 しかし、上空の天気が悪いので急遽広島に目標を変えたそうです。 当時の原爆は開発されたばかりの代物で、途方も無く大きく、重い物体でした。 また、当時の米軍の輸送機は、それほどの加重を乗せて飛べるものではなく、また非常に燃費も悪かったのだそうです。 重い物体を乗せて、一番近いテニアン島から離陸した「エノラ・ゲイ」は、慎重に目的地を選ばねばならず、やむなく広島に変更したというのがひとつの説です。 輸送機は原爆を投下した後、急速に上昇しないと爆発に巻き込まれる恐れもあったので、そのことも要因のひとつといえるでしょう。 つまり「当時の兵器の性能によって」ということですね。 また「文化財」を多数有する地域、民間人が多数居住する地域、などを避けたいという「政治的な思惑」も絡んで、東京や京都などがじょがいされた、というのもあるようです。
- tacnahyu
- ベストアンサー率16% (3/18)
確か、広島に日本軍の兵器工場があったからだったと 思います。他にも東京や大阪、札幌あたりにも投下が 計画されていたはずです。その前に日本が降伏したため、 実施にはいたらなかった、という経緯だったと思います。