締切済み 無になるということ 2007/10/07 21:05 無になるという言い方は矛盾しますか? なるべき対象が無いわけですから、無いものになるというのは変なような気がします。 そう考えると、死んで無になるというのも変ですよね? みんなの回答 (11) 専門家の回答 みんなの回答 ak11 ベストアンサー率33% (7/21) 2007/10/07 21:30 回答No.1 無という「状態」になる。ということではないでしょうか。 質問者 お礼 2007/10/07 22:45 「無」の状態が「ある」ということに違和感を感じませんか? 通報する ありがとう 0 広告を見て他の回答を表示する(0) 12 カテゴリ 学問・教育人文・社会科学哲学・倫理・宗教学 関連するQ&A 無になる、という言い方は矛盾していますか? よくよく考えてみると無になるという言い方は変ですよね? 「なる」べき対象が「ない」のだから。 それとも別の解釈があるのでしょうか。 「無」って何ですか? ビックバンの前は無だったとかどうとかよく聞きますけど、その「無」ってどういう状態なんですか? 例えば、色は白ですか?黒ですか?それとも無なので何色でもないのですか? 時間もなかったみたいなことを言われてますが何の知識もない自分には正直、はっ?となりました(笑) 無とは何ですか?無の存在があるとするなら、もうそれは無ではないような気がします。だって科学で認識できる何かがあるから「無」が知られているんですよね。もちろん無が絶対あるわけではないと思いますが……… 無は何処からやって来るのか 無は人の心から生まれるのである。 無は願望である。 無を願う心が無を生むのである。 色即是空空即是色。 これもまた同類である。 ただの願望に過ぎないのである。 いや無ではなく空であるなどと言い逃れよーとしても無駄である。 無を願う人の心が無を生み、空を生むのである。 なぜ人は無を願うのか。 あらゆるものが無であってほしいと願うのであろーか。 それとも自分だけが無であってほしいと願うのであろーか。 あるいは自分は無ではないが苦しんでいる間だけ無でありたいと願うのであろーか。 しかし有が無になることも、無が有になることも出来ないのである。 それは宇宙の法則が許さないからである。 無を願う人の心が無を生むのであれば、無を願う心がなければ無は生まれないのである。 無を願う心の中以外に無は何処にも存在し得ないのである。 無は願望である。 およそこのよーに結論して十分ではなかろーか。 「無」だったのか? 昔から疑問だったのですが 『混沌でないかどうかよりも、最初「無」だったというのがホントなら何だって「無」のままにしとかなかったんか、ということのほうがフシギ…。』 哲学カテの質疑において私が、このように述べましたところ >『「無」のままにしておくっていうことは「無」が「有る」っていうことですから、それは「有る」ということに他なりません。要するに「有らへん」ということは「有りえない」のです。』 >『ここで言っている「有る、無い」は、机の上にリンゴが「有る、無い」と同じ意味の「有る、無い」じゃないですか?確かに、さっきまで机の上にあったリンゴを食べてしまえば「そのリンゴが無いという状態」が「有り続け」ていますね。でも、その場合は机は有ることが前提だし、譬え机がなかったとしても時空間はあることが前提ですよね。でも、それは本当の「無」ではないように思います。そして疑問は、本当の「無」などというものが本当に「有り得る」のでしょうか?』 このような返事がありました。 このとき自分には何故、机やリンゴという前提を出されなければならないんかという違和感があったのですが結局、最後の 『「無」などというものが本当に「有り得る」のでしょうか?』 という一文が自分の最終的な疑問の前に立ちはだかっているわけです。 物理とか天文学には興味はあれど畑違いの人間です。実際のところ今現在、宇宙発生の前に本来的な意味での「無」ということがあったのかどうかについて、どのあたりまで研究が進んでいるんでしょうか。 噛み砕いた御説明をいただけましたら有り難いです。 