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昭憲皇太后

本来ならば昭憲皇后であるのに昭憲皇太后となった経緯を教えてください。

みんなの回答

  • gootaroh
  • ベストアンサー率47% (396/826)
回答No.3

事実かどうかは別として、明治天皇暗殺説というのもあります。 事実かどうかは別として、ミステリー(お話)としては面白いですよ。 http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nanboku4.html

sunset2nd
質問者

お礼

この鹿島氏の本は持っていますが明治天皇(大室天皇)が晩年、南朝が正統としています。北朝系の孝明天皇の子であるならおかしな話です。日本史最大のタブーかもしれませんね。

  • suicyo
  • ベストアンサー率43% (83/193)
回答No.2

明治神宮の公式サイトに、経過等を解説したページがあります http://www.meijijingu.or.jp/qa/gosai/12.html あと、蛇足ながら、私の感想ですが‥ もともと、制度の運用上、皇太后とは天皇の生母なのか先代天皇の正室なのかをはっきりしない まま明治に至ったことが根源かと。 称号は生前の最高位を称するという原則に照らせば、天皇の正室であった女性は皇后>皇太后であり、 天皇の生母で正室ではなかった女性は、皇太后>天皇妃(典侍‥)ということになりますが、実際の運用を 見てみると、全く別の運用がされています。 天皇の生母で正室ではなかった女性に対し、実際に「皇太后」的な称号を与えた例は、古代にしか存在 しない。 皇后の号自体も平安時代には崩れ、以後「中宮」が一般的となり、○○皇后という固有名詞の追号も 無くなる。 一方で、先代天皇の正室を生前は「(皇)太后」などと称する運用は継続される。 更に、天皇の生母と先代天皇の正室に対し対等?に○○門院という固有名詞の追号を与えることが 中世以降は一般化して、天皇の生母と先代天皇の正室との死後の呼称上の区別が完全にあいまいとなる。 明治となり門院号は廃止、さてこのあとどうする?

sunset2nd
質問者

お礼

明治神宮の見解で納得する人はいないでしょう。何か意図的なことがあったと思います。

noname#113190
noname#113190
回答No.1

これは天皇が決めたことは覆せないという前例があります。 当時の宮内大臣が昭憲さまの追号を「皇太后」として上奏し、大正天皇の裁可を得てしまったため、もう覆せなくなったといわれています。 ただ、何故こうなったかは不明で、いくら当時でもダブルチェックなどがあったはずですから、宮内大臣が間違えて奏上しても訂正が入ってしかるべきで、大正天皇が実母の柳原愛子さまとの兼ね合いでわざわざ間違えた振りをしたとか、明治天皇は替え玉で替え玉の妻を皇后には出来ないなど、推理作家はいろいろ想像を膨らませていますけど、まあそういうことです。 それと私も疑問があり、英照さまも皇太后なんですよ。 何故でしょうね?

sunset2nd
質問者

お礼

大正天皇は死の直前まで実母の存在を知らなかったらしいです。当時の宮内大臣は明治天皇の出自を知っていて故意に天皇に奏上したのでしょう。これ以上は触れない方がよさそうですね。

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