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自分の子供に特異な価値観を押し付けるというのは・・・
ふと、思ったのですが、ベジタリアンの夫婦は、自分の子供にも菜食主義で教育するのでしょうか? そう疑問を投げかける前に、きっと、そうなるでしょうね・・きっと・・。 しかし、その場合、僕としては、何だか押し付けがましいというか、生まれた瞬間から、肉を受け付けない人生を強引に受け入れさせられているみたいで、何だか酷な気がします。 それに、小学校での給食などでも、違うメニューもしくは、肉抜きの食事を与えられると思うし、そうなれば、間違いなく、同級生には奇異な存在と受け止められ、イジメの対象となることも容易に想像できます。 これは、宗教にもいえることだと思いますが、両親が世間一般では特異な価値観を持ち合わせているため、その子供たちが、親の犠牲になっているような・・・。 きっと、それはベジタリアンや敬虔な信仰を持った信者の方々には、全くを持って無礼千万な意見かとも思いますが、私には、身勝手で独善的な価値観を強引に自分の子供に押し付けているだけのようにしか受け取れないのです。 ですから、例えば、ベジタリアンの夫婦がいたとしても、 その子供に菜食主義を強要するのも、敬虔なクリスチャンが、押さない子供に信仰を強引に押し付けるのも、間違いなのでは、そう思っています。 さて、現実的に、夫婦であるいは、家族単位で、菜食主義や敬虔な信仰に励んでおられる方々の実態というのは、 どういうものなのか、お聞かせ願えませんか?
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論点を二つに分けますね。 1、身勝手で独善的に、強引に子どもに価値観を押し付けることは正しいか 2、地域一般で『変』だと受け取られる価値観を教える親がいていいのか 1について まったく何の問題もないと思います。 普段何も疑問に思わない常識という名の共同幻想は、親や知人に押し付けられ、植え付けられたものです。それに反する行動をした子どもは怒られるわけですから、強制的に植えつけられた観念ですよね、常識って。そして強制的に常識を受け付けてもらえなかった子は社会に適応できず殺人とかするわけですから。生まれてすぐの子どもは自分で自分の価値観を選択する能力を持ちませんし、親が価値観を押し付けるのは仕方ないことであり、かつ、当たり前のことだと考えます。 2について 『両親が世間一般では特異な価値観を持ち合わせている場合、その子供たちが、親の犠牲になる』 事実だと思います。日本に限定した話をしますが、特定の宗教を敬虔に信じる人や菜食主義の方は奇異な存在と見られることが多いように思います。すると確かにそういった家庭の子どもは奇異な存在としていじめられる可能性を持っていると思います。 mzuka0914さんの意見は「こういう親はだめ」という主張ですから、これを「逆にこういう親はよい」って主張に直すと、 「自分の住む地域の『常識』を研究して、自分とは異なる価値観があれば自分の信念を曲げて『普通』の価値観を教え込む親」もしくは「自分の考え方が『普通』になるような地域を探して、そこ以外にはすまないようにする親」がいい親だとなっちゃいます。 ですが、世間と違う価値観を持つ親ってのは自分が世間と違う価値観を持ってることくらいは自覚していると思います。そして知った上で、世間の価値観よりも自分の信じる価値観のほうが正しいと考えているわけです。すると親は自分と違う価値観は教えられないんじゃないでしょうか。そして100%自分の価値観が受け入れられる場所ってのもまぁないでしょう。ひとつめの主義は受け入れてもらえたけど、二つ目の主義がうけいれられないなんてことはよくあると思います。すると「いい親」ってのが本当に存在できるんでしょうか? 僕が持つ結論は、「幼い子どもに世間一般と異なる価値観を押し付けることは、不幸なことになることがあるけど仕方のないことであり、子どもが可哀想だけどどうしようもない」です。救われない考え方ですけど、現実にはそんなもんじゃないんでしょうか。 付け加えておくと、多くの『変な家の子』はそれほど苦痛を感じてないと思いますし、逆にいじめられてしまった子は、親が自分の主張を捻じ曲げて解決するのではなく、多様な価値観を認める教育を学校側に要求するほうが現実的な解決策ではないでしょうか。
