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乾かせない水
ヨハネ4:13-14 イエス・キリストがスカルという村の井戸に水をくみに来たマリヤという女に語った言葉で 「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 肉体的にも精神的にも潤って乾かない水というのがあるのでしょうか? 紀元前の当時でも「水」は天からの恩恵で貴重で命の根源のように崇められてはいたと思いますが、永遠に人の内で湧く水とは何を示しているのでしょうか?
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真実に何かを言ったり、行為したなら、人はたった一瞬、それが香ることで、全ての苦しみから解脱します。 真実の言葉や行為には、一滴で、全ての苦を終滅に導く作用があります。
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- mmky
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[永遠に人の内で湧く水とは何を示しているのでしょうか?] 生命(いのち)のもと、生命(いのち)の泉のことですね。いのちを心あるいは魂と置き換えればいいんですね。肉体とそれに宿るいのち(魂)が人間の真実である。水を飲んでも魂の飢えを乾かすことはできない、わが教えはあなたの魂に潤いを与えるといってるのですね。その潤いがあなたの永遠の命の泉への誘い水になるということですね。仏教的にいえば水は悟りへのきっかけという意味ですね。 いや、飽食の時代に多くの人達が自殺をする現状をみれば、水は生きる希望と考えてもいいですね。そのほうがわかり安いかもしれません。 参考に
お礼
mmkyさん、ありがとうございます。 私はつい最近まで魂(たましい)と塊(かたまり)は同じ字だと思っていましたが(冷笑)字の形容は似てても内容は違って、魂(たましい)=生きて宿る心と生きていたものの心も合わせて解釈して問題ないなら、精神世界に孤立するような塊(かたまり)の有限はないものなのかな。魂(たましい)に個々の境界や分断させてる異質なものがないのかどうかは詳しくないです。現実に似て人間らしく差異を指摘し合ってたり妥協があってもなかなか新鮮味があって良い感じかとも思う。 生きる希望を与えるというのは溢れるほどに与え続けるのでなく、「誘い水」というきっかけだけで、自分の中から、どこからか解らずとも出せてしまうようになるのだとしたら偉いのは自分でしょうか?きっかけを与えた人でしょうか? きっと潤ったら意地や虚勢を張ったりに翻弄されなくて、というかする必要もなくなって楽になれそう。 ここのマリアは若い女性でしょうね。未だ社会が歪んでいるのか、私も歪んで鈍感だったけど若かりし頃は希望を自力で出してギリギリ絶えて、「水を下さい」って言わ(え)なかったんです。今ではあの頃より随分乾きに絶えられないような変貌ぶりで神経質になってる。いかん、いかん、しかし潤うことなくそのまま衰えゆく可能性が高い(苦笑)。立派でもない情けないものでありながら「老い」も私の味方をして悟りへの道になると(謎)。
- nabayosh
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ご存知かもしれませんが、イエスという人は比喩を多用する人です。 なので、「この水」は井戸水でそのままですが、「わたしが与える水」は物質としての水というより精神的な意味での水ととらえるのが定石だと思います。 したがって、「わたしが与える水」をもらったとしても、物質的には渇きを覚えることになるでしょうが、精神的には満たされているということになります。 「肉体的にも精神的にも潤って乾かない」という意味ではないと思います。 貧しいけれど幸せな人もいれば金持ちだけれどもちっとも幸せでない人もいる。 精神が満たされていることは物質など関係ないのだ、というところでしょうね。
お礼
nabayoshさん、ありがとうございます。 やはり精神的に満たす=幸せ。ということの例えで、人は一人で生きていけないものだから勿論誰か、そしてみんなと共有しうる水のことなのかとも思います。「信仰が永遠に自給自足できる水」ということかな。 「水の不思議」でネットサーフィンしてて、水は身近な存在なのに今だ謎が多いので驚きました。 奇跡的に地球は水を保持できる条件があって生物が生まれたことや、タレスが「水は万物の根源」として、後に元素ではなく水素と酸素の化合物(H2O)と知られても、現代科学でも理論に合わないらしく謎だらけ。心も謎だらけでどこか似てます。人体の成分もほとんど水ですし、心も水ではないか?と勝手に創造してました。 アタラクシア(不動心)という語源も水(アクア)から来てるとして、乾いていてこそ少しの水が精神的に充分に吸収しようとし、醍醐味を感じる染み渡るように満足を味わえ溢れるほどになれるのかな。幸せに成りたくてわざわざ貧しくする人もなさそうですが(笑)絶対的な目標のある人生は幸せってものかもしれないですね。
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お礼
BABAaさんありがとうございます。お礼が遅れお詫びします。 >一滴で、全ての苦を終滅に導く作用があります。 イエスも処刑を受けた時、痛い、苦しいとは決して言わなかったのに「私は乾く」といって水を欲してましたね。 「死に水」は現実、真理を欲してのことなのか…と訳の解らない発想を持ちました。 「裸足のゲン」をテレビで見たとき、被爆した人が「み・水、水~」と命からがらで喘ぎ、「水を飲むと安心して死んでしまうから水をあげちゃだめだ」という場面は切なかったです。 それほど多くは要らない。ほんの少しでいい。香るだけでいいかもしれない。物質が沢山ある世界とイメージが香るだけの世界。 優劣があるというのか?幸せに。 少し現実逃避で実は夢ばかり見てました。目をつぶれば口を閉じれば幸せです。 順不同でも自己満足という不純な目的にもなりますが、返信は必ずしますので;