《無に還元する》の《無》とは 何でしょう? (あ) 一般的にも 《無》とは 何ですか? (い) 《無に還元する》というときそれは 何のことですか? (う) 還元するのは 誰がそうするのですか? (え) いづれ還元されるようになるときのことを捉えて このいま還元するというようなことを ほかの実験結果などに照らし合わせて 推測するということですか? (お) そうして 特に問い求めたいこととして: 無に還元するのは 《無に還元する》という認識そのものをも無に還元するのですか? (か) すべてを無に還元するのは 誰であって もし人間がそうするのなら そのとき《無に還元している》という認識やその主体である人間 これらをも無に還元するのですか? (き)=(あ)(い) 無とは何ですか? 無を超えた無は存在するのか? 宇宙ってもしかしたら元から無いのでは? ではなくて 宇宙がもし本当に存在しなかったなら 完全無になるのですよね 宇宙も惑星も地球も人類も、生物も物体も空気も 水も火も動物、虫 微生物 菌 風も色も音も心も思念 妄想 記憶、重力 空間 次元とかもう何もかもこのありとあらゆるものが無くなったら無を超えた無になるのでしょうか? でもこれら全てのものが完全消滅して無を超えた無なんて不可能なんですよね 普通の無とは全てが無になった状態ですが 無を超えた無とは全てが無くなってもその全てを存在出来た元の土台となるもうひとつの無という定義ですがそれすら追跡する追随を許さない無を超えた無があるのか?またはどうすれば実現するのか を知りたいです。 私は今無を、超えた無は存在するのか? を突如ひらめいたので質問しましたが 私だけでは分からないので皆さんこの質問に興味が湧いた方ご意見ご感想ご教授等あればよろしくお願いいたします。 無を願う心とは 「今我々が見ている世界は、仮説であって実態ではない。 今我々が生きていることさえ、仮説であって実態ではない。 今我々が見ている世界は、実態ではなく無である。 いや無ではなく空であるかもしれん。」 無を願う心とはおよそこのよーなものである。 しかしそんな彼らとて腹が減れば飯を食わん訳にはいかんのである。 そこで今食っておる飯は無なのか有なのかと考えたりはしないのである。 その時に限っては無を願う心は止まっているである。 彼ら自身それが現実でないことは十分知っているのである。 だから彼らは願っているのであり、そのよーに願う以外他に術を知らないのである。 あらゆるものが無であってほしいと願うのである。 洋の東西を問わずおよそ漬かると必ずこのよーに考えることが分かっているのである。 人の道を逆に向かって歩いているのである。 無を願う心のさきに何が有る。 無になりたい カテゴリーが合ってるか分からないのですが…笑 なんかこう、頭を真っ白にしてゆっくりする方法はないですか? 無!!って感じで 無!!って 私は考え事(妄想?)が大好きらしく、せっかくのゆっくりした時間も無駄に何かしら考えてます その内容がたとえば… 死んだら自分の意識はどこ行っちゃうのかなとか 生まれ変わった時に前世の記憶あった方がもっと色んなことできそうとか ナメクジに塩かけると縮むのは、体内とかけられた体外の塩分の濃度が違うからで、じゃぁ逆に水に浸したら膨張してアニメみたいな巨大ナメクジとかできんのかなとか 中国が攻撃してきたらどう逃げようかなとか お分かりでしょうけど、あんまり…しょうもないことしか考えてないんです 訳の分からないことにエネルギーを使って、考えすぎて寝付けなくなって寝不足とかよくあります こう、無心になってすぅっと眠りたいです ぼーっとして我に返ってみたいです笑 というより、一番はこの訳の分からない考え癖をどうにかしたいのです 考えないっていうのは…うーん、自分でどうにかするしかないのかな 「無」が怖いですか? 「無」が怖くないというのは 良いことですか?悪いことですか? 「無」が怖くない人に宗教は不必要ですか? また、「無」に対する恐怖心の深層心理を説明してください。 お願いします。 【無】って…? ある野球選手の今年の目標?みたいなことが書いてあって、座右の銘?好きな言葉?が・・・・・、 【無】らしいんです。 なんで、【無】なんでしょう? 【無】になにか、強い気持ちが込められているのでしょうか? 詳しい方、回答お願いします。 『無』って? 宇宙誕生の前には「時間も空間もない無」だとか、 宇宙の外も「無」だとか説明されてますが、 よくイメージできません。 「『無』の世界が『有る』」というのも???です。 