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- momonokoji
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わたしは家がキリスト教で、幼児洗礼を受けたので、“宗教を押しつけられた”立場です。 カトリックなので、奇矯な行為を強制されるようなことはありませんでしたが^^;、キリスト教だと言うとちょっと違う目で見られたり、子供の頃は「アーメンソーメン」とか、からかわれたこともあります。 で、どうだったかというと、他人の反応はあんまり気にならないんですね。「珍しいんだからしょうがないよね」って感じで。 感覚としては、自分のファッションについて何か言われるのと同じかな~。 わたしにも、「なんでキリスト教じゃないといけないんだろう?」っていう疑問を抱いた時期がありました。 で、他の宗教に興味を持って、あれこれ本を読んだりしましたが、“キリスト教以外の宗教でないといけない理由”や“宗教を否定する理由”がみつからなかったので、「ま、いいか」という感じで今に至っています^^;。 わたしとしては、親から宗教を“押しつけられた”ではなくて、“受け継いだ”という感覚なんです。 人と違うということは必ずしもマイナスではなくて、自己と他者を見つめる良い機会になったと思いますし、ひとつの宗教とそれに付属する文化を深く知ることができたのはプラスだったと思っています。 また、#1の方も書いておられますが、世界の大部分の国では、宗教を持っていることが大前提だったりしますし、国民のほとんどが特定の宗教を信仰している場合があります。 つまり、親が子供に宗教を教えないことがおかしい、という価値観もあるわけです。 菜食主義の方が尊重される国だってあります。 どの親も、何かしらのポリシーを持って子育てをすると思うんですが、そのポリシーの根幹を成すものが宗教であったり主義であったり、っていうのは自然な流れだと思います。 極端な話、ポリシーが“他人を踏みつけにしてでも金を稼ぐ”ってな親だっていないとは限りません。そういう親と、菜食主義の親と、どっちがいいか?っていう話にもなると思うんですよ^^;。 子供が親の宗教や主義から受ける影響(メリット・デメリット含めて)は否定できませんが、大きくなれば取捨選択できるし、親の人格の方が、もっともっと大きな影響を及ぼすのでは?というのがわたしの考えです。
知人の友人(私の友人ではなく)にまったくそれに該当する親がいます。 徹底した菜食で子供四人もその食事です。本人はマクロビオテックという日本よりヨーロッパ・アメリカで認知されている菜食主義の理論を取り入れていて、とうとうその協会のデザート(ケーキとか)の教師になっています。出産も自然分娩でそのつど懇意にしている屋久島の助産婦さんのとこに家族全員で行きます。学校にいっている子供はその間学校は休ませてました。父親はフリーの仕事です。 子供の給食は事情(=主義)を学校側に説明してお弁当です。子供に対するいじめはないように聞いていますが、都内の区立で先生や学校側の対応もよいのでしょう。本人の説明や対処がいいのかもしれません。あるいはささやかな程度で子供が黙っているのかもしれません。 子供たちはごくふつうで素直な子供です。しかし私の目には本当にのびのびとしているように思えなかったですね。 どんな人生を送るか想像も出来ないくらいの可能性、というものは感じられません。 体格も親が小柄なせいもありますが、華奢で硬くしまってる感じです。 親と子の縁だからそれぞれ深層では確たる結びつきがあるのでしょうが、子供が大きくなるにつれこの強烈な親から受けた影響を払拭して彼・彼女なりの人生を獲得するのは大変な遠回りであろう、と見ています。 しかしそのことも含めてこの親を選んで生まれてきたのだろう、と思ったりもします。 そもそも他人が口出ししてもせん無いことなので、私は彼女には何も言ったことはありませんが、彼女を知る回りのもの同士ではなにかにつけ会話に登りましたよ。 随分あってないのですが子供たちはどんな成長をしてるかな~。
