- ベストアンサー
窯変源氏物語について
橋本治氏の窯変源氏物語を読まれた方、あるいは源氏物語に興味をもっていらっしゃる方に質問です。田辺聖子氏や瀬戸内寂聴氏の源氏物語は読みましたが、これらの訳には見当たらなかった発見があります。 (1)玉鬘の夫となった髭黒大将が右大臣の息子であったこと (2)六条御息所の娘であり、のちに冷泉帝妃となった、秋好中宮の初恋の相手が朱雀院であったこと まず(1)ですが、右大臣とは恐らく、弘徽殿の女御や朧月夜の君の父親だと思います。また、朱雀帝の妃・承香殿の女御の兄(弟?)ということ は他の訳でも書かれており、女御が右大臣の娘との記載も窯変~であります。右大臣は子沢山なので不思議はありませんが、髭黒の出自についてこの窯変源氏以外では触れられていないようだったので不思議に思いました。 次に(2)ですが、源氏の娘・明石の姫の入内の際に秋好中宮の斎宮代となったエピソードがあり、そこに朱雀帝への思慕があったと書かれています。 (1)はどちらでもよいかもしれませんが、(2)はとても興味深い内容です。なぜなら、朱雀帝は源氏物語のなかでは可愛そうな役柄しか演じさせてもらっていないので、1人くらいは彼を恋い慕う高貴な女性がいて欲しいと思うからです。 橋本氏訳でもちろん想像もあると思いますが、皆さんはどう思われますか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
『源氏物語』好きのオバサンです。 『窯変源氏物語』を読んだのは、ずいぶん昔の話なので(初版で購読)詳細な内容は忘れてしまいましたので、原作の方から分かる範囲で書かせていただきます。 ただ『窯変源氏物語』は、『源氏物語』の「現代語訳」というよりは、『源氏物語』をベースにした「小説」だという印象を受けた記憶があります。 > (1)ですが、右大臣とは恐らく、弘徽殿の女御や朧月夜の君の父親だと思います。 「桐壷帝の弘徽殿女御や朧月夜尚侍の父親である右大臣(仮に「右大臣A」とします)」と「朱雀帝の承香殿女御や髭黒大将の父親である右大臣(仮に「右大臣B」とします)」は、別人であると推測されます。 確かに『明石』には朱雀帝の子について、「当代の御子は右大臣の女承香殿の女御の御腹に男御子生まれたまへる二つになりたまへばいといはけなし」とあります。 この「右大臣」は右大臣Bですよね? ですが、同じ『明石』で「桐壷帝の弘徽殿女御や朧月夜尚侍の父親」=右大臣Aが亡くなっていますが、この時の表記は「太政大臣亡せたまひぬ」です。 ですから、右大臣Aと右大臣Bは別人であると考えられます。 朱雀帝の御代、帝の外祖父に当たる右大臣Aが太政大臣となったことによって、右大臣の地位が空白となます。 空白のなった右大臣の地位に就いた「誰か」が、右大臣Bでしょう。 > (2)六条御息所の娘であり、のちに冷泉帝妃となった、秋好中宮の初恋の相手が朱雀院であったこと #1さんが書いていらっしゃる通りの、朱雀帝→六条御息所の娘への恋情は『賢木』に 「斎宮は十四にぞなりたまひける いとうつくしうおはするさまをうるはしうしたてたてまつりたまへるぞいとゆゆしきまで見えたまふを 帝御心動きて別れの櫛たてまつりたまふほどいとあはれにてしほたれさせたまひぬ」 とあり、さらに 『澪標』にも 「院にもかの下りたまひし大極殿のいつかしかりし儀式に ゆゆしきまで見えたまひし御容貌を忘れがたう思しおきければ 参りたまひて斎院など御はらからの宮々おはしますたぐひにてさぶらひたまへ と御息所にも聞こえたまひき」 と六条御息所にも申し入れていたことが書かれています。 もし、『窯変源氏物語』に、六条御息所の娘→朱雀帝への思慕があれば、橋本氏の創作だと思います。 とはいえ、伊勢下向の際、六条御息所の娘は14歳になっていた訳ですから、「初恋」があっても不思議ではないかもしれませんね。 朱雀帝も桐壷帝の息子です。 弘徽殿女御も『源氏物語』では敵役として憎々しげに描かれてはいますが、右大臣の大君(長女)という当代一の姫君ですし、おそらくは美女だったと思います(なんだかんだ言っても、桐壷帝は弘徽殿女御との間に3人の子供がいますしね。光源氏のあとに男の子だけでも8人の子が生まれていますし)。 その二人の子ですから、朱雀帝もそれなりにハンサムだったのでは?と思います。 母と光源氏の関係を知っていて光源氏を好ましく思っていなければ、光源氏のようなきらびやかさはないものの、ハンサムで優しげな若き帝に心惹かれることがあったのかもしれません。 『源氏物語』は、書かれて・描かれていないことが多いので、いろいろな想像ができますよね。
その他の回答 (1)
- nepa-aiko
- ベストアンサー率27% (12/44)
すみません。源氏の専門家ではなくファンのひとりでしかないのですが。 (1)は、弘徽殿の女御(朱雀帝母)の父とは別の人物では? 髭黒は今上帝(朱雀帝の皇子。明石姫君の夫)の生母の兄なので、後に権力を得て自身も右大臣になっています。 ご存知かと思いますが、右大臣は官職名であって、人物の固有名ではありませんから、作中時間に右大臣(となった人物)が複数いてもおかしくないと思います。 源氏の義兄の頭の中将(雲居雁父)も、出世するに従って呼び名が「権中納言」「内の大臣」「致仕大臣」と変わりますしね。 ただ、「源氏」本文にはっきりとどの右大臣の子か書かれていないから、想像でしかないわけですが。 (2)ですが、初めて聞いたエピソードです。 むしろ、秋好が伊勢に下るときの別れの御櫛を挿した可憐な姿が忘れられない…と恋慕していたのは朱雀帝のほうでは? それを振り切って、源氏は政治的な野心を達成すべく秋好を冷泉帝に入内させたと思います。(源氏には実の娘が明石姫君しかいませんが、このときまだ姫は幼児で入内できなかったので、それまでの「つなぎ」としての養女が必要だった&六条御息所の遺言があったため) いかがでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。お礼が大変遅くなり申し訳ございません。 (1)はやはり朱雀帝の祖父にあたる人とは別人のようですね。 (2)の朱雀帝の秋好に対する恋心はもちろん知っております。源氏はそれを知っていながら、母御息所の遺言を果たすためという名目で、nepa-aiko様のおっしゃるように実の娘(のちの明石の女御)を入内させるには幼すぎた為、秋好を養女として入内させたのも存じております。
お礼
ご回答ありがとうございます。返事がすっかり遅くなってしまい、申し訳ありません。 やはり、右大臣は別人のようですね^^御代が変わるように、政権も変わるので納得です。 また、六条御息所の姫→朱雀帝の思慕は橋本氏の創作のようですね。 残念(><)あさきゆめみしに影響されてかわかりませんが、弘徽殿女御も若い頃は美人(怖そうな印象もありますがね、^^)と思います。 本編「窯変~」にもなまめかしいという記載がありますし、瀬戸内寂聴氏の「女人源氏物語」の朧月夜が語る巻でも「女にしたいほどの美青年」という記載があるので、源氏と比較されれば劣るものの、皇子としては充分に品格がある男性だと思います。優しい、優柔不断、好きな女性一人に一途、という面から、フランス王ルイ16世とキャラがダブるのは私だけかしら?!