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本当の自分とは?

最近、「本当の自分」というものに対して悩んでいます。 私は、人間の人格というものが構築される時、基礎になるのは、「親から受け継いだ遺伝的な性格」と「生まれ育った周囲の環境」の二つなのではないか、と考えています。 しかし、そう考えてしまうと人格というのは結局、外部からの影響によって作り出されるもので、どこにも自分自身の意思による「本当の自分、いわばオリジナルの自分」というものが存在しないように思えてしまいます。 「本当の自分」なるものは果たして存在するのでしょうか? そもそも 「本当の自分」とは何なのでしょうか? わかり辛い文章ですいません。

みんなの回答

  • nisekant
  • ベストアンサー率11% (13/112)
回答No.10

意識とは二極化することにより、認識可能となります。 例えば、「陰と陽」があります。「陰」だけが存在するのであれば、我々は「陰」と認識することは到底有り得ないのです。 要するに、「世界(物自体)に属性はなく」、我々が認識するがために生み出しものです。 「遺伝子」「環境」には境目は存在しません。我々の形式からそう考えるだけです。

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  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.9

こんにちは。 質問者さんの仰います通り、自分というのは自分の意志によって作られたものではありません。では、これを自分の意志によってコントロールしたらどうなるでしょうか。 我々は誰しも外界との関わりを持って暮らしています。そして、その関わりを円滑に保つことが自分の利益となります。 例えば、誉められたい、評価されたい、自分の悪いところを見せたくない。 このような欲求に基づいて自分の行動をコントロールするということは、結局は自分というものが相手や環境によってコロコロと変わってしまうということです。 では、「本当の自分」とはいったい何でしょうか。我々は世の中との関わりを絶つことができません。このため、しばしばそれを見失ってしまいます。 自分というのは環境によって作られたものです。ですが、それは自分だけに与えられた環境です。親からもらった資質、親から与えられた環境、自分が体験した物事、このようなものが核となり、我々の個性を形成しています。そして、このような人格形成といいますのは「雪だるま」のようなものです。ですから、当然のことながら、その核というのは幼年期に遡るほど強固になっており、特に「生後三歳までの人格形成期」における体験といいますのは生涯に渡って強い影響力を持つと考えられています。果たして、それはまず変更できません。 このように、自分というのは自分だけのものであり、他の誰のものでもありません。「本当の自分」といいますのは、これまでの人生の中で自然に出来上がったものです。では、成長した我々は外界との関わりの中でその姿を見付け出さなければなりません。そして、「自分を知る」ということは、その自然な姿を見詰め、これを受け入れるということだと思います。 「本当の自分」というのは今そこに存在します。何故ならば、それは事実であり、逃げることも取り替えることも絶対にできないからです。ですが、時間を掛けて探さなければ簡単には見付からないです。

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.8

「本当の自分」とは何なのでしょうか? あなた自身で答えは出ているようにみえますね。 「親から受け継いだ遺伝的な性格」と「生まれ育った周囲の環境」の二つを外したものがあなた自身でしょうね。 ただ、「親から受け継いだ遺伝的な性格」と思っている中から親のものと自分本来のものを区別する必要はありますね。肉体は親からもらっていますから肉体に関するものやそれに付随する嗜好や悩みなどは本来のあなたのものではないから外せますね。誰かから影響を受けてもらったものと思うものを全部捨てて残った部分があなた自身ですね。それでも何にもないという考えに行き着くなら「何にもないという考えのみ」があなた自身ですが、そんなことは絶対にないでしょうね。小さい子供は親の性格にも環境にもなじんでいませんが「何になりたいとか、何が好きとか」はっきりしてますね。幼子の心を取り戻すことが自分自身を見出すことでしょうね。

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noname#80116
noname#80116
回答No.7

《本当の自分》というのは こうして互いに考えのやり取りをするとき 相手に納得のいく考えを示すことが出来た自分であろうとも言えるように思います。  ただし 考えが間違っているのに 誤って 説得ができてしまったという場合もありえます。 その間違いと誤りとが分かるとき その自分が これまた 本当の自分であろうと言えるように思います。 ひとことで言えば 《あやまつならば 我れ有り》というふうに捉えられるようです。 遺伝と環境は 関係ありません。もしくは 全面的に二つとも関係するとも言えるはづであって しかも その条件は おおきくは すべての人に共通です。 では わたしが《本当の自分》になったとき すべての人が わたしと同じ人間存在となる〔だろうと見る〕のか?――分かりません。どう思われますか?  (遺伝子のちがいがあるから ちがいはある? 自然的・社会歴史的な環境条件の違いがあるから やはり違ってくる?)

