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自分の価値を問うことのバカらしさ

私にとって私という代替の効かないものの価値を問うことは、宇宙の価値を問うのと同じではないでしょうか。価値がある、ない、と言ってみても意味がないと思うのです。 また、価値を問うのは意味を問うのと等価のようです。自分の価値は生きる意味に通じているようです。しかし、意味がある、ないといっても仕方が無いと思います。 うまく説明できないのですが、なにか全くとんちんかんな問いであるように感じます。まるで分度器で温度を測るような具合です。宇宙の、自分の、命の、人生の・・・価値観という尺度で計るのはとんでもない間違いじゃないでしょうか。

みんなの回答

noname#194289
noname#194289
回答No.1

あなたが求めておられるのは同意か反論かなのでしょうか。私は人生の価値を考えること自体が無意味だとは思いませんが、そのこととその問いに答えが出るかでないかは別のことだと思っています。分度器と温度の例で言えば温度計に相当するものがあるかないかということになると思いますが、あなたは温度計はないはずであるとおっしゃっているように思います。いろいろな意味で自分の価値は誰でも悩まされる問題だと思うので、問題そのものが無意味だと言われてしまうと私も含めて困る人は多いように思うのですが・・・。

shift-2007
質問者

お礼

そうですね、困るという気持ちも分ります。 ただ、価値があるといっているうちはいいのですが、無いとなるとこれもまた困ったことになりますのでいっそのこと・・・ ご回答ありがとうございました。

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