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東宮の住居、他。
平安時代についての質問です。 東宮の居所なのですが……、小説家氷室冴子さんの作品では、 東宮は常に「梨壺」が定められた居所であり、 私自身今までそうだと思ってきました。 が、詳しい友達に訊きますと、「そんなことはないだろう」とのこと。 私にとって「梨壺女御」=「東宮妃」だったのですが……。 1、東宮の居所というのは特に決まっていないのでしょうか? 2、決まっていないとすれば、居所を定める基準はあるのでしょうか? 3、定める基準について別件ですが、天皇妃の居所を定める基準は? あるいは殿舎の重要順(親の力が強いと○○舎に入ることが多いなど。私は最有力女御が弘徽殿、というイメージです)。 以上3点お願いいたします。 なお、同じように平安時代の質問を別に立ち上げています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=349462
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最近は、もっと別の研究もあるのかもしれませんが・・・。 (1) 東宮の殿舎は本来は「雅院」と呼ばれる建物です。冷泉朝以降は、梨壷を使うのが慣例となりましたが、これも絶対的な原則ではありません。 例えば、後朱雀天皇は、即位後もしばらく梨壷を御在所としたため、その間、東宮の親仁親王は梅壷を在所としています。 ところで、東宮が梨壷にいた場合、原則として、東宮妃は「梨壷女御」ではありません。天皇・皇太子は、妃と別の殿舎で起居するのが原則です。 例えば、上述の親仁親王の妃である章子内親王は最初は藤壺を在所とし、東宮が梨壷に移ってからは宣耀殿に移御しています。 「梨壷女御」に東宮妃のイメージがあるとおっしゃるのは、安子のせいではないでしょうか。 (2) ところで、誰がどの殿舎を使うかの問題は、三つのレベルで存在します。 ○第一期:平安京造営当時に予定された配置(光孝朝くらいまで)。 天皇は仁寿殿、東宮は雅院を在所とするのが本来の原則です。 ただし、例外が数多くあり、陽成天皇などは、数年おきに在所を変えています。 ○第二期:源氏物語などが想定する配置(宇多朝くらいから後朱雀朝くらいまで) 天皇は清涼殿、東宮は梨壷を在所とする慣例が成立しました。 もっとも、(1)で説明したような例外も数多く存在します。 ○第三期:里内裏中心の時代(後朱雀朝くらいから恒常化) 天皇や東宮は、母后の屋敷に住み、内裏の殿舎に住まなくなった時代です。 実は、一条天皇ぐらいから、里内裏の方が中心になっており、紫式部の宮仕えも殆どが里内裏で行われていたはずです。 ○第一期や第二期の「例外」の理由としては、既に埋まっている場合のほか、死穢・焼失・単なる好み等があります。 (3) 常寧殿がもっとも格式が高いと聞いたことがあります。しかし、この序列は、(2)で言う第一期の慣例と言えるでしょう。第二期では清涼殿が天皇の御在所ですから、清涼殿に近い弘徽殿・藤壺が、一応、高い地位にあると言えましょう。 ただし、格の高い殿舎が、既にある程度地位のある人で埋まっている場合があります。これは他の后妃である場合もありますし、母后や東宮・内親王、あるいは(后妃でない)尚侍という例もあります。このような場合、有力な女御でも他の殿舎となります。例えば、東七条后温子が入内したとき、常寧殿には母后班子女王がいたため、温子は弘徽殿に局を賜りました。 もっとも、彰子入内前から定子は登華殿ですし、この序列が正しいとしても、例外は数多く存在します。 なお、(2)の第三期以降は、そもそもこのような序列が存在しないのは当然です。
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- minatouri
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1.について,参考URLに次のような記述があります. 「~実仁親王は元服の儀式を内裏の昭陽舎で行っているが、三宮輔仁親王は内裏ではなく陽明門院御所の鴨院で行っている。この違いについては、昭陽舎は冷泉朝以降、東宮の曹司として使われていたのであり、東宮である実仁親王がここで元服をするといことは、なんの不思議もないことであるが、~」 冷泉朝以降,梨壷が東宮の曹司として使われたということで,時代の重なる「源氏物語」でも東宮=梨壷の記述があり,現代の作家がそれに影響されるのはある意味当然でしょう 個人的には東宮=東の方向ということで梨壷かとも思っています.
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、「冷泉帝」以降なのですね! 私が知りたかったのは、その父である「村上帝」の時代の梨壺なので、 それなら「梨壺女御」が東宮妃以外である説明がつきますね! 一般的に「平安時代」と言われるのは道長時代でしょうから、 現代の作家さんが平安時代を書くに当たって参考にするのは 一条帝時代=冷泉帝以降。 あー、なんだか納得できましたー!
お礼
回答ありがとうございます。 梨壺女御=東宮妃という先入観があるのは、氷室冴子さんの「なんて素敵にジャパネスク!」という小説内で、 東宮時代は梨壺女御だったが、東宮が即位した後は、”梨壺では遠いということで”、別の殿舎に移った。 というような記述があったからです。 詳しい解説、とても嬉しく拝見しました!