- 締切済み
自分は誰でいいのか分からない。
人付き合いが苦手な人生でした。 親の望む子供でいないといけないと、被害者意識を感じて育ち、 社会人になるにあたって、これではいけない!と思って 苦手な接客のアルバイトをして、一番就きたくなかった営業の仕事に就きました。 口下手を上司に指摘され、話し方の教室にも通いました。 表を取り繕う能力がついたら人の対応が変わりました。 同時に今までの自分にいかに価値がなかったかも知りました。 誰かにならなきゃ意味がないと10年走ってきましたが、 30歳になったら自分が何者なのか分からなくなりました。 何をしたくて生きているのかが分からなくなりました。 取り繕えば褒められる機会が増えてそれだけにすがりました。 でも、結局自分が望むような人間関係は得られませんでした。 ボロが出たり、本当の無価値な自分を知られるのが嫌で隠しました。 自分は何になればよかったのだろう、何になりたかったのだろう。 何かが変わると信じて走ってきた10年の軽薄さに愕然とします。 自分は誰になればいいのだろうと考えます。 誰かになろうとしたから自分に価値が出た、でも続けても幸せになれない。 でも、今も昔も変わらない無価値な自分に戻る勇気もない。 手の平を返した周りの対応からも素の時分に価値がないのは明らかです。 誰かにならなければ必要とされない、そう思います。 でも、それでは幸せになれず年々苦しくなることにも気付きます。 でも、本当の自分の無価値さも嫌というほど思い知っています。 カウンセリングにも通いましたが、どこかで「こんなはずじゃなかった」 そう思っている自分がいます・・・自分のままでいいよ!と言う人がいますが 自分のままでは価値がなかった、見向きもされなかったから 誰かになったから価値ができたけど、年々無理が利かなくなってきます。 自分らしくてもいいって何でしょうか?自分らしくいたら誰にも相手にされません。
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過去の回答者さんの色々な御意見・御回答や貴方のお礼内容を拝見してきて、ようやく気付きました。 結局、貴方は、誰が何を言ってくれても、『本当に、私は、無価値な人間だ。』と揺るがないものがあって、『自らの無価値観』を肯定してくれない人に対しては、次から次へと何らかの反論をすることによって、最終的に『やっぱり、私は無価値な人間なんだ。』という結論へと導こうとなさるのでしょうね。 この相談室で、『御自分の無価値観』『何だかんだ言っても、やっぱり私は無価値な人間なんです。』と他の人に認識させたり、色々と反論・言い訳することによって自己満足しているように見えます。 回答者さんに対して、真剣に相談しているようにも見えますが、結局、絡んでいるだけとしか思えません。 あなたの『こころ』が、『固い氷のように冷え固まっている』せいかもしれませんが、本当に残念に思います。
≫『自分らしくいたら誰にも相手にされません。』という点について このように受け止めてしまうのには、必ず、原因があるはずです。 過去(10代前後~20代の頃)に、自分なりに考えて行動していたら、誰か(幼い頃は両親)に、あなたの物事の考え方・生き方を否定されたり、自分を押し殺してまで人の期待に沿わないと咎められたり、プレッシャーを感じさせられたという経験はありませんか? あなたが無意識のうち、「自分の感情は抑圧してでも、人の期待に応えるべき。」と、続けてしまった積み重ねで、過度に自己否定してしまう傾向が強くなってしまったよう思えるのですが。 ≫『年々無理が利かなくなってきます。』について これまで、長期間、『良い子』『良い人』を演じ続けてきた結果、精神的に限界を超えてしまったのでしょうね。それは、無理な生き方を続けてきたことで、今のあなたにとっては無意識だと思いますが、『本来の貴方自身』が、悲鳴を上げているからだと思いますよ。 ≫『誰かになろうとしたから自分に価値が出た、でも続けても幸せになれない。』 ≫『30歳になったら自分が何者なのか分からなくなりました。』について 「あなたが、見本にしたいと思うような『人』のまね」をしてみても、結局は『人の一部分のコピー』でしかありませんので、「まねをした人」と同じように幸福感や満足感を得るのは、到底無理なことです。 『人のコピー』になろうとするには、あなたが『白紙のコピー用紙』状態になる必要がありますので、やはり、『貴方自身』というものが次第に無くなってしまうというのも仕方の無いことですよ。
