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旧制高等学校寮歌
名曲・名歌詞とはいえ古く、多少食傷のかたもいらっしゃるかも知れませんが、『石を懐きて野にうとう・・・』の文言がある寮歌は、『紅萌ゆる丘の花』で始まる旧制第三高等学校寮歌寮歌だったかと存じておりました。 必要あって、サーチした寮歌の中にはこの文言のある寮歌が見つかりませんでした。 もちろん、青年日本の歌(1930年(昭和5年)、昭和維新の歌)の中にもありませんでした。 お教えいただきたいことは、 1)『石を懐きて野にうとう・・・』の文言がある寮歌はどこの寮歌でありましたでしょうか? 2)『石を懐きて野にうとう・・・』の文言は、屈原の汨羅江入水の故事(話し)を踏んでいたと存じましたが、粗食のお茶席料理などの、暖房の懐石の意味しか、踏んでいないのでしょうか? 60年安保に漸く前期青年になり染めた世代で、無知の恥をを忍んでお伺い申しあげます。 また、こういうお話に、思いや思想、感懐などをお伺いできるととても嬉しいです。別に感激屋ということでもないのですが。 なにとぞいろんなお話を承りたいです。
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#1です。 >『石を懐きて・・・』ではなく、、『石を抱きて・・・』ですので、 >屈原の汨羅江入水の故事(話し)を踏んでいるのでしょう。 なにがご疑念なのよくかわからないのですが、屈原の原文(楚辞)はもちろん「懐石」です。誰かがこれを書き下すさいに、「『懐石』ってなんだ? あ、入水自殺するので、重しにする石かぁ、じゃ『石ヲいだキテ』としておこう」という感じで訳したのです。 ところが、現在「懐」には「いだく」という訓が認められていません。つまり「いだく」とは読めないのです。なので、原文を無視して「抱く」としょうがなく表記しているだけのことです。 ちまき(粽)の由来ですね、茶懐石の懐石とは意味が違います。 |>コレッジ コールリッジのことでしょうが、歌詞はダンテのほうが圧倒的に多いと思います。三高でどう歌われていたかは知りませんが、わたしたちはダンテでした。なぜダンテなのかといいますと、学校で伝統的に受け継がれている歌詞本(学生はそれを見て練習する慣わし)にダンテと書いてあったから、といことになります。 また、通常は「芭蕉のさびをよろこばず」までがうたわれています。私自身は、この部分のない歌詞を見たことがありません。 |>また「寮歌」の定義があいまいで、初期のころは、学生が好んで歌っ |>ていたものをすべて寮歌といったかもしれません(憶測ですが)。 そのとおりでしょう。埋もれているのもあるかもしれませんし、余計なものが加わっているかもしれません。 --ここのサイトに三高の関係者はいらっしゃらないのでしょうかね? また、レコードやテープなどで出版されている歌詞も結構いいかげんです。口承なのでしかたのないことではありますが。 <例> ・あ、あわれダンテの奇才なく ・あわれダンテの奇才なく ・ああ、われ(もしくは「我」)ダンテの奇才なく(当然これでしょう) ・芭蕉のさびをよろこばず(よろこばない とも、よろこぼう という意味にもとれる) ・芭蕉のさびをよろこばじ(よろこばない という意味にしかとれない) ・芭蕉のさびをよろこばむ(よろこぼう という意味にしかとれない)
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- Ishiwara
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(1) 下記のURLに詩の全文が載っております。 http://uraaozora.jpn.org/poyosano1.html (2) 「芭蕉のさびを喜ばず」は「喜ばない」「私は満足しない」という意味ですから、ご確認ください。
お礼
