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絶対的に正しい行為(絶対善)を定義してみた。
私たちは正しい(正義)と善は何か違うものように感じています。そこで善とは何かを考えてみました。 アメリカのエール大学などの実験で、あまり理性の発達していない生後数か月の赤ちゃんでも善悪は分かっていると科学的に証明されています。つまり善なる感情は生まれつき持っている本能的なものであると分かります。理性で考えられた正しい事、規範(信号を守る、税金を納めるなど)ではなく、本能から来る善なる感情は何なのか?と考えました。そこで多くの善なる行為を考えてみてピン!と来たのが「思いやり」だったのです。 例えば浜辺に打ち上げられたクジラを海に返してあげようと頑張っている人たちを見れば、何か暖かいものを感じ「善い人たちだな~」と思います。またカルガモが道路を渡れず困っているのを見て、みんなが車を止めてカルガモを渡してあげるのを見ているとなんだか心が暖かくなります。このような善なる行為を多く考えて、そのすべてに共通しているもの、内包しているものを考えていたら、それは「思いやり」であると気が付いたのです。 これは論理学でいう内包的な定義のやり方です。全ての要素に共通しているもの、内包しているものがその本質なのです。その本質を言葉で表したのが定義と言い、これが厳密的な定義になります。 つまり多くの善なる行為に内包していたのが「思いやりであり、私より公を優先する行為」だったのです。そこで私は善とは「私より公を優先する行為、つまり愛や思いやり」であると定義しました。勿論、自分が考えたすべての善なる行為に「思いやり」が内包していただけですから、もしかしたら「思いやり」が内包していない善なる行為があるかもしれません。しかし私が考えた善なる行為の中にはすべて「思いやり」が内包していたのです。 私は哲学はまだ素人であまり自信がありませんので、賢い人たちの意見を聞かせてください。どこか間違っているでしょうか?よろしくお願いします。
お礼
コメントありがとうございます。 私は善は感情であり、善なる心、良心は遺伝子に書き込まれ本能になっていると思いますので、善は相対的ではなく、絶対的なのです。生後数か月の赤ちゃんでも善悪は分かっていると言う大学での実験で実証されています。下記HPをご覧ください。 https://www.cnn.co.jp/fringe/35045208.html 善とは基本的にその群れを守る為にあるものであり、他の群れを襲って支配しようなどという性質は持っていません。ですからヒトラーがどうのこうのと言われれば困るのですけれども、この問題でも善の定義で正しいあり方が分かります。 あなたは賛成できないと思われるかもしれませんが、私が見つけたのは絶対善です。全てに人に通用する定義です。私の善の定義であれば、どんな社会的問題も答えはひとつに収束できると考えています。 私は絶対正義と絶対善を見つけました。