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noname#194289
noname#194289
回答No.6

いろいろな考え方があると思います。存在するというのが空間に限るかぎり本当の自分は存在していないともいます。存在するとすれば時間的にと言うべきではないかと思います。普通言っている自分というのは自分の体であったり容貌教養財産などのことではないでしょうか。これらはいわば空間的に存在しているものです。

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  • sgm
  • ベストアンサー率60% (375/618)
回答No.5

曹洞宗の僧侶です。 「本当の自分」という概念自体が、後付で他人から「教えられた」ものですから、「自分自身の意思による本当の自分」というものはありません。「本当の自分」は存在しません。 「本当の自分」というものは、今現在の自分自身に対する評価の欠乏感なり忌避感に対処するため「今の私は本当の私ではない」と考えたい、いわば自己の安定化を仮託するための幻影です。

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回答No.4

人間の性質や行動を説明づけるのに、 よく3つの決定論が用いられます。 1.遺伝子的決定論(母親と父親の血のせいだ) 2.心理学的決定論(両親の育て方のせいだ) 3.環境的決定論(上司や妻や社会や仕事内容のせいだ) だいたい何かに言い訳くさい依頼心の強い人間は、この辺の思想が真理であるとでも思っているようですが、人間には自由意志があると仮定するならば、社会の関係性の中でなりたい自分に近づけばいいのではないかと思います。それがいわゆる自分になるでしょう。 完全無欠なオリジナルを探すから見失うのです。社会に対して自分がどういう立場であるかが自分なのです。自由意志の否定や宿業の思い込みは、主体と客体をない交ぜにした、ひいては独我論の世界に至ることになります。そういう思想もありますが、個人と社会との関係性が自分と考えるほうが実践的な思想だと私は思います。 3つの決定論に支配されない自分になろうとした時に、自分がいるではありませんか。『七つの習慣』と現象学の視点からでした。こういう観点から考えたほうが、人生は楽しくなります。(たぶん。

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noname#66269
noname#66269
回答No.3

いや~、「本当の自分」と言うものを見つけようとすることが、哲学の真髄なのではないでしょうか。その意味で、あなたはまさに哲学をしていると思いますよ。 ただ、私の考えでは、「親から受け継いだ遺伝的な性格」と言うものは、さかのぼれば、遥かなる太古に地球上に発生して連綿と続いている生命の息吹であり、「生まれ育った周囲の環境」とは、拡大すれば、全地球の生存環境、さらには135億年彼方の宇宙の脈動とも連なって居るわけで、それらをひっくるめて自分の正体を突き止めようとすることは、まさにこの世界に生存している一個の生命としての冥利に尽きるのではないでしょうか。

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  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.2

これは問答ですか? 「本当の自分とは何か」と問うている存在が本当の自分じゃないでしょうか。 私たちの体は親から遺伝子を半分ずつもらっているらしいです。 だとしたらこの体は「本当の私の体」つまりオリジナルといえるのでしょうか?

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回答No.1

『本当の自分』というものを、『自由意志』もしくは『確固不変な意思』により規定されるもの、と仮定します。 我々は脳でものを考える、という事を前提とした場合、結局脳の活動が『意思』ということになります。 判明している範囲では脳は物理的なものですから、その活動は物理法則に厳密に従うものであり、従って自由意志などというものは存在しないことになります。 自由意志がないなら、確固不変な意思は存在するか、という問題が残りますが、脳が変われば意思はいくらでも変わります。 脳がどのような要因で変わるかは、貴方のおっしゃるように「遺伝」と「環境」によって決まるでしょう。まあ、厳密には遺伝子も環境のうち、という気もしますが。希少な例としては外傷により脳が損傷する事もあります。供給される栄養や、薬物によっても変わりますね。 なのでそれらの要因によって脳が変化しうる以上、確固不変な意思は存在しません。 自由意志がなく、かつ、確固不変な意思が存在しない以上、「本当の自分」なんてものはありません。 ……と思います。

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