どなたか、教えてください。 お願いします。 『無』は、その意味の通り存在しない? 私は無という状態も存在しないと思います。 その例を3つ考えました。 例えば、仮に、1立方メートルの『無の空間』があったとして、その『無の空間』に普通のボールを投げ込んだらどうなるか? という事を3つ考えます。 (1)無の空間にボールを投げ込むとボールが消え失せてしまう場合。 これでは、無の空間がボールの存在を打ち消してしまうという、性質を持っていることになり、存在(ボール)を打ち消す力を持つ、という性質を持つ存在(有)になってしまう。 (2)無の空間にボールを投げ込むと、ボールが無の空間の中へ飛んで行き、放物線をかきボールは無の空間の中へ落ち、ボールは存在し続けた場合。 これは、言わずもがな、無の空間ではなく普通の空間である、ボール(存在)を存在させるという性質を持った存在(空間)である。 (3)無の空間にボールを投げつけると、ボールは無の空間に入らず跳ね返ってしまう場合。 これでは、無の空間が物体を跳ね返えす、抵抗力または斥力という性質を持っていることになり、抵抗力という性質を持った存在(有)になってしまう。 結局、無という空間を想定してしまうと、何らかの性質を持たざるを得なくなり、何らかの性質を持った存在になってしまう。 また、『無とは不可知だ』、と言ったところで不可知な性質になってしまい、不可知な性質を持った存在になってしまう、それは不可知な有(存在)である。 また、無という状態というのも、存在を一切存在させないという性質を持った有(存在)になります。 そもそも、無が存在したら矛盾な気もします、無いのに存在すると言うのは。 ということは、つまり、無は存在しないのでしょうか? 無の悟りとは、そもそも無を捨てることだ。 私は実在する仮面ライダー「黒き明星」だ。 初の男子プリキュアでもある。 私は君達に無を知らしめるためここの降臨した。 無を捨ててこそ無を悟れる。 この手の言い回しはありがたい本などによく出てくるブチギレ論理だ。 仏教ではこの手のばか丸出しがありがたい教えであり哲学だと言う事になっているが、 よろしい。 私が教えてあげよう。 無である事こそ人間の全てだと教えられ、無に至る事こそ信仰だと教えられ、そして無を望む。 これだけだと、望みではないのだよ。 誰かから聞いた事を自らの望みだと解釈しているだけだ。 この場合、自らが無の結論に至り、無を望む、自分自身の願いではない。 誰か他者が望んだ事を、自分も望むと言う事は、それ自体が欲望だ。 たぶんうらやましいんだろうよ。 心当たりはないかい? 無の悟りは何か知らないと言う事なら、無の悟りを理解していないのだよ。 そして来世に期待しないかい。 それだけなら無の教えは聞き流しただけで、無を望んでいないのだよ。 今日はここら辺でやめとこう。 研究のために、正義を名乗る悪の勇者を募集しています。 無を求める心は何処からやって来るのか 無の境地を求める仏教徒がいるとゆー。 悟りを開き無の境地に至るためだとゆー。 なぜ彼は無を求めるのか。 人は死ねば無になるではないか。 無を求めずともそのうち自然に無になるではないか。 なぜ今無を求める必要があろー。 無を求める者が飯を食うのは何故か。 飯は無なのか、有なのか。 飯を食うのは生きるためではないのか。 すると生きることは無を求めることなのか。 果たして無を求める者はその答えを備えているのか。 もし無を求めるのであれば何も要らないのではないか。 無を求めるものがお経など唱えてどーするのか。 無の悟り、無の境地とはなんですか。 基本的な事を確認しておきます。 無の悟りとは、あなたにとって何ですか。 何故無を悟ろうと志すのですか。 無の境地とはあなたにとって何ですか。 何故無の境地にいたろうと志すのですか。 私が考えるにそれがいいことだと誰かから教わったからじゃないですか。 ちなみに私は無の悟りに至った自称仮面ライダーです。世の中に対しては自称弥勒菩薩と言った方が受けがいい。 そんな私が元々願っていたことは人間になる事でした、無を悟る事でも仏になる事でも無かった。 でもそれが正解で、自己を自覚してこそ仏なのです。 お釈迦様を見習ってまねをすることは、自分らしくないのです。 それはともかく「無の望み」とはどのような経緯であなた方の場合望んでいるのでしょうか。 