Ishiwara様 わざわざ有難う御座います。 キーをひらがなにしてあって、お名前の字が漢字で出てきて書き直しました。 ≪「芭蕉のさびを喜ばず」は「喜ばない」「私は満足しない」という意味≫ 一生懸命、無理して解釈しておりましたが、お教えで非常に素直にしかも、一貫的、脈絡を通して理解できました。 しかもこういう心、意識性、心意気だということがわかると、尚更、嬉しくなって、勤行の終わった後、掃除や庶務のあとに蚊に食われながらのパソコンも苦痛ではありません。感謝します。
- Ishiwara
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#2です。 「人を恋ふる歌」という題がついているから「三高寮歌」ではない、というのは飛躍です。全音は一流の楽譜出版社ですから、根拠はあると思います。しかし、ほとんどの寮歌は、歌詞の最初がそのまま題名になっていますから、ちゃんとした題名があるのは、やや異質な感じです。 旧制高校約30校のうち8校(ナンバースクール)は、明治の中ごろにできたので、資料が完璧にそろっていないかもしれません。また「寮歌」の定義があいまいで、初期のころは、学生が好んで歌っていたものをすべて寮歌といったかもしれません(憶測ですが)。 「遠き別れに耐へかねて」も、島崎藤村と中央大学の間に、何の関係もないと思いますが、長年歌い継がれてきたのであれば「中大の学生歌」と呼んでも差し支えないと思います。 「琵琶湖周航の歌」も正式に制定された寮歌とするには、首をかしげます。旧制高校は、まずバンカラを旨としていたので、正規の寮歌としては歌詞が“軟弱”に過ぎます。 したがって、広義の寮歌(実質的によく歌われたもの)と狭義の寮歌(正式に制定されたもの)があったと考え、両方を容認するという道があり得ると思います。
お礼
Ishiwara様 なんと素晴しい。有難う御座います。 納得します。 さもありなんですね。
補足
与謝野。 作曲は今確かめていませんが、「人を恋ふる歌」を「三高」かどうかは別に、「寮歌」ではないというのは、「寮歌」というもの性格や状況、そして事情の無知に所以するものでした。 ただ、此身の錯覚で、『石を懐きて野にうとう・・・』の文言が「三高寮歌」として名高い『紅萌ゆる丘の花』の中の文言だと理解をしてしまっていたことは間違いでした。 題名も殊更、掲げず、歌詞の出だしが、その寮歌の指示のことばになるということも、初学で、寮歌というものの性格の一面を知り、とても新鮮な気持ちです。 何も寮歌としてなくても、高校生がその情熱と意気軒昂のままによく歌うが故の、いわゆる、そういう普段の寮歌もあるのだ、ということ。 素晴しい生活ですね。 「人を恋ふる歌」という題があるから、寮歌ではない、なんてことはない。これはいいですね。 ともかく、『紅萌ゆる丘の花』ではなく、『六分の侠気四分の熱』の中に、『石を懐きて野にうとう・・・』はありました。 そしてどのサイトをみても、、『石を懐きて・・・』ではなく、、『石を抱きて・・・』ですので、屈原の汨羅江入水の故事(話し)を踏んでいるのでしょう。 Ishiwara様。 このことは、しかし単なる、分析や知的探求や些事のあげつらいではないのです。やはり文言の理解のためには必要不可欠だと存じます。 でも旧制高校生はそんなことより、人生の意気と、情熱に、そして人生と大創造界に酔って、そんな些事に関わることなく、謳歌して、愛唱していたのですね、多分。 弊衣破帽の、ほうば(字が思い出せない)下駄のバンカラたちが眼前に現れてきます。 バンカラの対立語として、“軟弱”ということばが示されていますので、往時の思いを想像するよすがともなります。 これを単なるノスタルジァというのは文化と思想いうものの観念があまりに、西洋理知に依拠するところからの、認識不足と私は思っています。 ヒンドゥの哲学にしろ、思想にしろ、世俗的些事にこだわらず、それらに超然・孤高の自分を持する。これが人生や、神という究極の価値へといく要件なのだと位置付けております。 焼け跡の瓦礫や、台風一過後の枝や葉っぱのように、敗戦≪前≫の日本の大事なことを片付けてしまうのは、誡めるべきだと存じてます。 国体を護持して、親日で、見識ある将軍とはいえマッカーサー元帥閣下と国民との間に、お気の毒にも先帝陛下のお立場を介在させてしまった浅慮は、日本人としての自分性を意識する上では、取り返しがつきません。 敗戦下の最大の叡智でしたろうが、マスコミや宣伝機関に踊らされるがままであり続けている私達がもどかしい。 指導者は責任がないのであろうか? Ishiwara様、どうかこれからもいろいろ日本をご指導下さい。