- rewon
- ベストアンサー率28% (46/162)
見向きもされなかった自分は無価値…不思議な価値観ですね。 構ってもらえたら多少は価値があると? 自分の価値を他人に委ねるその姿勢が問題な気がします。 ただ単に愛が欲しいだけ? ただひたすら、自分の感情や行動を見つめましょう。 自分がどういうものなのか、知るのです。 その際、一切の判断は無用です。 クヨクヨする自分を黙って見つめるだけです。 クヨクヨしているからダメだ、治さなきゃ、などは不要です。 まずは、自分がどういう生き物なのか、知りましょう。
お礼
実際に価値がある人は人にも好かれますよね、実際は。 他人にメリットを与えられない以上は他人にとっては価値のない 人間なんでしょうね。 でも、そうなることが自分の価値なのかと思うと苦しく感じます。 自分はやはり弱い人間だなとは思います。
- Lilyrosa
- ベストアンサー率57% (65/113)
私も以前は似たような悩みがあったなぁ… 自分との戦いだと思いますよ。 自分の価値を他人に求めてしまう限り、あなたの価値は他人からの評価によって変わってしまう事になります。 でも、あなた自身の本当の価値は誰がどう評価しようと何も変わらないんです。他人にあなたはダメな人間だと言われたからって、あなたの何が変わるかと言ったら実際には何も変わらないんです。 変わるとすれば、自信を失うぐらいかな。 ですが、自分にしっかりと芯があれば他人の評価でぐらつく事はなくなってくるんです。 実際には難しいし、落ち込んだりもするし他人の評価も気になります。 でも、他人の評価で自分の価値は決まりません。 自分が誰でいいのかわからないのは、自己肯定感が低いのでしょうね。 私も以前は自分は今のままではダメだと自己否定ばかりして、自分を変えようとしていた時期がありました。それが向上心だとも思っていました。でも違ったのかなぁと。 今のままの自分ではダメだから変わろうとする事で、自分を否定し自己嫌悪のスパイラルにはまってしまいました。 (1)自分はダメだと思い (2)変わろうとすると (3)自己否定する事になり (4)自己嫌悪し (5)自分が嫌になり (6)自己肯定感が低くなる という事に気付きました。 頑張りがプラスになるどころか、マイナスになっていたのです。 そこから考え方を改める努力をしました。 (1)自分はダメだと思わない努力をし (2)変わろうとする事もやめ (3)自己否定しなくなり (4)自己嫌悪する事も減り (5)自分が嫌になる事も減って (6)自己肯定感が以前より高くなりました 質問者さんの場合も、頑張りすぎなのでは? その成果として >取り繕えば褒められる機会が増えて こうなったけど、でも結局無理していただけだから >それだけにすがりました。 となって、その虚しさや、 褒められても無理していただけだから >でも、結局自分が望むような人間関係は 得られませんでした。 という結果になりさらに自信を失ったのでしょうか。 自分の評価は自分て決めるようにできないと、一生他人の評価にビクビクして変わらなければならない気の休まらない疲れる人生になってしまいますよ。 質問者さんに必要なのは、自己肯定感てはないでしょうか。 これか低いと何をしても自分を認められず、自分はダメだと自己否定ばかりしてしまいます。 親の話が書いてあったので、アダルトチルドレンにあたるのでしょうか。 親の望む子供を演じていた事で、本当の自分を出す事ぎ学べなかったのかもしれませんね。 あなたはあなたが生きやすくあっていいんですよ。 誰が何と言おうとあなたはあなたでいいんです。 ダメでもいいんです。 全部、あなたはあなたでいいんです。 アダルトチルドレンやインナーチャイルドが参考になるかもしれませんね。 気になりましたら調べてみて下さい。 きっと、質問者さんの悩みの参考になるのではないかなぁと思います。 無価値だと決めているのはきっと、回りではなく質問者さん自身なのではないですか? 頑張って!