『無』への認識は如何して可能になるの? 『有』の存在が失われる事態への認識が具体的に想像され得るのに対しまして、元から認識客体が存在していない場合には、失われる対象の具体化が封じられていている訳ですので、誕生する前の認識客体の起源は認識され得ない筈なのにも関わらず、例えば宇宙の膨張の可能性が判明した途端に、始まりの『存在』が有り得る、と安易に判断なさって、今の科学者の方々が研究を進められていらっしゃるのだ、と思われますが、存在の前の『無』を如何して認識しているのでしょうか? 「無」の境地 こんにちは。 「無」の境地に至ってしまうと「感動」することもなくなってしまうのでしょうか? もしそうならばとても悲しく・不幸なことのような気が致します。 悟りを開くと悪いことだけでなく、良いことも失われてしまうような気が致します。 無は一つの宇宙である 人は死ねば無になる。 人であれ何であれ無はあらゆるものを吸い込み無にしてしまう。 一度無になると二度と無から抜け出ることは出来ないのである。 そんな無は一つの宇宙を構成していると言えるか。 無についての問答 無についての問答 「人の道」:人は死んだら消滅し無になる。 問う人: では無の世界に光は有るか。 「人の道」: 無の世界に光は無い。なぜなら無の世界には目ちゅーもんが無いんや。 問う人: 無の世界に音は有るか。 「人の道」: 無の世界に音は無い。なぜなら無の世界には耳ちゅーもんが無いんや。 問う人: 無の世界に匂いや香りは有るか。 「人の道」: 無の世界に匂いや香りは無い。なぜなら無の世界には鼻ちゅーもんが無いんや。 問う人: 無の世界に味は有るか。 「人の道」: 無の世界に味は無い。なぜなら無の世界には口ちゅーもんが無いんや。 問う人: 無の世界に風は有るか。 「人の道」: 無の世界に風は無い。なぜなら無の世界には肌ちゅーもんが無いんや。 問う人: 無の世界に熱い寒いは有るか。 「人の道」: 無の世界に熱い寒いは無い。なぜなら無の世界には神経ちゅーもんが無いんや。 問う人: 無の世界に喜びや悲しみは有るか。 「人の道」: 無の世界に喜びや悲しみは無い。なぜなら無の世界には心ちゅーもんが無いんや。 問う人: では無の世界には何が有る。 「人の道」: 無の世界には何もない。なぜなら無の世界は無の世界やからや。 「人の道」: どうや、これで無が何かよー分かったろう。 問う人: はい、よー分かりました。 「人の道」: では人が死んだらどうなるかも分かったか。 問う人: はい、よー分かりました。人は死んだら消滅し無になるんや。 「人の道」: 何か不満はあるか。 問う人: いや、何も不満は無い。人は死んだら消滅し無になる。これで上等や。 「人の道」: 皆にも聞く。人は死んだら消滅し無になるちゅーこと、よー分かったな。 虚数は 絶対無なのか? 特定の対象が喪失された際に、(それの不在との比較によって)相対的に其の【存在】が気付かれる、という場合もが有り、そういう遣り方で【存在】を気付かせてくれ得る【無】のことが『相対無』と呼ばれているのだろう、と思われます。 そして、それに対し、たとえ間接的に現実と関わっていましても、喪失の行為者の存在さえもが認識され得ない【虚数】の様な概念は、『不可欠』でありながらも其の儘の姿を具体的に可視化させてくれ得ませんね。従いまして、「それ等の諸概念は【不在】の状態に留まっている」と見做されなくとも構わないのでしょう。 そこで、伺います。 「【虚数】やらNULLやらの領域は、『絶対無』の世界に属しているのでしょうか?」 注目のQ&A 「前置詞」が入った曲といえば? 緊急性のない救急車の利用は罪になるの? 助手席で寝ると怒る運転手 世界がEV車に全部切り替えてしまうなら ハズキルーペのCMって…。 全て黒の5色ペンが、欲しいです 長距離だったりしても 老人ホームが自分の住所になるのか? 彼氏と付き合って2日目で別れを告げられショックです 店長のチクチク言葉の対処法 カテゴリ 学問・教育 人文・社会科学 考古学・人類学文学・古典歴史経済学・経営学心理学・社会学地理学美術音楽哲学・倫理・宗教学その他(人文・社会科学) カテゴリ一覧を見る あなたにピッタリな商品が見つかる! 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