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家系の初代の定義?
大名、武将などの家系の初代について質問します。 この人物が初代であると決める基準(?)はあるのでしょうか? 一例ですが、細川家は初代が藤孝(幽斎)ではなく忠興だそうです(間違っていたらすみません)。 分家で初代○○というのは良くあるのですが。 他にもこんな例があるのでしょうか?
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- m-tahara
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全くおまけ程度の情報ながら。 細川家の宝物を所蔵・管理している永青文庫によれば細川家の初代は細川藤孝ということになっています。 No.3の方が御説明されている内の二番目の立場なのでしょうけれど。 ちょうど参考URLに歴代肖像画展の案内が載っており、そこで確認できます。
- 参考URL:
- http://www.eiseibunko.com/
- suicyo
- ベストアンサー率43% (83/193)
最初に蛇足ながら、そもそも論から。 古い家系の場合、初代というものを確定するのは難しいのです。 正式な名乗りはあくまでも源平藤橘などの氏であり、平安末~戦国期にかけて分立した個々の 「家」の名は、便宜上地名などを名乗っていたものが慣例化したものが多く、誰の時に○○家と 名乗ることを正式に決めたなんてことも、古い家ほどないのです。 そして、江戸時代になると家格が固定化され、分家が新しい家名(名字)を名乗ることも殆んど なくなり、上記のような問題はなくなります。 で、本題ですが、細川家の場合、厳密に言うと ・忠興が関ヶ原の褒賞として豊前一国を与えられた ・父幽斎が織田信長に仕え、丹後一国を与えられた ・その8代前の頼有が細川宗家(室町幕府の管領家)から分かれ、和泉上守護家となった ・更に4代前の義季が三河国細川郷を所領としたことから、義季からが細川家ということにされている ・系譜上は更に2代前の義清から足利家から分かれた という、家のおこりに関するいくつかの画期があります。そして、 ・江戸時代の細川藩としてみれば、宗家の初代は忠興 但し、近世細川家の中興の祖としては幽斎 ・近世細川家の家系としての始祖は頼有 ・本家(室町幕府の管領家)を含めた細川家全体の始祖は、いちおう義季 但し、系譜上の開祖は足利家から分かれた義清となる ということになりますね。 同様のことは古い家柄にはつきものですが、そんなに古い家ではなくても、織田家家臣から立身 した大名家や豊臣政権下からの大名家なども、江戸時代の藩として見た場合、初代がづれて しまいますね。例えば前田家の場合、藩祖利家・初代利長など。
お礼
詳しい回答ありがとうございました。 >江戸時代の細川藩としてみれば、宗家の初代は忠興 わかりました。ただし、 >近世細川家の中興の祖としては幽斎 なのですね。さらに細川氏としての名乗りは >義季が三河国細川郷を所領としたことから義季 となる。 細川でも藤孝と最後の管領家の晴元をひっくるめた細川が >系譜上の開祖は足利家から分かれた義清 となる。 初代と言っても「藩祖」の意味で細川家初代は忠興だということですね。 しかし前田利家が「藩祖」であるのに利長が初代とは、また別の見方が あるのでややこしいです。あくまで利長は江戸幕府から見た初代であると考えてもよいのでしょうか。 ありがとうございました。
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
それは江戸時代、領主として初めて任命されたからです。他の大名も全部そうです。
お礼
では、江戸時代以前の人で初代の人は、後世江戸期に決められた、ということでしょうか? 回答ありがとうございました。
- 6dou_rinne
- ベストアンサー率25% (1361/5264)
それぞれの家で異なるのでなんともいえません。 まぁ、分家した初代とか、大名や旗本として最初につかえたものを初代としたりすることはよくありますが。
お礼
分家初代は良くあるのですが、よく分からない初代もあるので。 回答ありがとうございました。
お礼
参考URL拝見しました。確かに初代とありますね。 幽斎は1610年没が通説なので、1612年作の肖像画というのはどうなのでしょう? 細川氏といっても色々な家筋があり、藤孝の細川は傍流であること、藤孝と阿波細川氏は交流が無かったこと(藤孝が三渕晴員の子で養子だったから?)を調べてみて分かりました。 古い家の家系の初代は思ったより複雑で、有名になったこと、逆に悪事を働いたため削除されたもの、分家、養子、時代の覇者からの認定、後世の認定など複雑ですね。 回答とURLありがとうございました。