- Ishiwara
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私は旧制高校生の「生き残り」ですが、三高の寮歌とは知りませんでした。しかし、全音楽譜の『歌謡曲大全集(1)』に「三高寮歌」と明記してあるので、信用していいでしょう。 ただし、確実に世に伝えられている第3節までには「芭蕉」は出てきません。私の記憶では、「ああ我れコレッジの奇才なく、バイロン、ハイネの熱なきも、石を抱きて野に歌う‥」ですが、コレッジをダンテとするバージョンもあり、正確なところは分かりません(全音の本にも芭蕉は出てきません)。 「紅萌ゆる」のほうは、全歌詞が分かっており「人を恋ふる歌」とは、まったく別物です。もちろん「懐石料理」とも、関係ありません。 青春の可能性に満ち溢れており、既存の価値を鵜呑みにするような自分ではない、という心意気を高らかに歌ったものであり、それ以上深く分析する必要はないと考えます。 60年安保には、私はすでに「分別あるおじさん」でしたが、質問者さんの思いは、よく理解できます。60年を「青春の原点」とする方は、たくさんいらっしゃいます。
お礼
お話ありがとうございました。 今、いわゆる太平洋戦争という呼び方になっているあの、戦争は偶々か、敗戦となりました。 戦後、東京裁判や電通、その他のジャーナルなどのキャンペーンも手伝い、一定の歴史的評価で、何もかもが大嵐の後片付けのように、一掃されてしまったかのようですね。
補足
しかし、お礼にも書きましたが、私も支持しているラディカル革新や、国粋右翼とは別にして、ノスタルジァだけでないものを旧制高校に代表される日本文化に持っております。 どうかいろいろお話を伺わせてください。 しかしこの『石を懐きて野にうとう・・・』の文言ある歌は寮歌ではなく、与謝野鉄幹の《人を恋ふる歌》だそうで、私の勘違いで《旧制第三高校寮歌》をひきました。《人を恋ふる歌》の間違いでした。 これは確認しました。 似たようなリズムと曲とはいえ、失礼しました。 ≪暖房の代わりの「懐石」とも、関係ない≫でありますれば、 やはり、屈原の汨羅江入水の故事(話し)を踏んでいたとのでしょうかね。 ≪青春の可能性に満ち溢れており、≫ これは旧制高校心意気ですね。経験のない私にも伝わるものがあります。 ≪既存の価値を鵜呑みにするような自分ではない、という心意気を高らかに歌ったものであり、それ以上深く分析する必要はないと考えます。≫ 分析はしてはおりません。 心意気を偲ぶために、屈原の汨羅江入水の故事(話し)を踏んでいたとのかなぁと、≪石を懐きて≫の意味を確かめているだけです。 意味は明白だから、気持ちは伝わるから、分析ではなく意味が知りたいだけですよ。
- luune21
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1) 石を抱きて野にうたう 芭蕉のさびを喜ばず♪ ではありませんか? であれば、与謝野鉄幹の『人を恋うる歌』なのですが。 私の大学なんかでは、前夜祭に各寮歌などと一緒にうたっていましたよ。 http://www.fukuchan.ac/music/ryoka/hitookouru.html
お礼
『人を恋うる歌』でしたか。 有難う御座います。 付言などがありましたらどうかお願い申しあげます。
お礼
有難う御座います。
補足
そうすると、やはり、『石を懐きて野にうとう・・・』と漢字をつかい、しかも、屈原の汨羅江入水の故事(話し)を踏んでいるものと理解していて、宜しいのですね。 |>コレッジ についても理解しにくくて、困っていたところです。 まことに有難う御座います。 ・芭蕉のさび これも不明の箇所でしたが、自分の気持ちに合わせて、理解することにしておりました。 ・芭蕉のさびをよろこばず という歌詞文句としておいて、よろこぼう という意味にとりたいと存じます。