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フランシスコザビエルの布教の時・・・
ザビエルが日本にやってきて布教するさい、通訳は日本人だったのでしょうか?それともポルトガル人?まさかザビエル本人が日本語話せたのでしょうか?
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No,2です。 先の回答の補足です。 アンジロウは、鹿児島で殺人を犯し東南アジアに逃亡していた人です。 マラッカで、いわゆる、教会に「懺悔」をしに行って、ザビエルと出会うのです。 アンジロウがキリスト教徒になるのは、それからです。 通訳に向かなかったのは、方言がきつかったせいだと思いますが、これはアンジロウが悪いのではなく、当時の日本には、標準語というのがありませんから・・・。 明治の頃に、九州の人と東北の人との会話ができなくて、「これではいかん」という事で、首都・東京の言葉をもとに「標準語」というのを作り、義務教育の「国語」で教えて、初めて全国の人が会話が可能になったくらいですから・・・。 ちなみに、ザビエルは、長身でかなりのイケメンだったようで、日本語ペラペラになった後は、けっこう女の子にモテモテだったらしいですよ。
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- komes
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海外で布教活動を行う宣教師は現地の言語に早く精通することは必須の能力です。 従って宣教師としては強固な信仰心と共に語学を学ぶ能力が必要だったと思います。 ザビエルも同様な選考試験を経ていたと思われます。 従って適当な手ほどきが出来る教師があればそれから言語の構造や発音などを学ぶことには優れていたのではと思います。 彼はかなり短期間で日本語をマスターしたと思いますがその素質があったのだと思います。 想像が多いですがこういう解釈もご参考に。
お礼
komes様毎度ありがとうございます。 アンジローの鹿児島訛りの通訳が中国地方や畿内の大名(含む信長)にどこまで通じたかどうか疑問です。アンジローに日本語習うと鹿児島弁になってしまいますね。鹿児島訛りのザビエルはちょっと・・・(笑) 確かに教える立場ですから、頭は良かったとは思いますね。 その後のアンジローに関する消息などはどうなったのでしょうか?ご存知の方がおられましたらご一報お願いします。 考察ありがとうございました。
- koukunn
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インド人が通訳だと言う説もあります。 私はインドのゴアのボンジェムズ教会で ザビエルにお目にかかってきました。 いけ面かどうかまでは分かりませんでしたが 結構な長身だというのは分かりました。 私は、タイには20回以上行っています。 海外旅行は、32ヶ国に行きました。 インドは、もうかれこれ6回くらいは旅行しているので なんでもしっているのですよ(●^o^●)
お礼
天竺に行かれたのですか。うらやましいです。 インドのザビエルはイケ面ではなかったのですね。東インド会社はもっと後世ですが、東周り航路にあたるのでしょうか? そうするとその頃のインド人に日本語がしゃべれる人がいた訳ですか。 海外旅行もうらやましいです。 回答ありがとうございました。
- hukuponlog
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>アンジローがクリスチャンになり、渡海するほど いや、話は逆で、彼は海外に出てキリスト教に触れ、信者となったようです。当時は、鎖国をしていませんから、交易などで日本人が東南アジアにいることは、不思議ではなかったようです。
お礼
完全に勘違いしていました。ご指摘ありがとうございました。 なるほど、東南アジア(ルソン、台湾など)ですか。当時のヨーロッパ情勢はあまり知りませんが、やはりキリシタンや貿易商が東南アジアにも来ていて、そこでアンジローと知り合ったのですね。 再度の回答、ご指摘ありがとうございました。 しかし、アンジローの逸話は奥が深そうですね。ザビエルとの馴れ初め(ヘンな表現ですが)や布教が終わってザビエルが帰国してからの彼にも興味があります。
アンジロウは、あまり通訳はうまくなかったようです。 かと言ってザビエルがカタコトの日本語で話しても、失笑をかうだけだったので、彼は猛勉強して、まもなく、禅宗の僧侶と禅問答ができるくらいに上手くなっています。
お礼
ザビエルが日本語をアンジローに習ったのですね。もどかしさもあったのでしょう。異国の神、キリストが分からない日本人に通訳を介して布教するのには限界もあったのでしょうね。 ザビエル、ただものではありませんね。 回答ありがとうございます。
- hukuponlog
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ザビエルが日本に布教をするきっかけとなったのは、実は海外で一人の日本人に会ったからです。その人物(もちろん彼もクリスチャン)が、日本への布教を勧め、同時に通訳としても活躍しました。 その人の名は、アンジローと言います。これは、ザビエル自身の書簡に書かれていますから、事実でしょう。
お礼
アンジローがクリスチャンになり、渡海するほどになるキッカケは何だったんでしょうね。やはりザビエル以前に誰か外国のクリスチャンに会ったからでしょうか? ザビエルに勧めまた、自身も通訳をするとはよほど敬虔なクリスチャンだったのがわかります。 ジョン万次郎のように何か凄い裏話がありそうですね。 回答ありがとうございました。
お礼
鹿児島弁はきついので、日本人同士でも他国の人には分かりづらいでしょう。懺悔が元でキリスト教徒になったのがマラッカなのですね。 ザビエル様はカッコよかったのですか。ウラヤマシイです。 諸国の大名に通訳として謁見できたのも彼にとってプラスになったのでしょうかね。いろいろ大名に聞かれ彼自身も興味を持たれたのでは、と考えてしまいます。その後アンジローは通訳や布教の先駆者となったのか、逃亡者として海外へまた戻ったのか?興味はつきません。 再度の回答ありがとうございました。