こんにちは 子供はある程度の年齢まで、親が保護して教育するのだから、 絶対とは言いませんが、おやの価値観で そのこどもの教育環境を作るのは いけない事とは言えないと思います。 自由な年齢に成ってからでもいくらでも選べると思いますし。 私の子供は、神社で お宮参りし、メソジストの幼稚園へ いき、引越で カトリックの幼稚園へ行き、お寺にも法事で行きます。 えびすさんの前を通る度、「今日はあれ食べました、これして遊びました、妹のかぜをなおしてください、よろしく」なんてお参り〈お祈り?〉してます。 これも 「信仰をごちゃ混ぜにするなんて、アイデンティティーに悪影響」という人がいれば、けしからんことかもしれません。 アメリカに少しすんでいましたが、自分の行き付けの教会がある人でも、子供は別の教会付属の幼稚園にいれたりしてましたよ。 赤ちゃんにもクラッカーやフライドポテトを食べさせるし、風邪をひいた時は 7Upという炭酸飲料を飲ませ、高熱の時は水風呂につけるそうです。日本ジンから見たらけしからんことでも、彼らは子供によかれとおもい、愛情を持ってやっていることですし、 ベジタリアンも同様ではないでしょうか。 お金儲けの宗教を いやがる親戚や知人に 強引に布教するのと 子供が親の選ぶ環境にいるということとは、少し、 話が別だと思います。 もし興味がおありなら、アーミッシュ宗教などいかがでしょう、彼らは厳しい決まりのもとで、自給自足の生活をし、馬車で生活しているそうです、アーミッシュの子供たちがおやに反発する様子、価値観に疑問を持つ様子を描いた本があります。
ベジタリアンといっても、動物性たんぱく質を全く取らない人から、牛乳、タマゴはOKな人、魚もOKな人と、段階があるらしいですね。 菜食主義は60年代アメリカで流行りましたが、実際問題として、今、日本に完全なベジタリアンが何人位いるんでしょう?。 > 敬虔なクリスチャンが、押さない子供に信仰を強引に押し付けるのも、間違いなのでは、 う~ん・・・ そうかもしれないけど、それでは、ここがイスラエルだったらどうでしょう? 別の国でもかまいません。 信仰は普通の事ですよね。 mzuka0914さんは日本人でしょうか? 神社に初詣に行き、仏壇に手を合わせ、お葬式で焼香するのは押し付けられた価値観とお思いですか? 日本では少数でも、海外ではそれが普通な場合もありますよ。 同じような考え、価値観の人だけだったら、世の中が間違った方向に進むかもしれません。 人間は、いろんな人がいるから良いんです。 そうそう、 > 肉抜きの食事を与えられると思うし、そうなれば、間違いなく、同級生には奇異な存在と受け止められ、イジメの対象となることも容易に想像できます。 事情は違うけど、小学校のとき、アレルギーか何かで食事制限のある同級生が居ました。 しかし、彼をいじめるような人は誰も居ませんでしたよ。 自分と違う人を、違うからという理由だけでいじめるような事があれば、そちらのほうが悪い事でしょう。 人間は、周りの人と違っていても構わないんです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私は日本人ですが、神社への参拝や、お葬式などは、 信仰に関係なく、もはや、慣習や慣例などとして、当たり前のように認知されていますから、それ自体はこの日本の 社会で生きていく上では逆に必要不可欠だと思います。 質問に上げたのは、人から、特異に上げられること・・・、例えば、街頭で集団で並んで、この世のあらゆる物質主義を否定し、堕落しきった世の中にはいつか天罰が下るとか、真顔で叫んでいるような、狂信的な振る舞いを、自分がたちがそうだからと言って、その子供たちにも無理やり させようとしたり、などです。 あと、給食に関しても、アレルギーと、菜食主義は全く別問題ではないでしょうか? アレルギーは病気と認知し、周囲に同情を含めた理解を求めることができるかもしれませんが、野菜しか食べないという、主義主張は、精神的に未発達な子供たちにはただの身勝手としか受け入れてもらえないのではないでしょうか? 勿論、いじめる側の方が悪いですよ。しかし、子供のいじめの発端となるのは差別と偏見ですし、私には、野菜しか食べない、という子供の主張は、それに十分、該当すると思いますが・・。