- 締切済み
中国思想、儒学についての質問です。(革命論)
儒家の孟子は、易姓革命論という理論により、王朝交代を正当化していたと聞きます。 しかし、私が参考書で調べたところ、儒学は「世の秩序を乱す最大のもの=反乱を絶対にあってはならないものとする」「この世の秩序を乱すことを忌み嫌う」とし、為政者に好都合であり、中国のほとんどの王朝の政治思想として採用された・・・。とありました。 これは矛盾しているように思えます。どなたか回答をお願いします。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
てんはてん 部分をもたない 無限遠にてんは ある? ない?
天は太極 太極より陰陽が生ずる 陰陽の混沌より国産みが 民意を離れた天子はない 社稷を離れようとする民であっても天子はその民と共にある 民意とはいえ自らの意志で社稷を離れる民に沿うことは天の意志か 天子はそれでも民を離れてその存在はない 極まれば変ずは 易のしめすところ 天の意志からか 外延の民意からか 呼応するかのように 外延の社稷の再構築の動きも静かに起こる 革命は天子と民意対為政者の間にズレがあり民が苦しみ民が望めば否定するところのものではない。
孟子・儒学の全体像について知らないのですが まして中国思想についてわからないままですが 孟子に次のような文章があったとは 思いました。参考になりますれば。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 人民がもっとも重要で 土地の神と穀物の神である社稷はこれに次ぎ 君主はもっとも軽い。 だから衆民の人望を得ると天子になり 天子のお気に入ると諸侯になり 諸侯のお気に入ると太夫になる。 諸侯が社稷つまり国家を危機に陥れると 退位させられる。肥え太った獣を犠牲とし 清浄なお供えをささげ決まった時期に祭祀しているのに 干害・水害がおこったならば 社稷の神自体を新しい神に変える。 (孟子 尽心章句・下 貝塚茂樹訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
乾坤の織りなす融通無碍の変化の中にあって 失われそうになるものに対して それを取り戻し調和するように天は働きかける。 主とか亜とかではなく 時代を反映した 同じものの現れなのである。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
孟子は北宋時代まで亜流です。 現代の認識では、孔子=>孟子=>朱子が儒教のメインストリームと思われていますが、朱子がメインになったのは中国でも学問的には宋代、明代です。朱子によって称揚された孟子も同様な位置づけになります。 北宋前の主流は四書五経の中で五経がメイン。 南宋の朱子によって四書の中に孟子が入れられたわけです。 なので、五経中心の儒教を王朝の政治思想として採用することに何の問題もありません。 では、南宋以降は? 元は、儒教を気にしていません。 明は儒教重視。これには、朱子の持つ中華民族主義がうまい具合にマッチ。なぜならば異民族国家元を倒した国家が明であるから。 では、次の清は? 実はうまい具合に、明を倒したのが清ではなく、順(李自成の乱)であることが論理的破綻を産まない仕掛けになっています。 明を倒した順を倒して、中華の世界に秩序を取り戻した。 ということになっております。 そして、清代では、孔子の時代に戻れ!という流れです。現実に中華帝国明がぶっつぶれたという事実の前で思想転換です。 孟子はまた亜流になりました。
お礼
回答、真に有難うございます。 私の質問の内容への回答として解釈させて頂きます。 要は、孟子の考えは儒学の内の一端に過ぎず、儒学の中でもそれぞれの王朝の政治思想に合う考えを持った思想家の考えが取り入れられたということでしょうか。その思想家達の大筋の考えが、現在の儒学の定義となっている、という解釈をさせてもらいます。
天はもとより 天のものである。
お礼
回答有難うございます。 No.1でもおっしゃっていましたが、そもそもhenokuappaさんの考える「天」とはなんなのでしょうか? 私は今だ至らぬ者ですので、貴方が考える「天」と私が質問している矛盾点(そもそも矛盾しているのかすら疑問なのですが)との関係性が解りません。 もっと具体的に説明して下されば、とても助かります。
道は天に通ず。
お礼
アドバイス、真に有難うございます。 参考にさせて頂きます。