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喧嘩の強さに憧れる心理
お世話になります。 私の知る限り、男性の多くは、喧嘩の強さに憧れを抱いているように思うのですが、 なぜ男性は、喧嘩の強さに憧れるのでしょうか? 頭の良さ等に憧れるのとは違って、 違法行為で、道徳的にも問題があり、お金にもならない(逆にお金を取られてしまう)喧嘩に、 なぜ、憧れるのでしょうか? それは本能や遺伝の要素が強いのでしょうか? それとも環境によって形成されたものなのでしょうか? 男性が喧嘩の強さに憧れるのは、古今東西すべての文化に共通しているのでしょうか? どうぞ宜しくお願いします。
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#1の方の意見に同意します。 >違法行為で、道徳的にも問題があり、お金にもならない(逆にお金を取られてしまう) この三つは人間が後付けで作ったものだからだと思います。 その意味で本能や遺伝の要素は強いと言えます。種の、個体としての自分の遺伝子を残そうとする保存本能。その本能もまた、遺伝した遺伝子に根付いています。さらに種の保存のためには環境への高い適応能力は必須条件。であれば環境もまた大事なはずですが人間という種は比較的緩やかな適応進化をしています。その理由はそれなりに長い寿命とそれなりに高い適応能力のためでしょう。ほかの生物をみればわかりますが、寿命は短いですがある特定の環境に強く適応できる生物はたくさんいます。ですが人間はそうではない。ということは環境の影響は彼らほどには受けていないと思います。
- mapato
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こんにちは。 現代では確かに力で何かを得るようなことは殆ど否定的に考えられているかもしれませんが、ちょっと歴史を眺めてみればつい最近までは人間は力によって欲しいものを獲得するのは当たり前のことでしたし、今でも日本のように治安が安定しているところでは実感出来ないかもしれませんが、それが悪化すればいつだって力によりあらゆるものを奪い合う事態は起こり得る訳です。 何か野蛮に感じられるかもしれませんが、所詮は人間も動物なのでそのようなことから完全に逃れることは出来ませんし、そのような事態が起こらないようにより大きな力でもって抑えつける必要があることもしばしばなのです。 そもそも人間が狩猟を主な生業としていた時代などはまさに力によって生活を良くも悪くもすることが出来た訳です。 ですから本能と言えば本能ですが歴史的な背景といったようなものとも無縁ではないでしょう。 それに現代でも例えば思春期辺りまでは「違法」だのなんだの言う前に腕力がものを言う場面がいくらでもあります。 喧嘩が強ければやはり一目置かれますから簡単にからかいやいじめの対象などにされることもありませんし、確かに実際に暴力を振るってしまえばペナルティを科せられることもある訳ですが、「子供同士のこと」と片付けられることも多いですし、現実的には得るもの(失わなわずに済むものと言っても良いかもしれませんが)は存外大きいのです。 環境によって多少の違いもあるとは言え、基本的にはそのようにして皆育つ訳ですから、多くの人が強さに憧れを抱くのも無理からぬことではないでしょうか。 勿論格闘技の試合などを見て「地が騒ぐ」と感じることがあるように、本能に根ざしたものも大きい訳ではありますが、それだけではなく実際に「喧嘩に強い」ということは意味があることなのです。
お礼
ありがとうございました。
- mat983
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動物のオスは種を残すため戦います。 増やすにはメスと交尾しなければなりません。 メスは一番強いオスを選びます。 ライオンにしても強いオスだけが子孫を残してきたのです。 人間にもその本能が残っているのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 喧嘩の強さに憧れるのは、本能なのですね。 もう少し詳しく知りたいので、参考文献を教えて頂けないでしょうか。 宜しくお願い致します。
お礼
ありがとうございました。