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旧制高等学校のナンバー
旧制高等学校のナンバーで一高:東京、二高;仙台、三高;京都、と続きますが、何故二番目に東北仙台で京都でなかったか?。素朴な質問でもうしわけないです。こんな質問にお答えできる年代の方はもう存命ちゆうでないのかな?。ご存知の方が居られましたらよろしくお願いします。
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それは明治政府の国家計画というか、方針です。京都のように成熟した都市ではなく、貧しい東北のかさ上げの手段にしたのです。戊辰戦争で痛めつけた罪滅ぼしの意味もあったのかもしれません。一種の国家戦略でしょう。同じ事は大学にも言えます。東京帝国大学を手始めに、京都、東北、九州、北海道と続きましたが、そのあとに京城帝国大学(いまのソウル大学)、台北帝国大学(いまの国立台湾大学)が設立され、大阪、名古屋は後回しになっています。これは当時の国策で、併合した朝鮮、台湾の開発を優先したからです。ちなみに京城帝国大学は日本がいかに朝鮮の教育に力を注いだかの表れですが(名古屋大阪を後回しにしてまで)、いまの韓国はそれをまったく評価しません。京城帝国大学とソウル大学は別物だと強弁しています。台湾の人たちはそう言いません。高等教育制度を敷いてくれた日本に感謝しています。民族性の違いでしょうね。
お礼
dragon-manさん、早速ご回答いただき有難うございました。明治政府の国家計画でしたか納得しました。「大阪、名古屋は後回しになっています」、名古屋は八高ですもの。