お礼
自己肯定感という言葉とは無縁の人生かもしれませんね。 昔からみんなと同じになりたいと思って生きてきましたが、 それがこんなにも難しいことだと気付くのに時間が掛かりました。 本当に価値があったら、やはり周りも認めてくれるんだと思います。 そうじゃないのはやっぱり価値が足りないんだなと感じます。 やはり価値のある人は好かれますよね。 自分の価値を自分の中に見出すのが何よりも難しいです。
- okei49
- ベストアンサー率48% (72/147)
本来の自分を隠したままでは、お望みのような素晴らしい人間関係は築けないでしょう。 でも何も、全て元の自分に戻す必要はないのではないでしょうか? オン・オフの切り替えの上手な人を目指してはいかがですか? オンの仕事中は取り繕った自分(お給料をいただくのですから価値がないと)、オフの休暇や余暇は自然体の自分で趣味に打ち込む。 切り替えポイントをつけることで、人生全てを悩まずに済みます。 質問者さんが悩まれているのは、小さな子どもの心を抱えたオフの時のご自分ということになります。 何がしたいか分からないなら、手当たり次第やってみるのも手です。 楽しいと思えることを探してみて下さい。 誰かと一緒じゃないといけない訳じゃありません。自分独りで楽しんだっていいじゃないですか。 ゆっくり探してまいりましょう。 まずは、ご自分を『がんばってきたね』と認めてあげて欲しい。 オンのお仕事をする上では、決して無駄な10年ではなかったはずです。これからも生かしてがんばって欲しい。 オフの自分探しの旅を楽しみましょう。 まだ発見出来ていない自分がいるだけのこと。 これから見つけていけばいいのです。 私は『自分本来の価値は自分でみつけるもの』だと思っています。 他人の評価ばかりを気にしていたら、大切な自分を見失ってしまいますよ。 『自分らしい』とは。 私の場合、好きなことをしてる時の自分がそうかな、と思います。 好きなことを見つけて、楽しんでいれば。 幸せはすぐそこにありますよ。
お礼
自分の価値は自分で見つける、難しいですね。 素晴らしい人であれば、自分の価値は人も認めてくれるから。 そうなじゃない人間はやっぱり探すのが難しいのですね。
苦しくて落ち込むとき、貴方のように感じるのは分かっています。 でも、貴方は無価値ではない。本当の貴方にはちゃんと価値がある。 10年間作り上げてきた努力、身につけたモノにも価値がある。 この価値は1人1人の人間がそれぞれ自分らしさを主張するオンリーワンの価値。 社会が会社が要求するのは貴方が利益を生み出せるように改造した商品の価値。 何百万人もの同世代の人たちが競争で身につけさせられた商品価値。皆同じ。 インドや東南アジアに行くとオンリーワンの価値は立派な値打ちで自信つく。 日本で評価されるのは商品としての価値だから生きるのが下手な人は苦しむ。 でもね。この日本でも、1人1人のオンリーワン価値を認めてくれる人いるよ。 いつどこでそんな人と出会えるか分からないから、自分を無価値だと言わずに しっかり色々学んで成長し、価値を磨こう。そして生きるためにスキルもいる。 ま、自転車の運転をおぼえたようなもの。下手でいい。でも学んで上手になろう。 頑張ってね。
お礼
社会に出れば、自分で良いという価値観ほど無駄なものは ありませんでしたね・・・誰かになればなるほど評価される。 やっぱり価値がないと生き辛い世の中ですね。
あなたが、今までに出会った 「あの人の人生楽しそうだな」と思える人を 内面まで良く観察して、良い所取りすれば、良いと思います。 内面までしっかり見てたら、ボロがでてます。 でも何かで大抵フォローしてます。 その辺もしっかり盗みます。 でもそれができたら、皆苦労していないんですよね。 まずは、ポジティブに考え、隙あらば、人間力を盗む。 というカンジで動いては、どうでしょうか?
お礼
欠点があっても許される人って確かにいますね。 自分はその真逆な人間なので辛かったです。 価値を増やさないと、欠点は覆い隠せないのですね。
- siriai
- ベストアンサー率23% (50/213)
あなたはどちらかを諦める道しか残っていません ・元の自分に戻り、今の苦痛から開放される ・このまま生き、昔の苦痛から逃げる どちらがいいでしょうか? 両方とも苦しいのは十二分に分かります でも、他に何の道があるか? 一つだけ、ともに逃れる術があります !元の自分を認めてくれる人を求める これは今までのあなたにとったらとても難しいことだと思います しかし、最良の救済はこの道にあると思います あなたの好きなように、あなたがしたいようにすればいい ただそれだけです 忘れてはいけないのは、何かを求めると言うことは今あるなにかを犠牲にすると言うことです あなたは新しい人生を歩むために今あるものを捨てなければいけません 苦しいし、不安でしょう その先にある光明を求めて、進む勇気が今試されています ご健闘を祈ります
お礼
進む勇気、何でしょうか。 元の自分を認めてくれる人・・・確かに棘中の棘の道ですね。 そういう人を探すのがどれだけ難しいことか知っています。
- yoshi20a
- ベストアンサー率20% (470/2291)
どんなに誰かになろうと望んでも、誰かにはなれません。 あくまで、上手く繕う技術を身に付けたあなたです。 人付き合いがヘタだったあなたも、あなたです。 「何者かわからない」ではなく、あなたです。 自分を見つけたいのなら、真っ向から他人と面と向かうことです。 「上手く繕う」のではなく、きちんとした人間関係を築くことです。 価値は他人が認めて初めて存在しうるものです。 そもそも、「自分に価値がない」という考えを捨ててください。 私自身も、自分の価値なんてわかりませんし、どうでもいいと思ってます。
お礼
取り繕わないと、相手の視界にすら入りません。 真っ向から行ったところで相手にされないから、 自分にはその道を選ぶしかありませんでした。 自分の価値は他人が認めるものだと云うならば、 取り繕わないことには誰も認めてはくれないですよ・・・
お礼
見本にしたい人=人に好かれる人だとしたら、 本当に自分はそうなりたいのかと思うと疑問です。 他人の芝生はいつだって青く見えるのが不思議です。